ノート:北里柴三郎

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何度も留年した?[編集]

東京大学医学部の場合は予科3年、本科5年を標準としとありますが、大村[2003:20]によると、彼の場合8年で卒業しているので、標準ではないでしょうか?彼は熊本医学校で学んでいるので時間はかかった印象はありますが--Ichiro Kikuchi会話2012年8月31日 (金) 00:41 (UTC)[返信]

どこからこの話が広がったのかはわかりませんが、留年していないようですね。

参考: 目安箱:立花隆が作ったフィクション

本文に"同郷で東京医学校の同期生であり、東大教授兼衛生局試験所所長を務めていた緒方正規の計らい"とありますが、地元の医学校で同期なだけで、東京医学校の同期生ではないようです。

"熊本はまた東京大学に衛生学を開講した緒方正規博士を河俣村小字鶴に生んでいる.この両巨星は明治4年,古城医学校(熊本医学校)の一期生として入学した同期生である." 二塚信「北里柴三郎と緒方正規のこと」 民族衛生 第69巻 第1号 巻頭言 (PDF)

緒方は入学後、年内に中退して上京、翌年に東京医学校の前進である大学東校に入学。
"明治4年(1871)上京、明治5年の春に大学南校に入学、ドイツ語その他を学ぶ。7月に大学東校を受験、医学に進む。" 弥栄の杜から 緒方正規

一方の北里は数年遅れて東京医学校に入学。入学した年が明治7年か8年か、卒業した年が明治15年か16年かについてはさらなる調査が必要。
"1874(明治7)年、東京医学校(のちの東京大学医学部)に入学""1883(明治16)年に大学を卒業" 北里柴三郎/北里柴三郎記念室
"同校で3年間学び、北里は1875年(明治7年)上京し、東京医学校すなわち現在の東京大学医学部の前進に入学しました。""1883年(明治15年)、同校卒業" 安達和俊「現代社会の健康科学」 p.42 - Google ブックス(上京した年しか書かれていないことに注意が必要)
"マンスフェルトが4年の任期を終え明治7年7月に熊本を去ると、柴三郎は助言に従い東京へ旅立った。明治8年11月、東京医学校に入学。医学校在学中の柴三郎は牛乳会社で働き自活、さらに熊本から弟の裟袈男を呼び寄せ学資の面倒も見た。(裟袈男は東大法学部卒)""明治16年(1883)、東大を卒業した柴三郎"北里柴三郎
--Boxeur1102会話2015年3月6日 (金) 05:11 (UTC)[返信]

名字の読み[編集]

北里の読みは「きたさと」ではなく「きたと」です。
自筆サインにKitasato を使っていましたが、ドイツ語読みをさせていたので「きたざと」と読みます。
世界大百科事典や、日本人名大辞典でも「きたざと」となっていますし、北里柴三郎の生まれた地である北里村(元小国町北里)の読みも「きたざと」です。
また、子孫である 北里達之助氏も「きたざと」の読みとなっています。--TRGEBB会話2012年12月7日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

コメント本件について追求した記事([1])がありましたので出典を提示した上で「きたさと」としました。--106.133.51.116 2019年4月9日 (火) 12:13 (UTC)[返信]

記事でも大学等の名前の読み方が「きたさと」で、本人の名前の読み方は「きたざと」とありまよ。--110.135.223.100 2019年4月16日 (火) 13:10 (UTC)[返信]

  • 本当に読んだんですか?適当なこと書かないでください。--ホーリーブライト会話2019年4月17日 (水) 03:06 (UTC)[返信]
  • BuzzFeedの取材に対し、広報の担当者は「キタサトです」と即答した。確かに、北里大学も北里研究所も読みは「キタサト」だ。(中略)こうした理由から、メディアなどから問い合わせを受けた際には「キタサト」読みを推奨しているという。 — 神庭 亮介、https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/kitasato-kitazato
    --ホーリーブライト会話2019年4月17日 (水) 03:14 (UTC)[返信]
  •  文章の読解力が無いの?大学の名前が「キタサト」だからメディアなどから問い合わせを受けた際には「キタサト」読みを推奨しているだけであって、北里氏の正しい名前の読みは「キタザト」ですよ。子孫である 北里達之助氏も「きたざと」です。大学の都合で名前を改ざんしたらダメでしょうw--110.135.223.100 2019年4月17日 (水) 03:59 (UTC)[返信]
  •  経緯はどうであろうが、少なくとも現在出典となっているBuzzFeedの記事における結論は「キタサト」です。「キタザト」が正しいというのなら、きちんとその出典を提示してください。110.135.223.100さんの編集では本文の記述と出典とが矛盾しています。別の出典が提示されるまでは、「キタザト」の編集は差し戻します。--ホーリーブライト会話2019年4月17日 (水) 04:58 (UTC)[返信]
  •  その出典でも北里本人は自分を「キタザト」と呼んでいて、ザをドイツ風にSAと書き、帰国後もそのSAを使い続けた。他の人が誤ってSAをサと読んで研究所や大学は「キタサト」となった。大学の関係者は大学名が「キタサト」だから「キタサト」を推奨してるだけで「キダサト」だとは言ってない。ちゃんと記事の内容を理解してくださいね。子孫も「キタザト」を名乗ってますし個人名の「キタサト」は誤りですよ。--110.135.223.100 2019年4月17日 (水) 06:42 (UTC)[返信]
    • 何度言ったらわかってもらえるのか…推奨だろうがなんだろうが、現在出典に使われている記事の結論は「キタサト」なんですよ。「キタザト」で決着させたいのならあなた自身で別の出典を見つけてきてください。--ホーリーブライト会話2019年4月17日 (水) 08:35 (UTC)[返信]
      • 出典がネットニュースというのはちょっと問題でしょうね。しかもその中にこう書いてありますよね。
  • 「もともとは『キタザト』と読んでいたのですが、北里がドイツ留学の際に『Kitasato』と署名したところ、英語圏の人に『キタサト』と呼ばれるようになりました」
しかもこれ、大学がそう言ってますよね。だったら本来は「きたざと」でいいのでは?まさか読み間違えられたからと戸籍をいじったりはしないでしょう。ま、そこが確かめられれば一番いいのですが。--Keisotyo会話2019年4月17日 (水) 09:23 (UTC)[返信]
  • ソースを見る限り私も「キタザト」と解釈します。ドイツ語よみで「きたざと」と読ませるために「kitasato」と書いたら英語圏に「きたさと」と誤読され、まぁいいやとその読みを使った、というとこでしょう。子孫も北里一郎(きたざと いちろう)や「きたざと たつのすけ - 選挙ドットコム」なら間違いないでしょう。呼称の揺れとして併記することも可能だと思いますが、基本は「きたざと」であるべきかと思います。--鶏のから揚げ会話2019年4月17日 (水) 10:47 (UTC)[返信]

地元出身です。“きたざと” と読みます。地名も同様に、濁ります。 Higxyz会話2020年4月18日 (土) 13:21 (UTC)[返信]

再度名字の読み[編集]

最近になって再び「きたさと」にしようとする方がいます。何度か無出典、ある伊じゃ『北九州ではこう読む』という理由付けで書き換えてきましたが、すべて戻してきました。今回、国立印刷局の「新紙幣の肖像画になった3名の人物を紹介します[2]」というウェブページを出典としてきており、そこでは確かに『きたさと』とされています。しかし以前からの議論から見ると、『本来の読み』は『きたざと』であるのは間違いなさそうなので、戻しました。ただ、ややこしさが増したのは間違いないので、ご意見などいただければと思います。--Keisotyo会話2023年12月18日 (月) 07:53 (UTC)[返信]