ノート:三菱一号館美術館

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>つまりはランドスケープについての意識の極めて低い、一点豪華主義と言われても致し方ないといえよう。
あるなら出典、もしくはクレジット付きで意見として掲載するようお願いします。
ランドスケープの言葉の意味をご存じない方の発言とお見受けしますが。
もしただのいちゃもんなら、百科事典に載せる内容ではありませんので、不適切極まりないことです。削除すべきでしょう。 --131.113.228.150 2010年4月13日 (火) 02:29 (UTC)[返信]

記述内容の是非はさておき、美術館の「概要」とするには疑問のある文章であるため、別の章を設けて切り分けました。--碧城 2010年4月14日 (水) 10:22 (UTC)[返信]

解体の経緯の中立的観点について[編集]

2010年10月25日(JST)以降、58.85.6.115氏によって、繰り返しの編集が行われていますが、以下の点で中立的な観点に基づく疑問があります。出典等あれば提示願います。
> 文化庁は止むを得ず文化財保護法の強制指定の適応を検討したが、その動きを察知した三菱地所は1968年3月23日、批判を避ける為人通りの少ない土曜日を選び、突如建物の解体工事を強行した。
--125.2.130.139 2010年11月5日 (金) 11:39 (UTC)[返信]

差分を比較していただければわかるかと思いますが私はその部分については殆ど編集しておりません。出典としては”まちもり通信”というサイトより引用すると ”3月26日の朝日新聞東京版の朝刊には、「また消える"明治の名残り"抜打ちに解体準備 三菱一号館 文化財指定を急ぐ 文部省、保存に大慌て」の見出しで詳報を載せている。”といったところでしょうか。 --58.85.6.115 2010年11月5日 (金) 16:29 (UTC)[返信]
58.85.6.115様。貴殿が短期間に頻繁に編集を行なわれたため、勘違いをしていたようです。お騒がせしたことをお詫びします。

早速示していただいたサイトを拝見させていただき、出典として追記しようと思いましたが、復元・再建に批判的な論調に偏っていて、出典として示すにはあまりいいとは言えない気がします。--125.2.130.139 2010年11月5日 (金) 17:56 (UTC)[返信]

おっしゃる通り個人のWWWではあまり望ましくないかもしれませんので当時の建築雑誌(日本建築学会が出しているほう)ではいかがでしょうか。この中にいくつかありますが”三菱旧1号館解体作業の即時中と保存に関する要望書”と”三菱旧1号館問題と文化財保護行政に対する私観”によるとそれぞれ”突如解体作業に着手されたことを聞き及び驚愕致しましたが、””昭和43年3月21日(木)・・・・・・三菱地所は旧1号館の解体工事を開始するむね、突然に文化財保護委あて通告。”などとあります。--58.85.6.115 2010年11月5日 (金) 19:05 (UTC)[返信]
”批判を避ける為”かどうかは疑問がありますが、とりあえず建築雑誌を出典としておきました。--58.85.6.115 2010年11月15日 (月) 18:45 (UTC)[返信]
記事の読み易さの観点から、「建築概要」から旧三菱一号館の節を分割しました。なお、「批判を避ける為」は批判的立場からの修辞的表現と思われますので(休日を選んで人目は避けられても、批判は避けられない)、批判の中で抜き打ち的に解体を実施したという文脈に修正しました。また、「努力むなしく」以下の文言も、前段までの内容の繰り返しに過ぎない修辞的文言のため削除しました。--碧城 2010年11月20日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
”解体の経緯を追加し、解体材は長期にわたり保存されたものの”の部分について長期かどうかは主観と思いますので削除しました。それと”1918年3月 地画番号制定により、三菱東9号館に改称。”の部分について地画は画地のことなのでしょうか。--58.85.6.115 2010年11月20日 (土) 16:15 (UTC)[返信]
年表の地画番号制定という記述は116.81.136.251さんの加筆のようですが、最近は編集に参加されていないようです。三菱旧一号館を説明する上ではそれほど重要な記述ではないと思われますので、出典不明かつ不明瞭な記述であれば一旦コメントアウトして構わないと思います。
個別の記述は修正の余地があると思いますが、提起当初に比べて中立的観点からの記述に整ったと思いますので、編集者の合意が取れればタグを除去したいのですがいかがでしょうか。--碧城 2010年11月20日 (土) 17:09 (UTC)[返信]
賛成。125.2.130.139さんは11月5日以降参加されていないようですのでよろしいかと。--58.85.6.115 2010年11月21日 (日) 12:30 (UTC)[返信]
同意いただきありがとうございます。本文から「観点」タグを除去しました。--碧城 2010年11月21日 (日) 14:33 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

本項は美術館施設についての記事として立項したものですが、現時点の記事内容としては、現存しない旧建物(旧三菱一号館)の建築保存運動およびレプリカ再建までの経緯についての記述が過半となっています。一方で、旧三菱一号館の建築史的評価や、その前後の社会的状況や以後の建築保存運動への影響などについて(「美術館の建物の前史」としてではなく)さらに説明すべき内容が有るものと考えます。

よって、現在の「建築概要」の記述内容を三菱一号館(現在は本項へのリダイレクト)に分割し、新旧三菱一号館の建物を中心とする記事を新規作成することが適当と考えますので提案します。--碧城 2011年1月22日 (土) 16:25 (UTC)[返信]

かなり以前より美術館の記事としての編集が殆ど行われておらず、ご指摘のとおり建物の記事で埋め尽くされている面もある一方で、一号館については建物だけについても特筆性があると思いますので(三菱2号館や20号館・・・に特筆性があるかどうかはともかく)、よろしいかと思います。--草刈機 2011年1月22日 (土) 18:11 (UTC)[返信]
ご同意いただきありがとうございます。提案より1週間で反対意見はありませんでしたので、三菱一号館への分割を行いました。分割作業時の編集はスタイルを整える程度に留めていますので、細部は適宜編集をお願いします。--碧城 2011年1月29日 (土) 08:30 (UTC)[返信]