ノート:ヨーゼフ・ゲッベルス

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


名前のカタカナ表記[編集]

ヨーゼフ・ゲッベルス」と「ヨゼフ・ゲッベルス」との二通りの表記がありますが、前者を採用しました。その理由は、双方のところをクリックしてみてください。Kadzuwo 13:08 2004年3月3日 (UTC)

現在の外部リンクは必要でしょうか? 面白いとは思うのですが、百科事典としてはどうなんでしょう? U.S.S.Momotaro 13:55 2004年3月3日 (UTC)

もともとはシャレで作られたものですが、娯楽要素を持った一種の教育映像だと考えてリンクしています。元の場所も知っているのですが、そちらは見る人を選ぶ (シャレがキツい) サイトなので、あえてこちらにリンクしました。これを見た人の多くは、決して二度と誤記しないものと思います。Kadzuwo 14:01 2004年3月3日 (UTC)

そうではなくて、そういった間違いを正すことは記事中で可能なのではないですか? フラッシュの宣伝とも取れますし。U.S.S.Momotaro 14:03 2004年3月3日 (UTC)
誤りであるという事実を述べただけでは誤記はなくならないのではないでしょうか。
現実に、現在でもネット上で「ゲッペルス」と書いているところはたくさんあります。
このフラッシュを見てもあえて誤記の方を選ぶという人もいないわけではないでしょうが、かなりの方は気をつけてくれるようになるものと思います。少なくとも自分はそうでした。
なお、元サイトにリンクしなかったのは、宣伝にならないように、ということでもあります。Kadzuwo 14:53 2004年3月3日 (UTC)
ウィキペディアは百科事典であり、事実を記述する場であり、誤記をなくす運動をする場ではありません。良くある間違いを間違いであると指摘すればそれでよいと思います。
ゲッベルスを百科事典的に記述するうえであのフラッシュは絶対に不可欠である、どうしても外すべきではない、とお考えであるならこれ以上反対はしません。U.S.S.Momotaro 15:20 2004年3月3日 (UTC)
当該項目の冒頭にもあるように、百科事典は正しい知識を普及する場であると考えております。その上で有効であるというのが自分の考えです。Kadzuwo 16:13 2004年3月3日 (UTC)
もう争わないことにします。何の話? と思われた方は「宣伝相の悩み」でウェブ検索してみてくださいませ m(_ _)m。Kadzuwo 10:34 2004年3月4日 (UTC)

映画関係について、追加しました。また、「ゲッペルス」という誤記については、以前は搭載されていたようですが、外部リンクをはるかどうかの議論の中で削除されました。ただ、日本ではこの誤記がかなり広まっていることも考えると、事実を指摘しておくことが必要かと思い、加筆しました。

>「ゲッペルス」という誤記
恐らくは、綴りからも発音からも「ペ」ではなく、「ベ」のほうがより本来に近いのでしょう。しかしながら、例えば現在入力中のカナ変換でも「(げっぺるす)→(ゲッペルス)」と一発変換されますが、「(げっべるす)→(げっベル素)」です。それほどに日本では「ゲッペルス」が一般的。「正しくない」と断定するよりは、「本来は○○のほうが、、、」と付記するくらいが適切だったような気もします。あくまでも雑感として。--Jewjew 2007年10月19日 (金) 12:21 (UTC)[返信]
この件ですが、日本語の「べ」や「ぺ」のようにハッキリ発音する部分ではなく、敢えて言えば「べとぺの中間」くらいというのが実際であって、「”ぺ”という誤りを正すべき!」と鬼の首を取ったように息巻くようなものではないでしょう。日本語の慣用表記が「ゲッペルス」になっているのも、実際に音を聞いた昔の日本人が「ゲッペルス」と受け取ったからこそだろうし、それはそれで正しいのです(つまり、「誤記」との決め付け自体が勇み足かと)。-Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありません --Eros618 2010年8月6日 (金) 10:09 (UTC)[返信]

勤務先[編集]

執筆者様へ; 短期間勤めたこともあったのはケルンの新聞社ではなくドレスデン銀行ケルン支店では? ゲッベルスは9ヶ月間銀行員をやって突然辞めています。この時に国際的金融ユダヤ人に対する憎悪を覚えたようです。 また、博士号を授与されたのはボン大学ではなくハイデルベルク大学哲学科では? 参考書は「ヒトラーの共犯者上巻 グイド・クノップ 著、高木 玲 訳」です。2005.5.6--以上の署名のないコメントは、220.19.128.102会話/Whois)さんが 2005年5月6日 (金) 14:49‎(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。

博士号[編集]

英語版に1921年にハイデルベルク大学で博士号をとったとあります(実際は知らないので改正しません)。hans_castorp81 2005年5月6日 (金) 15:11 (UTC)[返信]

アーリア的女性[編集]

「ゲッベルスがいわゆる「アーリア的」女性を非常に好み」とありますが,これは「非アーリア的」の間違いではありませんか? 史上最も有名な(?)ゲッベルスが浮名を流した女優Lida Baarova は,国籍はチェコで(ドイツへの併合後ですけど),名前からしても典型的スラブ系(その東欧っぽい,エスニックっぽいところが銀幕で人気だったらしい)であり,ヒトラーが激怒して手切れを厳命した理由も,まさにその非アーリア性にあったと記憶しますが.にごう 2005年6月29日 (水) 14:42 (UTC)[返信]

「文学者」との表記について[編集]

「パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels, 1897年10月29日 - 1945年5月1日)は、ドイツの政治家、文学者。ナチ党政権の国民啓蒙・宣伝大臣を務めた」とされています。ゲッベルスが政治家であったことは当然ですが、「文学者」とするのはどうでしょうか? 確かにゲッベルスは若き頃に作家を夢見て、自伝的小説「ミハイル」などのいくつかの作品を書いており、それらはナチ時代になってから出版されています。また、彼は生涯、自分は単なる政治家ではなく作家であると自認しており、演説や論説を集めた本を出すことも作家としての仕事である、と考えていたようです。しかし、客観的に見ると、ゲッベルスは「政治家」と並び称せられるような「文学者」ではなかったと見るのが正しいのではないでしょうか。現在の日本でも政治家などの本業の傍らに小説を書いている人は多いのですが、彼らをすべて「文学者」と呼ぶわけにはいかないと思います。--211.2.12.63 2008年4月30日 (水) 00:53 (UTC)Sie[返信]

1ヶ月がたちましたが反対意見はないようなので、上記主旨の通り修正します。--211.2.13.236 2008年6月3日 (火) 15:07 (UTC)Sie[返信]

1932年11月の選挙について[編集]

ヒトラー権力の本質」白水社著イアン・カショー、訳石田勇治p78には選挙後、ゲッベルスの日記に「われわれは近いうちに権力の座につかねばならない。さもなければ、われわれは選挙で死に絶えるだろう」と書いてるとあり、もしゲッベルスの失敗ならばこのように書くのかなと疑問に感じました。また、「ヒトラー独裁への道」朝日選書、著ハインツ・ヘーネ、訳五十嵐智友P295~296によれば、ヒトラーは選挙戦前に「ポテンパ・テロ殺人事件」(突撃隊員が共産党員を殺害した事件)の犯人に死刑判決を受けた容疑者に対して、激励の電報を送ったとあります。ただ、その前の共産党提出によるパーペン内閣における不信任案にヒトラーは同意していることもあるので、なんとも言い得ないのですが・・・。気になりましたので、コメント程度にご拝聴ください。--Hideokun 2009年5月5日 (火) 10:07 (UTC)[返信]

署名の際の博士号記載について[編集]

サインにDr.とつけることをあたかもゲッベルス個人の衒学的性格のあらわれのように書く記述がありますが、ドイツにおいて署名の際にDr.の称号はむしろ省いてはいけないものなので、そういった記述を再度追加するのはやめて下さい。ブリキ 2010年2月24日 (水) 11:04 (UTC)[返信]

グイド・クノップ著、高木玲訳『ヒトラーの共犯者 上』(原書房)36ページに「学生ゲッベルスは『ドクトル』に昇格したのである。彼は何時間も練習して、いまやアカデミックな肩書のついた自分の名前をみごとなサインに仕上げた。彼がドクトルの称号をはぶいて自分の名前を書いたことは、これ以後一度もなかった。」と記述されていますので参考までに。--Omaemona1982 2010年2月25日 (木) 07:05 (UTC)[返信]

その本はドイツでもよく売れていて私も読んだことがありますが、クノップによる主観的な記述が散見されるもので、ほぼ通俗書というべきものであろうと思います。Zeitschrift für Geschichtsdidaktik http://www.uni-muenster.de/Geschichte/AAhist-dida/Naepel/download/Knopp.pdf  でも彼の監修した歴史番組シリーズおよび著書の恣意的で断定的な非学術性が徹底的に批判されているので、もし記載するのであれば、「クノップは~と記述している」くらい書かないと、かなり偏向した記述になるでしょう。ブリキ 2010年2月25日 (木) 16:15 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

肥大化しているので語録の項目をウィキクォートq:ヨーゼフ・ゲッベルスへ分割することを提案します。--Omaemona1982 2010年9月17日 (金) 10:37 (UTC)[返信]

(賛成)「ゲッベルス自身の発言」の部分を分割するということですよね? それならば賛成いたします。--高木あゆみ 2010年9月23日 (木) 09:51 (UTC)[返信]

ハーバード方式など[編集]

出典節の「西城信訳『ゲッベルスの日記』」や「ゲッベルス 1974」のハーバード方式が動作していません。また、出典節と脚注節の分け方に規則性がありません。もし、ハーバードで動作するものと、それ以外としたいのであれば、前者をgroup指定した方が良いと思います(後から加筆する人は、groupを指定などしないでしょうから)。--JapaneseA会話2017年6月28日 (水) 16:27 (UTC)[返信]

チェック 修正されたようです。--JapaneseA会話2019年2月12日 (火) 13:50 (UTC)[返信]