ノート:佐藤大輔

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「~のように」という他作者名は必要でしょうか? 佐藤大輔を客観的に述べるだけであれば、例えば「オカルト的な要素により辻褄を合せることが主流であった中で、リアリティを持たせることを武器とし」などで十分であると思いますが。 どことなく「よいしょ」感が漂う記事となってしまっている気もします。2011年9月24日 (土) 19:59 (UTC)


明らかに冗長と思われる部分は削りました。

要出典タグを付したのち一月近く出典の提示がなかった部分を削除しました。--Aphaia 2007年4月23日 (月) 01:28 (UTC)[返信]

大規模に加筆した私が言うのもなんですが、プレビュー機能を利用し、加筆は纏めて行なった方が良いかと思われます(岩見浩三)。2007年8月30日 (木) 08:47 (UTC)

2~7の部分は読み物としては面白いですが、ファンサイトや同人誌のような記述が多すぎるのでは? データとして置いておくにふさわしい部分と、不必要なエピソード、編集者による主観的な評価 (~~がこう評価した、という部分も含め)が未分化で冗長だと思います。--以上の署名のないコメントは、210.132.177.230会話/Whois)さんが 2007年9月4日 (火) 00:36 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ここ最近、妙に攻撃的な記述とそれに対抗する(?)立場からの記述の繰り返しで膨れ上がりましたからね(僕も当事者の一人ですが)。不要とは思いませんがもう少しスリム化する余地はありそうです。あと『太平洋戦争必勝の極意』よりは『連合艦隊ついに勝つ』、『戦艦大和夜襲命令』よりは『アメリカ本土決戦』の方が先なんじゃないだろうかとか……West 2007年9月4日 (火) 13:53 (UTC)[返信]

A級戦犯がやって来ましたよ。容量は私が手を付ける前の10倍ですから確かにちょっと色々書きすぎたかな。 で、えっと、私のスタンスはWikiの方針に従って中立である事です。でもってその観点で見ると佐藤氏の場合、「らしく見せる」「矛盾を感じない」為の手法を色々発展させてリアル系で話を書く『指南書』をあちこちで書いたこと、およびその功績は書き手にも読み手にも大きいですが、政治色の強い発言も多く見られるタイプだとは思います(非対称戦争云々の理解は水準以上だし人と組んで仕事もしてるとは思いますけど)。編集された方ならお分かりかと思いますが、コメントアウトで出典状況は出してあります。作風、手法、評価などは出来る限りそれに沿ったつもりでしたが、まあ書いて数日経って読んでみると重ね書きや主観的な書き方の部分もありますね ・・・・。その辺についても合理化は必要かと反省してます。

「Wikiが何で無いか」は承知してますが、それを突き詰めると「諧謔が多い」なんかも「要出典」扱いになりますし、他の小説家や言論人等の書かれ方の方を重視しました。主張の項に疑問を感じられる方もおられると思いますが、90年代以前の本は出回ってなく、その頃から主張にブレもないので詳しく書かせていただいた次第です。比較に副田氏を出したのは(そもそもそういう比較自体不要と仰る方もいるのは承知していますが)出版時期と内容を考慮した為ですが、日本の作家さんの場合、多重改変や、歴史の連続性への認識についてはSFは別としても正直真面目にやっておられる方でもあやふやな書かれ方か、トンデモ設定、タイムスリップ等で逃げを打つのが大半だったと記憶してます。色物設定抜きの本当の意味でリアル路線を採用していたのは檜山氏の決戦3部作位でしょうか。 あと、WESTさんがお示しになられた作品のうち、『連合艦隊ついに勝つ』は一点改変物なのでしょうか?私は70年代の作品は読んだ事が無くて、檜山氏より後から入った世代なのでよろしければ御教授ください。利用者:岩見浩三 2007年9月4日 (火) 16:20 (UTC)[返信]

佐藤さんの功績が大きいことは認めますが、全部彼一人のおかげというのはどうでしょうか。『ラバ空』あたりも結構リアル系だったと思うし、弱い日本が弱いなりに頑張る話は横山さんの十八番だし、正面戦力だけでない基礎的な技術力や生産力を底上げする改変は変じゃない方の谷さんもやってるし、その辺は御大以降にデビューした人の分も加えて架空戦記で書いた方がいいのではという気もします。
僕も多分岩見さんと同じかひょっとすると下の世代です。『連合艦隊ついに勝つ』は確か図書館で読みましたが、連作短編4本(ミッドウェー、第1次・第3次ソロモン、レイテ)のオムニバスのような形だったと記憶しています。設定上は同一時間軸のはずなのにミッドウェーで生き残った空母が「第2次ミッドウェー海戦」(そういうのがあったと書かれているだけ)で沈んだりして結局史実通りの戦力で次の戦いに臨むという感じで、僕は逆に『太平洋戦争必勝の極意』を読んだことがないのですが紹介を読んだ限りでは同類に思えました。West 2007年9月4日 (火) 18:22 (UTC)[返信]

ちょっと私の書き方が悪かったようです。本文中でゲームデザイナー時代の経験を書きましたけど、全て佐藤氏のオリジナルという意味ではなく、「各所で生み出されたアイデアを纏めて小説に持ち込んで複雑なパズルとして徹底した」事が功績という意味でした。確かに架空戦記の項に移した方が収まりが良いかもしれません。考証レベルとは別に、目的と時間軸の意識の仕方、もしくは理解の度合いは書かれた時期や世代で断層があります。

確かに工業力云々の方向でリアリティをつける動きは小説では谷氏の方が早いですね。覇者の第一巻が1991年2月ですから。横山氏の場合鋼鉄のリヴァイアサンが1992年7月、確か何かのコンクールに応募したのがきっかけですから実際はもう少し前になると思いますけど、八八では日露戦争の大敗が軍縮会議の破綻に連鎖的に響く訳で一点改変の部類であり、修羅まではその系譜だったわけです。檜山氏の場合も一点から連鎖を狙う(富嶽の場合は開発に成功という改変)かスリップに属しますよね。ただ、88年から始まった川又氏のラバ空に関してはどうしてそうなったかの最初の経緯を書いてないことが多かったので、佐藤氏言うところの史実とは無関係に駒を配置する大戦略に近い要素もあったのではと思います。

その意味で、「こういう状況がほしい」と目的を与えて、その目的の為に連鎖だけに頼らず必要なら何度でも改変したことが彼の独創になる部分で、本人も色々アピールし他者から公で評価された点です。考証については努力度合いであって独創性とは少し違いますね。例えばRSBCは高梨氏のアイデアではルーズベルトの落選が連鎖的に色々影響する一点改変の部類です。しかし、佐藤氏の場合、明確に「ドイツを敵役にする」という目的があり、226の鎮圧、陸軍の対ソ志向の強化、ルーズベルトの落選等と連鎖では説明できない改変があり、ニイタカヤマではこの流れが更にはっきりする訳です。これらが出たのは時期的には85年から86年頃ですから少なくとも日本では初かと。海外だと合衆国復活の日やSS-GBがリアルなものとしてはありますけど、経緯を書かない部分もあったし、やはり一点改変に類すると思います。

『連合艦隊ついに勝つ』の件承知しました。副田氏も正にそのコンセプトです。しかも副田氏の場合日本不敗の追及策の筈が但し書きでわざわざ見かけの戦力バランスを元に戻し沖縄戦まで続けるという体裁となっており、時間軸の理解の仕方(より直截に言うなら無理解)について印象に残ったのです。ゲーマーだとターン制で前の結果を引きずるのが目に見えて分かり、ゲームデザインの目的も雑誌で嫌と言う程議論されましたからその辺の意識はプレイヤーもデザイナーも持っていたのです。 利用者:岩見浩三 2007年9月4日 (火) 20:50 (UTC)[返信]

『ラバ空』の前半については戦術レベルの改変を積み重ねることによって戦略的状況の変化につなげるといった部分も大きいように思います。作者の目的は「いろんなひこうきがかつやくするおはなしをかきたい」かな。
まぁ、小説やエッセイ本はともかくゲーム誌までは持っていないので、わかる部分については時々コメントしますがディープな分析は岩見さんに任せるしかないでしょう。
書き込み内容から同一人物だというのは推察できますが、アカウント名を名乗るならログインして書き込んだ方がいいですよ。West 2007年9月6日 (木) 14:35 (UTC)[返信]

岩見です。ちょっと落ち着いて見返すと結構適当な表現もあったのでスタブが貼られたのを機にざっと直してみました。抜けはあると思います。投稿時点でログアウトしていたようです。申し訳ない。岩見浩三 2007年10月6日 (木) 14:49 (UTC)]][返信]