ノート:九九式襲撃機

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九九式襲撃機について[編集]

九九式襲撃機は、九九式軍偵察機の派生型として生産されたらしいのですが…--KY23 2008年3月20日 (木) 03:48 (UTC)[返信]

そのような文献は私は見たことがないですが、あれば出典を示してみてください。陸軍の要求仕様や機体の設計から見てもまず襲撃機としての役割が優先されているように思います。--タタロコ 2008年3月20日 (木) 07:14 (UTC)[返信]
  • そうですね偵察機から派生したとは云えないと思います。キ51は、97式軽爆の後継として1937年12月に開発内示されました。で、最初から武装と爆装も指示書に記載あります。ただ襲撃機能を持った複座機という表現でした。その為偵察機から強襲機能を持つた襲撃機が生まれたと受け取られる事がどこかにあるんでしょうかね。いずれ、開発のタイムスケジュールによりますと1937年12月基本型開発内示、1938年6月偵察型内示、1939年6月試作1号機完成、1939年12月制式採用(両タイプともキ-51)、となってます。「陰で支えた軍用機」(大内建二著・光人社刊256頁)によれば、--以下引用--試作が進められている最中の1938年12月(陸軍は)軍偵察機としても使用する考えを示し襲撃機とは別に・・中略・・偵察機の開発は特段問題あることではなく、襲撃機として設計されている機体から防弾鋼板を外し偵察写真機用の窓を胴体下面に新たに設ければ事足りた。--とあります。襲撃機から偵察タイプが生れたんですね、完成は同時ではありましたが。papamaruchan22 2008年3月20日 (木) 10:59 (UTC)[返信]

キ-71の製作所に関して[編集]

キ71が立川飛行機製とした資料がある点ですが、これはキ71の設計を行った満州飛行機の特別設計班が陸軍の航空技術研究所内にあったうえに、試作機の製造は立川の陸軍航空工廠で行われたことから、立川飛行機製と判断してしまったものと思います。立川飛行機と立川陸軍航空工廠は別の組織なので、ネット文献の記載は誤りとした方がよさそうですね。本機の製造会社については他の出版社の多くの文献でも満州飛行機製とされている(「陸軍キ番号カタログ」文林堂 等)ので(開発史や性能等を詳細に記したものは少ないですが)、満州飛行機製として差し支えないと思います。Miepenpen 2008年1月24日 (木) 14:45:51(UTC)

メモ書きに対する情報の追加ありがとうございました!!あるサイトで立川飛行機と書かれていた経緯はおそらくその通りだと思います。(以上は2008年1月9日 (水) 21:04 版に私が書いたコメント文”参考文献の日本航空機総集によると「1943年(昭和18年)初頭に金星換装や引き込み脚化の計画があったが中止された」とありましたが、誤植や古い情報である可能性もあるのでウィキペディアのキ-71(2007年8月31版)に倣った記述としました。しかし満州飛行機が立川飛行機となっているようなネット文献もあり、どの記述に信憑性があるのかわからないので要出典としました。”に対するやり取りです。)--タタロコ 2008年1月24日 (木) 13:54 (UTC)[返信]

航続距離に関する考察(陸軍公式文章より)[編集]

下記資料 67/92頁によると、99襲撃機の「行動半径」は、 「燃料ヲ満載セル場合ニハ600粁(km)ニシテ行動ノタメ一時間ノ余裕ヲ有ス」 とあります。 88/92頁に、燃料満載時608立があり、この数字は疑いがないとして、 上記記載の行動半径から類推して、燃料満載時の航続距離は、600km×3+巡航1時間、 ぐらいが最低ラインではないか、と思います。 そういう意味において、「航続距離:1,060 km (燃料608Lの場合)」の記載は疑わしい、と考えます。

「九九式双軽爆撃機九九式軍偵察機九九式襲撃機仮制式制定の件」 Ref. C01004892100