ノート:ラトレイア

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申し訳ないですが、初版作成者へ苦言を呈させて頂きます[編集]

随分加筆しましたが、申し訳ないですが、初版作成者でいらっしゃるEvangelicalさんへ苦言を呈させて頂きます。
こうした事は以前にもありましたが、なぜ、正教会、ローマカトリック教会の文献を碌に調べずに、プロテスタントの文献のみ、もしくはプロテスタントの文献に主に拠るような形で、正教会、ローマカトリック教会関係の記事を作成されるのでしょうか?
例えば私が正教会の自派のアポロギアとしての比較神学の文献に主に拠って「聖書のみ」とか「全的堕落説」の記事を(当然両方に対して批判的な内容の濃いものとして)作成したらどうなるでしょう?それは適当と言えるでしょうか?
「逆」を考えればすぐ、こうした記事作成が妥当かどうかはお分かりになる筈です(それ以上の説明は当面不要と思います)。このような記事作成はどうか止めて頂きたく思います。当方もローマカトリック教会には全く暗く、リソースに限界があります。
正教関連の文献は少ないでしょうから、正教についてまで調べろといった無茶は申しませんが、せめてローマカトリック教会に係る記事を作るのであれば、ローマカトリック教会関係の文献位は精査して下さい。御利用になっている図書館にローマカトリック関連の文献位ある筈です。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
日本語ではカトリック辞典、アウグスティヌスとトマス・アクィナスを調べました。あとは英語から持ってきたものです。逆の例は大量にあります。それが、そもそも私がwikiに書くようになったきっかけの一つです。--Evangelical 2010年5月29日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
>逆の例は大量にあります。
分かっています(その事情は正教会こそ深刻です/でした)。しかしながら「相手がやっているからこちらもやっていい」のでしょうか?そうではないでしょう。我々はより良質な中立性を追求すべきです。「やられたらやり返す」というのは主の命じる所にもそぐわない筈です。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 15:00 (UTC)[返信]
英語版では「批判」の節が私のブラウザでは12行もあります。私の作成した日本語版の初版ではわずか2行です。もし批判を書こうと思えば、宗教改革以来、数百年分の文献を利用できますが書いていません。この項目は正教やローマに対するプロテスタントPOVを発生させるために作成したものでは決してありません。トーク:交響曲第8番 (マーラー)にある誤用をご覧下さい。--Evangelical 2010年5月29日 (土) 15:10 (UTC)[返信]
なるほど、英語版に対する認識が異なるところにもお互いの見解の相違の原因がありそうです。私は英語版は「リベラルVS福音派」の論点の強調という「議論の場の選定」の段階において、論点に偏りがあると観察しています。正教についても(教派間のみならず正教内の問題についても)実はそれほど中立的には書かれていません。英語版を私は全面的には高く評価していません。むしろロシア語版やドイツ語版の方が、部分的には優れていると感じています。「英語版では○○」と仰られても、「ではその英語版に問題がある」というのが私の回答になります。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 15:27 (UTC)[返信]