ノート:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

作品表の作成をなさった方、どうもおつかれさまです。でも、バッハの作品は非常に多いですので、殆どをリストアップするとなると、別ページでの記載も考えなければならないと思います。他の皆様はどうお考えでしょうか。a perfect fool 18:25 2003年12月18日 (UTC)

モーツァルトの楽曲一覧というのもありますし、個人的には別ページ化してもよいのではないかなと思います。Tomos 18:54 2003年12月18日 (UTC)

Tomosさん、コメントありがとうございます。作業中に移動してしまうのも悪いですから、しばらく様子を見てみます。更新が一段落してからの移動でも遅くは無いでしょうからね^-^。
ところで、本文の履歴の要約に、「偽作を削除」とあったのですが、かつてはJ.S.バッハの作とされてきたが、現在では偽作(贋作)とする説が有力という作品も、その旨を明記(別の見出しを付けるなど)した上でリストアップしても、それはそれで有用な記述だと思うのですが、他の方々は如何思われますでしょうか? a perfect fool 21:29 2003年12月20日 (UTC)
同意見です。何か削除するべき特別な事情があれば別ですが、基本的にはそういう情報も読者としては参考になると思うので。Tomos 14:16 2003年12月27日 (UTC)

管弦楽組曲を主な作品とするのは、いくらなんでも無理があるので ヨハン・セバスティアン・バッハの作品一覧に移動しました。 主な作品としては、むしろフーガの技法のほうがふさわしいと思います。 Musica8:11 2004年07月03日 (UTC)

フーガの技法は世間一般のひとにとって、比較的マニアックな部類だと思いますので、少しだけ追加します。 自分は、特殊な作品、という紹介も気になりますので、修正させて頂きます。

ではあなた自身は「対位法」を研究されたのですか? 諸規則をマスターしていますか。記事の書き方より、和声学もマスターしていない。何か理解していない割に物知りかぶりの印象を受けます。結局は「バッハ作品目録」の引き写しなだけです。

--TheGreatMilkyWayRailRoad 2011年9月7日 (水) 16:47 (UTC)[返信]

ミドルネームは?[編集]

ミドルネームは、セバスティアンでしょうか、ゼバスティアンでしょうか?? 2004年7月12日 (月) 05:00 (UTC)[返信]

すみません。「ヨハン・ゼバンスティアン・バッハ」に移動したつもりが、ゼバスティアンとバッハの間のナカグロが変なことになってしまいました(ナカグロを半角にしてしまったのかな?)。これは修復はできないのでしょうか?
とりあえず元に戻しました。というかゼバスティアンと二重に間違っていましたよ(汗。で、「ゼ」のほうが良いんでしょうか?(毎度参考程度にしかならないけどGoogle: セバスティアン4,430件 ゼバスティアン1,300件) Tietew [Talk] 2004年11月18日 (木) 07:27 (UTC)[返信]
ご迷惑をおかけします。無事、「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」に移動できました。ドイツ語の-se-は語頭に来ても語中に来てもzeと発音されますので、ゼバスティアンという表記のほうが誠実といえます。Thierry 2004年11月18日 (木) 07:34 (UTC)[返信]

通奏低音を基礎にした対位法的音楽[編集]

>バッハの作風は、通奏低音を基礎にした対位法的音楽であり、当時までに存在した音楽語法を集大成し、さらにそれを極限まで洗練進化させたものである。従って、バロック時代以前に主流であった対位法的なポリフォニー音楽と古典派時代以降主流となった和声的なホモフォニー音楽という2つの音楽スタイルにまたがり、音楽史上の大きな分水嶺となっている。

の最初の文は、文として変では?

  • 通奏低音を基礎→和声的なホモフォニー音楽
  • 対位法的音楽→バロック時代以前に主流であった対位法的なポリフォニー音楽

かと思うのですが。

修正してみました。如何でしょうか。ページがなかなか発展しないので、浅学非才ながらもたたき台のつもりで投稿しております。おかしなところはどんどん修正していただければ幸甚です。
通奏低音と対位法は、違う様式だと思うのですが。

大雑把に言えば、純粋に対位法的に作曲するのがルネサンス音楽、通奏低音による和声の補充の上で対位法も用いられるのがバロック音楽(鍵盤楽器の独奏曲は別ですが)、より和声的な響きの充実が重視され、合奏曲においても通奏低音による補充が必要なくなるのが古典派以降の音楽ではないでしょうか。バッハのミサ曲や受難曲のスコアをご覧になれば、通奏低音の上で様々なパートによる対位法が繰り広げられているのがわかると思います。--Gruppetto 2008年11月20日 (木) 17:31 (UTC)[返信]


ご苦労さまです。何故か「通奏低音」という伴奏形態と、音楽理論としての「対位法」を混同して認識されているようです。また、そのように解説されている文献もないはず。「より和声的な響きの充実」とありますが、対位法には学者により「純粋対位法」と「和声的対位法」があります。「通奏低音」は、単なる伴奏形態です。

また第二の誤解として、BACH=対位法を連想します。CD等でBachのCDを購入すると必ず対位法を駆使した作品が並びますが、Bachの全作品では対位法を展開している例は稀です。(特にKantatas等)。また古典派にはContinuo、General Bassがないのは、対位法とは無縁のことです。

但し、些細なことで論争しているより、Bachの「音画」、音による象徴法には、まったく触れていないのが残念。視覚的、聴覚的にある事柄を説明する象徴法は、バッハの音楽で特に重要です。 --TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年12月20日 (月) 03:51 (UTC) 署名は必ず投稿ごとにプレビューで確認後、投稿しております。今回は大丈夫でしょうか。[返信]

返す返す、あなたの「知ったかぶり」投稿に強烈な不快感を覚えます。まったく初歩的な音楽理論、楽式論に無知な割に、知ったかぶりを装う。あなたの書くことにはデタラメが多い。 --TheGreatMilkyWayRailRoad 2011年9月7日 (水) 16:51 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

その昔ウィキペディアの何処かしらでも書いたと思いますが、百科事典ですので、人名は、実際にどう発音されるかよりもむしろ、どう表記されているかを基準にすべきだと思います. 日本で「バスティアン」と書く人は稀ではないでしょうか? 個人的に検索結果を引き合いに出すのは好きではありませんが、他では数字が見え難いのでとりあえず挙げておきますと、セバスチャンセバスティアンが5000超に対してゼバスティアンは500程度です. (ダブルクォートで囲むとその差はより顕著になります.) 引用やミラーリングの数が確認できないのでこの数字にどれだけ実効性があるかは疑問に感じるところですが、「ゼバスティアン」に関しても現在では幾らかウィキペディアからの引用が含まれていると思われますので、現在の記事名には疑問を感じざるを得ません. 将来、「ゼバスティアン」の表記が増えた時には再度見直すとして、当面の記事名については再考していただけないでしょうか. a perfect fool 2005年8月28日 (日) 10:48 (UTC)[返信]

あれ、本記事名は濁点ありだったんですね。ご指摘までセバスティアンだと思い込んでいて、これまで関連する記事ではずっとこれで表記してしまいました。a perfect foolさんと同じく、ベートーヴェンがそうであるように、もっとも一般的な表記に従うべきだと思います。ちなみにGoogle検索でゼバスチャンは37件でした(「セバスチャン」との対比という意味で)。--みっち 2005年9月1日 (木) 03:11 (UTC)[返信]
一般的かどうかは判断しかねますが、音楽辞典などではゼバスティアン表記は見受けます。たらこ 2005年9月5日 (月) 09:49 (UTC)[返信]
「セバスチャン」が一般に浸透していると思います。が、とりあえず「セバスティアン」にしておいて、(「ゼバスティアン」ともいう。)と説明の文章を入れてはどうでしょうか。2005年9月13日

旋律楽器作品 [編集]

「リュート」が完全に無視されてるのはどうしてでしょうか?BWV995-1000, 1006aとたくさんありますよ(しかも全部無伴奏)--Melonmelon 2008年6月24日 (火) 12:18 (UTC)[返信]

いや、「バッハ作品目録」は分厚い電話帳のごとき内容をもっています。新バッハ全集の作品目録の作品目録のコピペだけに頼るだけではなく、そうした記載、項目があること自体が無謀と考えています。意味が薄いのです。

--TheGreatMilkyWayRailRoad 2011年9月7日 (水) 16:58 (UTC)[返信]

声楽作品 [編集]

こちらも「ヨハネ受難曲」「クリスマス・オラトリオ」が抜けています。省略するには大作過ぎるのでは?--Melonmelon 2008年6月24日 (火) 12:21 (UTC)[返信]

「小川(bach)」と「大海(Meer)」の部分について[編集]

下記の《》の部分について、まことに勝手ながら修正させていただきました。 もし問題等ございましたら、下記よりコピー&ペースト等で再修正していただければ幸いです。

ベートーヴェンがバッハについて語った『和声の父祖』、『「小川(バッハ、bach)」ではなくて「大海 (Meer)」』という言葉は、《現在ではドイツ音楽中心主義的な発言として批判的に語られることもあるが》 (※《》の部分は本文中では「要出展」の表示になっています。)

ドイツ音楽中心主義的な考えが生まれた時代を考えると、ベートーヴェンの上記の発言をそのような主義と認めるには、あまりにも早すぎるのではないでしょうか。ドイツ音楽中心主義は、もっと後の時代つまりシューマンの時代の頃の話のはずです。(このことは石井宏の著した「反音楽史」でも確認できます。) 18世紀における音楽文化には、イタリアが圧倒的な優位に立っていたという事実があります。それを後の時代(シューマンの時代)に「音楽史」として、ドイツ中心に編纂したことが、今日まで続く音楽史の大方の流れです。そのせいか、18世紀イタリアのオペラ作曲家は音楽史には全く登場しません。

話が逸れてきましたが、ベートーヴェンの発言を、ドイツ音楽中心主義的な発言と捉えるにはあまりにも見当違いで、証拠不足です。また、仮にそのような発言がなされたとしても、それは圧倒的マイノリティであり、「一般的なバッハ論」から大きく外れかねないので、修正させていただきました。--Maw8335 2009年4月1日 (水) 06:55 (UTC)[返信]

せっかく書かれていた上記のベートーベンの逸話が削除されてたのでその他を作成して復活させました。 要出典のうちメンデルスゾーンの話はメンデルスゾーンの項目に出典が明示されています。 --巴赫 2009年8月28日 (金) 11:17 (UTC)[返信]

「近代音楽の父」なる記述について[編集]

「近代音楽の父」と書かれていますが、近代音楽の項目をみると、「西洋のクラシック音楽においておおよそ20世紀初頭(あるいは19世紀末)頃から第二次世界大戦の終わり頃までの音楽を指す。」とありますが、単純にバッハの生きた 1685年3月21日-1750年7月28日からしても年代があいません。いかなる出典によって、「近代音楽の父」と記述されているのでしょうか?--Evangelical 2010年1月7日 (木) 15:04 (UTC)[返信]

もう一週間待って、「近代音楽の父」の出典が提示されなければ、該当部分を削除します。--Evangelical 2010年1月15日 (金) 13:54 (UTC)[返信]
2007年6月9日 (土) 09:56時点における版で最初に「近代音楽の父」との記述をなさった、61.25.64.90氏は、アクティブではないようです。--Evangelical 2010年1月19日 (火) 14:28 (UTC)[返信]
同じような疑問を持った人がいたのか、こんな質問ページが見つかりましたが何か参考になりますでしょうか。--Gustav 2010年1月20日 (水) 07:01 (UTC)[返信]
Gustavさん、ありがとうございます。参考にいたします。--Evangelical 2010年2月2日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

「近代音楽の父」でグーグル検索をするとバッハに関するものがいくつか出てきます。例えばこれです [1]。 確かに、近代音楽と言えば20世紀初頭からの音楽を指しますが、単に『近代』と言った場合には様々な定義があり、ヨーロッパではそれこそルネッサンス以降を「近代」とするような伝統もあります。そして現在ではフランス革命以降を近代としています。詳しくはWikipedia:近代#ヨーロッパをご覧下さい。
つまり、歴史的に大きな転換点となった時点より新しい時代のうち、「現代」を除いた時代を「近代」と呼ぶ訳です。バッハがクラシック音楽の歴史に与えた影響が非常に大きく、バッハ以前とバッハ以後に音楽を分けることも出来なくはないので、ルネッサンス以降、又は産業革命以降を「近代」と呼ぶような感覚で「近代音楽の父」と呼んでいるのだと思います。そういう意味では必ずしも的外れであるとは思いません。単にこの記述を削除するのではなく、「ルネッサンス以降、又はフランス革命以降を『近代』とするような意味で『近代音楽の父』とも称される」といったように補筆するのも一つの方法かと思います。--Gruppetto 2010年1月20日 (水) 16:38 (UTC)[返信]

これはバッハの項目なのですから、近代についての説明を冒頭に持ってくるのは事典として無駄ではないでしょうか。またリンク先にある本をまだ読んではおりませんが「バロック音楽を集大成した近代音楽の父」なる表現は、翻訳の本のキャッチコピーではないですか。あえて近代音楽という、バッハの音楽とは異質の音楽と混同されかねない「近代音楽の父」の語を使う必然性があるとは考えられません。たとえば神学の世界では「近代神学の父」と呼ばれるのはフリードリヒ・シュライアマハーですが、近代神学といえばシュライエルマハー以来のある特定の神学を指し、近代以降の神学全般を指す語ではありません。また、掲示板なので出典にはしませんが「近代音楽の父」とはバッハへの日本独自の呼称?」との指摘はまことにその通りであり、バッハを「近代音楽の父」とする記述が世界的な視野に立ったものとも考えられません。世界的観点のタグを付けます。アルノルト・シェーンベルクを「近代音楽の父」と呼ぶならわかります。--Evangelical 2010年2月2日 (火) 14:52 (UTC)[返信]


私は、このように補筆するのも「一つの方法」かと提案したまでで、「近代音楽の父」という記述が絶対に必要だと主張しているわけではありません。有っても無くてもよいと感じます。
いかなる出典によって、「近代音楽の父」と記述されているのでしょうか?
とあったので、実際にそのように使われている一例を御紹介したのみです。近代音楽との混同を招くので不適切な面もあるのは確かですね。--Gruppetto 2010年2月3日 (水) 18:13 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。確かに私はそう書きましたので、その一例を紹介してくださった旨を了解しました。「音楽の父」という記述についても議論が必要になるかも知れませんが、「近代音楽の父」の記述については「有っても無くてもよい」もので混同を招く可能性があるという合意が得られたものとして削除します。--Evangelical 2010年2月9日 (火) 17:00 (UTC)[返信]

聖トーマス教会のカントル「トーマスカントル」は存在しません。[編集]

通例Bachをこのように呼びならわす習慣があることを認めないわけではありません。しかし、Bachの職責はライプツィヒ当局の音楽総監督としてであり、1教会に対するカントールは存在しません。

>1708年、再びヴァイマルに移って宮廷オルガニストとなった。多くのオルガン曲はこの時期の作品である。....これは旧説です。シュピッタ、フォルケルによって伝えられてきた旧説です。実際は1735年以前に書かれた作品は1735年に大々的に、かつ徹底的に改作され、1740年にも同様に改作されています。

>通奏低音による和声の充填を基礎とした対位法的音楽という、バロック音楽に共通して見られるものであるが、特に対位法的要素を重んじる傾向は強く、当時までに存在した音楽語法を集大成し、さらにそれを極限まで洗練進化させたものである..........これは単なるBachだけに見られる音楽特質をバロック全体の音楽傾向として混同しているだけです。Bachの時代にあっても、対位法という旧式な理論であったことは忘れてはなりません。また「音楽語法」はどういう意味で使われているのか不明です。理解できません。本当に「対位法」の理論をご存知ですか?本からの丸写しや、言葉の使い方に疑問があります。

>ライプツィヒ時代の初期数年間においては、毎日曜日の礼拝にあわせて年間50~60曲ほど必要となるカンタータをほぼ毎週作曲、上演するという、驚異的な活動を行った。..........これも旧説をあなたの感覚に合わせて言い換えただけです。カンタータの大半は1723年から1726年、27年に集中して書かれており、Leipzig時代に書かれたカンタータは1曲程度です。Leipzig時代は今までに書いてきたバッハ自身のカンタータの再演、バッハ一族の作曲したものを上演していたようです。小さな部分の修正だけで済ませています。また当時は、1週間に一曲程度作曲を提供することは作曲家に通常課される義務で、現在の尺度で測れるものではありません。 1740年頃から没するまでバッハ自身の眼病もあって、作品の数が激減する年でもあります。


>最近の研究では、バッハが最後に完成させた曲とされる。.....これもあなたの推測です。おそらくロ短調ミサの原稿が後半にいくほど見事なほどの乱筆、インクの飛び散り、文字の書き間違い、続き文字を使わずに一文字づつ筆記する、音符は書き間違う醜態から推定されていると思います。根拠に乏しい。

最後の作品とするには、やはりここではフォルケル説を採用せねばならない。「われら悩みの極みにありて」のメロディーによるコラール前奏曲をアルトニコルに筆写させたが、ただし、曲の題名は同じ節で歌われる「汝のみ座のの前にわれ今進み出で」の歌の冒頭を置くように命じた。現在、この曲は「18のコラール」の最終曲として、あるいは版により「フーガの技法」最終ページに、息子の注釈とともに掲出されていることがあります。 で、なければ息子の「フーガの技法」最終ページに注釈として書かれた「B-A-C-H」テーマを導入したところで、作曲者は死亡した」記事のどちらかに軍配を上げなければなりません。

暇があれば全面的に書き直すつもりです。このページを書いた人の思い込みや、現在までのバッハ研究の最新資料という点では大いに不満が残ります。 --TheGreatMilkyWayRailRoad 2011年1月28日 (金) 08:34 (UTC)[返信]


この記事には出典が示されていない、とあるのは、「フォルケル」「シュピタ」「シュバイツァー(あのシュバイツァーと同一人です)」角倉氏による「バッハ叢書」からの引用です。何故なら、生前のバッハの子息に直接会って伝記、というより評伝を執筆することが出来た唯一の作者だからです。以降、バッハの伝記を書く大家が現れなかったこともあり、バッハに限っては生前の私的生活に証言を得られる書簡などが散逸してから後のことであったため、伝記の書きようがなかったわけです。

ただ、忘れてほしくないのは、バッハは作曲家としては生前より認められていなかった。あくまでオルガンの名手、対位法の大家であった点だけです。ゆえにバッハ自身の作品の再演は、約100年以上後になってからの話です。このあたりの事情には、シュバイツァーの著作「バッハ」で詳しく的を得た著作で知ることが出来ます。

またWikipediaの記事として構成するのはかなり難しく、バッハの人生の経歴.....例えば音楽を学んだ師匠の名前すらわかっていません。独学であった可能性もあります。またバッハはベートヴェンのように、時代を超越する存在ではなく、あくまでも時代の要請に従い、その時代に採用されていた形式や作曲技法を、疑うことなく無条件で受け入れた作曲家です。シュバイツァーが「バッハ」という著作で、今後、バッハの書簡や生活にその実態を詳細にわかる資料が発見されても、バッハへの我々の音楽的理解には全く一助ともならない、というのが、本来の現実です。ベートヴェンは音楽理論さえ、彼の脳裏に従い、その芸術活動は彼自身の生活体験に由来するので、「伝記」が成立します。伝記を読むことによって、ある曲が作曲された背景が理解できる。

バッハの音楽的特徴として、「音画」が挙げられます。バッハ一族に画家と作曲家、街の音楽師が多く輩出しています。また意外なことに、絵画を描くことを本業にした子孫も多く輩出しています。ただ、これも新生児死亡率が異常に高い時代にあって、それなりの天寿を全うした人が少ない。「多い」と言えるかは、バッハ一族を調べないと断定できません。

バッハに関する「音画」等の研究、音楽理論からのバッハ論は、すべてシュバイツァーの功績に頼るしかありません。

シュバイツァーの「バッハ」の著作は、もと、ある出版社から「シュバイツァー全集の一連の著作」として、全集に組み込まれていました。最近になり、「書籍復刊」と称して、「バッハ」の項目だけ3分冊として新たに復刊しました。ただ、内容的には旧版を紙型まで同じで出版しています。初版発行より50年を経過したためと思われます。非常に残念ながら、この間に、カンタータの作曲年代のシュピタの記述を盲目的に信用してきましたが、それまで信じられてきた時代考証を一変させる研究成果が認めらるようになってきて、カンタータの作曲年代や、教会・世俗カンタータへの再評価が現在進行中です。にも関わらず、再版された本には注記を加えることもせず、機械的に出版しています。それを割り引いても、それ以外のシュバイツァーの記述は、バッハ研究家を凌ぐ出来です。是非一読をお勧めしたいです。

--TheGreatMilkyWayRailRoad 2011年9月7日 (水) 16:19 (UTC)[返信]