ノート:ルーシ族

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116.80.43.64氏の2012年4月11日(水)の投稿についての問題提起[編集]

編集内容の要約にはみ出してしまったのでこちらに全文を載せておきます。

  • ゴート起源説の類とは性質が違います。そして反ノルマン説が歴史学において正当であるかの様な記述は誤解を生み、歴史学(上)の中立性を損なうものです。Wikipediaにおいてもしかりです。ノルマン説も不確かな中世文書のみに視点を置いている訳ではありません。全ての歴史的資料に正確性がある訳ではありませんし、結論を急ぐ事は危険な事です。しかし全ての歴史的資料を疑い、否定する事もまた危険な行為であり、歴史学上正当な行いではありません。ナショナリズム的考察は、ノルマン派、反ノルマン派共にお互い様です。

こういった訳ですが、116.80.43.64さんの加筆を全否定している訳ではありません。ただし、この様な視点での加筆は、Wikipediaの中立性を損なっている可能性もあるので一筆しておきますので悪しからず。利用者‐会話:Libertasの会話ページでも構いませんが、出来れば意見等はこのノートページでお願いします。何かあればの話ですが。さらに忠告しておけば「原初年代記などといった中世諸国の文書記録…」と言った書き込みをなされておりますが、年代記の筆者は、ポリャーネ人であるネストルとされています。否定するのは自由ですが、記述者はスラヴ人ですので、多分に矛盾していると思われます。その中世諸国の文書記録もキエフ・ルーシ国内で行われており、116.80.43.64さんは、スラヴやウクライナの歴史及び文化も否定していると思われます。Libertas 2012年4月11日 (水) 11:04 (UTC)

もう一つルーシに関する事項で以前、自分(Libertas)の会話ページで行われていた利用者‐会話:Libertas#ルーシとロシアの項も参考の事。その上で「ヴァリャーグ」及び「ルーシ族」の加筆をお願いします。Libertas 2012年4月11日 (水) 12:36 (UTC)[返信]

ふと、思ったのですが、IP116.80.43.64さんは、特別なアカウントを持っていない様です。にも関わらず反ノルマン説において東欧の諸説に詳しいと言えます。考古学見地からアプローチする事は間違っている事ではありません。むしろ正しい事と個人的には思っています。ただし、116.80.43.64さんはノルマン派は結論を安易に導くとおっしゃっていますが、考古学的手法も膨大な作業を必要とすると書かれておきながら、116.80.43.64さんは東欧におけるノルマンの存在を排除してしまっています。この事から反ノルマン説を支持する116.80.43.64さんは、ノルマン派の如く安易な結論に達してしまっているのではないかと危惧しています。

自分はどちらかと言えばノルマン説を支持していますが、あくまで個人的にです。どちらが完全に正しいとは学者でも歴史家でもありませんから断言はしませんし、出来ません。あくまで通説とされるルーシ族像に乗っ取って加筆しました(反ノルマン説支持の方には不服でしょうが)。だからその反対の説を記述する事に関しては中立性を維持する為にも必要である為、それ自体は否定しません。問題は、116.80.43.64さんが加筆なされたノルマン派のイデオロギーを強調し、反ノルマン派の潔白、正当性を全面に押し出した論調です。無論、ノルマン派にもあるでしょうが、その説に従えば、東欧以外の全てのノルマン説支持者に当てはまってしまう訳です。今日の論争は、最早、ゲルマニスト、スラヴィストの範疇にはないのですから、ノルマン派=ゲルマニストと言った構図で表す事は出来ません。逆説的に言えば、この反ノルマン説が東欧の多数の支持者から中心に上げられている事が象徴的と言えます。百年前に地理学者・探検家スヴェン・ヘディンがロシア人の学者に対して嘆いていましたが、今日の情勢もあまり変わっていない様です。東欧にも偉大な素晴らしい学者がいたにも関わらず、純粋な科学そのものよりも愛国心に頼っていると言った訳です(金子民雄著 「ヘディン交遊録」より)。今日の反ノルマン説支持者も科学的事実よりもパトリオティズム、ナショナリズムに傾倒しているのではないかと危惧しています(無論、純粋に研究しておられる方々も多い事でしょう)。116.80.43.64さんがどこのお国の方か分かりませんが、その記述の節々にその部分が見え隠れしています。スラヴ文明を高尚なものとし、他民族、他文明を下位に見なした事、ノルマン人を単なる交易民とし、アルメニア人の如く見なした事(当然アルメニア人にも貴族がおり、ローマ皇帝になった人物もおり、国家も構築していた)。スカンディナヴィアを文明・文化の後進地域と見なした事。それにも関わらず、ギリシャ・ローマの例えを出して、スカンディナヴィアを東欧におけるロマン主義の場とした事。中世文献を妄想の類と見なしている事。歴史的史料も歴史を研究する材料の一つであるのにも関わらず、複数の地域的文献を一刀両断している事。等々。

それらが全て反ノルマン支持者に当てはまるとは思っていません。しかしこの傾向は、ウィキペディアで記述したり加筆した時に、特にスラヴ圏の歴史に関する項目において顕著な様に思われます。それは無視してヴァイキングに関する項目に戻ると、反ノルマン派の説を妥当なものと仮定した場合、東方ヴァイキングの存在そのものが無きに等しくなってしまいます。ノルマン人が東方に進出した事、移住した事は文献上のものだけではありません。そこには多分に推察、推測もありましょうが、歴史上数多の資料を基に考察しているのです。そこには考古学見地によるものも含まれています。憶測というのは、反ノルマン説の如く、文献を単なる神話的に見なし、「ギリシャ・ローマ神話」や「ゴート起源説」の類と混同してしまう事です。せっかくの考古学的アプローチなのに反ノルマン派に根拠がないと言われるのは、そこに原因があるのではないかと個人的に認識している訳です。無論、考古学的手法で、ノルマンの存在が明らかにならないのであれば、その見地もあながち間違いではないでしょうが。しかしヴァリャーグにしてもノルマンの慣習がありながらノルマンの存在を無に帰する事は強引で、ノルマンの慣習を受け継いだ東スラヴ人であるというのはご都合主義も良い所でしょう。民族系統が不明と言うのも、系統の近いゲルマン諸族の混濁の上に土着のスラヴ人などの混血によって成り立っていると言う説上のものでしかなく、不明であるから、ノルマンやゲルマン色を排除すると言う理由付けにはならないのです。特に116.80.43.64さんのルーシ族の項におけるノルマン色の排除には目に余るものがあります。ルーシ・カガン国における多数の東スラヴ人の存在の強調と存在感すら無くしたノルマン人、仮にルーシ族を東スラヴ人と仮定したとしても存在自体を無いものとする事は不可能なのです。

長々とぐだぐだした稚拙な文章でしたが、要約すれば、ヴァリャーグもルーシ族もノルマン色を排除する事に明確な根拠はなく、いずれも東欧におけるノルマン人の政治的な関わりに論点が移っている訳です。ルーシ族がその初期から東スラヴ人の一部族であった、と言う論説自体は否定はしません。その主張に明確な根拠があればの話ですが。しかし、両項目とも116.80.43.64さんがノルマンの存在を強く否定している事が重要な問題なのです。Libertas 2012年4月14日 (土) 06:06 (UTC)

上記はいずれも116.80.43.64さんへの問題提起であり、学者や歴史家に対しての諸説への提起ではありません。項目内の表現に対し、ある程度の中立性を望んでの事です。Libertas 2012年4月17日 (火) 02:53 (UTC)