ノート:伊豆諸島

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内容的に疑念のある点がふたつあります。

  1. 伊豆諸島に初島が含まれるとしていますが、その根拠は何なのでしょうか。
  2. 伊豆七島が伊豆国賀茂郡に属していたとありますが、その根拠は何なのでしょうか。

この2点、出典などわかりましたら教えてください。平 誠 2004年10月4日 (月) 13:23 (UTC)[返信]

二つ目についてですが、延喜式において伊豆国賀茂郡の神社に伊豆諸島の神社を含んでいることからだと思います[1](ただし私はネット上の情報以外確認していません、興味深いのでそのうち調べてみます)。一つ目については「伊豆諸島」という言葉は伊豆の島々ぐらいの意味ですから、伊豆や伊豆諸島の人に実態を聞くとか、この言葉の古い例を調べないと答えはでなさそうですね。東京府になった後に出てきた語なら確実に初島は含まれませんが。--Mochi 2004年10月4日 (月) 16:55 (UTC)[返信]
Mochiさん、ありがとうございます。確かにこのサイトによれば延喜式にある神社で伊豆諸島に座すものが伊豆国賀茂郡として記載されていますね。時代はうんと下るのですが、明治18年4月、内務省地理局が『地名索引』というものを出版しています。それによると初島は「伊豆賀茂郡」と記載されているのに対し、利島は「伊豆七島壱村」と記載されています。大島はじめ他の伊豆七島の島々はすべてこの書き方でした。このときすでに伊豆七島は東京府に属していましたからそれでそれでこのような書き方をしているのかと思ったのですが、『伊豆諸島東京移管百年史』の上巻252ページに「伊豆国附大島波浮湊取締手数料之儀ニ付伺書」(波浮湊文書)という写真版が紹介されています。これは江戸時代に伊豆大島の波浮港の整備に関して出された文書なのですが、「伊豆国附大島」という言い方をしているのですね。賀茂郡に属していたなら「伊豆国賀茂郡大島」とするはずです。「伊豆国附大島」という書き方がされているのは伊豆七島には郡がおかれていなかったためと考えた方が合理的なのではないでしょうか。

ということで、これらを総合的に考えるなら「伊豆七島」という言い方自体、郡に属さない島々のことを一纏めにいう表現が必要となり生み出された言葉と考えるならば、『地名索引』の記述は頷けるものがあります。そして、初島ですがこれは伊豆国に賀茂郡がおかれて以来、賀茂郡に属していたと考えるべきであって、伊豆七島のひとつとして数えられたことはないのではないかと思われるのです。もし伊豆七島のひとつとして数えられていたという史料があるのでしたらご存知の方、ご教示いただければ幸いです。平 誠 2004年10月4日 (月) 20:39 (UTC)[返信]


曖昧な記憶ですが、初島の「初」は、伊豆諸島の最初、の意味だったような気が....-- 2004年10月4日 (月) 17:46 (UTC)[返信]
っさん、こんにちは。なるほど、ありそうな話ですね。ということは初島はなぜ初島というのか調べてみる必要がありそうです。確実なところは『熱海市史』あたりに当たってみることでしょうか。静岡県内なら市町村の図書館でも所蔵しているはずなんですが、東京でこれが読めるのは都立中央図書館。わが家から気軽に行けるところではない。多摩図書館でしたら次の休みにでも出かけられるのですが……。平 誠 2004年10月4日 (月) 20:39 (UTC)[返信]

Googleのキャッシュなんですが、ここに、

>ところで,伊豆諸島には律令時代以来,現在に至るまで「郡」が編成されたことがありません。
>「伊豆国」のうち,半島部は 田方・君沢・那賀・賀茂 の4郡に分かれる(郡制施行後は田方・賀茂の2郡)のですが,沖合の島々はどの郡にも属していないのです。
>小笠原は「郡」どころか,どの「国」にも属していませんが。

とあります。

ちなみに、初島は「七島」には含まれないはずです。大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島で7で、ここには式根も含まれません。

ここには

>古の神々が伊豆七島の島創りをする際、その任務を命じられた事代主命は、まず初島、次に神津島を創り神津島を島創りの拠点として大島、新島、三宅島の順で10の島が次々と誕生した。

とありますが、この話は聞いたことがあるような... -- 2004年10月5日 (火) 00:06 (UTC)[返信]

っさん、早速のフォローありがとうございます。初島の由来が神話に基づくというのはおもしろいですね。余談ですが、日本の神様は慎重なのですなぁ。日本列島の国造り神話でも最初に造ったのは淡路島ということになっています。最初から一番大きく、一番重要な島を造らないところは構造が同じです。もしかしたら何らかの関係性があるのかもしれません。そしてこれが日本人の国民性というか性質の背景になっているのかもしれないですね。おっと余談が過ぎました。話を先に進めます。
私も少し調べてみましたので報告します。東京都公文書館所蔵の史料に『伊豆七島移管関係文書』[2]があります。これによると静岡県から移管されたのは「伊豆諸島」でなくて「伊豆七島」のようです。東京府知事から静岡県令にあてた文書の受取書には「伊豆国八丈島ほか六島、当府管轄仰せ出され候については、本日土地人民及び諸帳簿、別紙書目(目録)の通り受け取り候なり」とあるといいますからこれは確かなのでしょう。そして伊豆諸島という名称はこれよりも遅れて生まれてきたのではないでしょうか。

このことに関連して新たな疑問が出てきます。「諸島」という言葉は何時ごろから使われるようになったのかということです。明治になってから創られた言葉のように思われますが、その真偽を確かめることと、もし私の仮説が正しいとするならば何時ごろから使われだしたのかということです。

とするならば、初島が伊豆諸島に含まれたとする記述は誤りということになります。
そしてもうひとつ。伊豆七島は賀茂郡に属した島とは認識されていなかったのではないかということです。ここでも「伊豆国八丈島」という書き方をしています。「伊豆国賀茂郡八丈島」でないのが気になります。しかし、延喜式の記述が引っかかるのですね。延喜式は史料としては一級のものですので無視するわけにはいきません。「伊豆諸島には律令時代以来,現在に至るまで郡が編成されたことがない」とする掲示板のあることは私も知っていますが、これだけで判断するのは危険です。もう少し確かな根拠を掴まないと……。
とはいえ、今の版は内容に誤りのある可能性が高まってきました。伊豆諸島の歴史については『八丈実記』が一級史料です。少なくともそれに当り直すなどもう少し調べた上で全面的に書き換えようと思います。平 誠 2004年10月5日 (火) 08:32 (UTC)[返信]

私もちょっと図書館で調べてきました。伊豆諸島が賀茂郡かどうかですが、地名辞典を二つほど見たのですが、どちらも古代においては賀茂郡だったと記述されていました。根拠はやはり延喜式です。ただし、現在の伊豆諸島すべてを含むのかはよくわかりませんでした。さすがに古い時代の離島の話ですから。中世におけるそういった話題は見当たりません。書くまでもない話題なのか、伊豆諸島を賀茂郡に含むというのが廃れたのか不明です。近代においては、を見ると江戸時代に郡は統治単位だったとされています。江戸時代に伊豆半島が天領だったのに対して、伊豆諸島は小田原北条氏による統治で、一緒に扱う必然性が乏しかったことから、郡がすたれたのかもしれません。明治11年1月に東京府に移管されて、同じ年の7月に郡区町村編制法が施行されています。この時に郡が再認識されるのですが、伊豆諸島では設置されず、今日まで来てしまったようです。『地名索引』は郡区町村制以降ですから賀茂郡と書かなかったのもうなずけます。
あと、初島関係を調べてみたのですが、伊豆諸島との関連で書かれたものは見当たらなかったので、伊豆諸島の一つとして扱うことは過去にもなかったと思われます。「初島」の由来は初島の神様の名前からのようです。メモとるの面倒だったので神様の名前までここで書けませんが。--Mochi 2004年10月5日 (火) 13:17 (UTC)[返信]
Mochiさん、ありがとうございます。やっぱり延喜式ですか。ちょっとずるい方法ですが、賀茂郡問題には触れないで暫定的な記事を作ってみようかと思います。江戸時代の伊豆七島は幕府の直轄地となっていて韮山の代官が治めていたようです。それがあるので明治維新後、一時韮山県になり、その後足柄県を経て静岡県、そして東京府という変ってきています。
初島は伊豆七島(伊豆諸島)に含まないということで良いようですね。ただ伊豆の島々を創造した神話には出てくると。平 誠 2004年10月5日 (火) 21:14 (UTC)[返信]
新たに資料を見てきました。大日本地名辞典第5巻の「伊豆七島」の項で「江戸時代は伊豆代官の所管で、『賀茂郡に隷せり』」とありました。初版が明治35年の本なので、当時の感覚としては江戸時代でも賀茂郡であったとみなしてよさそうです。--Mochi 2004年10月15日 (金) 08:42 (UTC)[返信]

伊豆七島は使わない流れにある....[編集]

「伊豆七島」は使わない流れにある、なら、望ましいことですが、地域の主たる交通機関である東海汽船のページを見ても、そうは言えないのでは、と思います。

含まれる含まれないで差別はあるのかも知れませんね。ただ、含まれないのは、定住者のいる島では式根と青ヶ島ですが、式根が新島から別れたのが比較的近年であること、青ヶ島がかなり離れていること、のせいで、まあ、明確な理由があるとは思います。

ところで全く別件ですが、自由に使える地図って、テキサス大学オースティン校 Perry-Castañeda Library Map Collectionくらいのもんなんでしょうか....-- 2004年10月8日 (金) 18:06 (UTC)[返信]

地図の件は私も困っています。国土地理院がネット公開している地形図でいけるところはそれに外部リンクして、その他で必要なところは「地図」じゃなくて「地図のようなもの」でいくしかないのかなと思っております。それはそうと今みてきましたら伊豆諸島の地図いや「map」がアップされていました。これなかなか良いですね。東京や伊豆半島との位置関係も伊豆諸島の各島の位置関係も一目瞭然。平 誠 2004年10月11日 (月) 21:35 (UTC)[返信]