ノート:ヤマトタケル

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草薙剣について[編集]

草薙剣を天叢雲剣に変更しました。草薙剣という名称は日本武尊が駿河で草をなぎ払ったエピソードに由来するもので当時は草薙剣と呼んでいなかったわけで、違和感がああります。Kurayamizaka 2004年12月14日 (火) 11:51 (UTC)[返信]

このエピソードはそのまま信じない方がよさそうですよ。天叢雲剣を見てください。 NiKe 2004年12月14日 (火) 12:28 (UTC)[返信]
そのことは存じております。伝説上ではこうなっていると言うだけのお話ですよね。今、熱田神宮にあるモノだって本物なのか?というのもありますし。ただ、東征の際に「倭姫命はヤマトタケルに草薙剣を与え」という記述に違和感があるということです。どっちにしろ「草薙剣」という名称は後になってつけられたものであろうと。ボクの説明不足のようで、すみません。Kurayamizaka 2004年12月15日 (水) 01:57 (UTC)[返信]
個人の違和感よりも、記紀の記述を優先した方がよいと思いますので、古事記は草那芸剣、日本書紀は草薙剣(天叢雲剣)になおしました。草薙という表記は後付けかもしれませんが、剣の名前は元からクサナギで、草薙のエピソードを後付けしたさいに、遡って天叢雲の名前が付けられたという説もあります。どっちにしろ古事記はもちろん、日本書紀も本文中には「天叢雲剣」の名前はありませんので。--123.220.9.86 2012年10月18日 (木) 07:36 (UTC)[返信]

生年について[編集]

ヤマトタケルの誕生を景行天皇2年(機械的換算では西暦72年)とするのは無理があります。この年3月に播磨稲日大郎姫を皇后にしたということで、彼女が産んだ双子の話をその年内と見ることは出来ません。「及壯容貌魁偉。身長一丈。力能扛鼎焉。」と明らかに成長後の話まで入っています。景行天皇27年に16歳という記事から、12年(換算は82年)とすべきです。あくまで日本書紀の記述ですが。--Capellanor会話2021年6月6日 (日) 16:24 (UTC)[返信]