ノート:ミシェル・バチェレ

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民社党=社会主義青年フォーラム=民社協会の記述について[編集]

日本の、すでに消滅した政党(民社党)がチリのクーデターにどういう態度をとったか、なんてことはミシェル・バチェレの記事に書くほどのことでもないとおもうのですが・・・・・。強いていうなら、チリ・クーデターの項目の末尾にでも移動した方がよいと思います。--Inti-sol 2006年5月6日 (土) 01:56 (UTC)[返信]

そうでしょうか? 社会主義青年フォーラムは現存する団体ですし、この団体が2006年(今年!)バチェレ政権が誕生したとき、民社党時代の見解を撤回して非を認めたというのですから、記事として重要だと考えますが。
- Opponent 2006年5月6日 (土) 02:06 (UTC)[返信]
社会主義青年フォーラムというのはそれほど重要な組織とも思えません。そうではない、重要な組織だということであれば、まずはウィキペディアに項目を立てるべきではありませんか。その上で、民社党がかつて出した見解というのも、社会主義青年フォーラムがそれを撤回して非を認めたというのも、チリ・クーデターについてのことなのですから、ミシェル・バチェレの項目に載せるよりはチリ・クーデターの項目に載せる方が、よほどふさわしいと思います。--Inti-sol 2006年5月6日 (土) 11:15 (UTC)[返信]
う~ん。何と申し上げればよいのやら。記事中述べられているのは、旧・民社党出身の現・社会主義青年フォーラムのメンバーがバチェレ政権誕生に動揺した、ということですね。現在野党第一党である民主党に所属する彼らは、党内で足並みを揃えるためにもバチェレを支持したい(支持する必要がある)。ところが反共主義の立場からピノチェトを支持した過去があったため、過去の見解を撤回し非を認めた、という経緯になります。旧・民社党出身の彼らは、現在所属する民主党党員としてバチェレを支持するためにも過去を精算しなければならなかったということです。ちなみに社会主義青年フォーラムというのは、旧・民社党出身者による民主党内の団体ですから、新たな項目を急いで立てる必要もないでしょう。また、ごく少数に過ぎない反共団体・民社党のメンバーがピノチェトを支持したなどという些細な事実は、記事「チリ・クーデター」内に記述する必要・意義は全くないでしょう。一方、記事「民社党」に一言書く必要があるか、と思って読んでみましたが、すでに「解党後の民社」に書かれていますし。
- Opponent 2006年5月6日 (土) 12:36 (UTC)[返信]

事実に反するわけでもないし、あっては困る、というほどの記述ではありませんから、そこまで重要と思われるなら、一応このまま残しておきます。ただ日本の民主党内の一グループがミシェル・バチェレの当選に動揺したとかしないとか、過去の民社党のピノチェト擁護の歴史を清算しなければならない党内事情が生じた、なんてことは日本側の旧民社党・民主党・社会主義青年フォーラムの内部事情であって、バチェレ大統領を紹介するために必要なことではないでしょう。民社党を紹介するには必要かもしれませんね。でも、それはもう載っている。それに対して、民社党だけに限らず日本を含めた諸外国のチリ・クーデターに対する態度については、あちらの項目に章立てしてもいいかな、と思います。例えばメキシコは大量の亡命者を受け入れて後ピノチェト政権と断交したこと、中国はピノチェトを支持したこと、などです。その一環として、日本政府と主要政党の態度について触れることはあってもいいかな、と。--Inti-sol 2006年5月6日 (土) 13:45 (UTC)[返信]

「日本政府と主要政党の態度について触れることはあってもいいかな、と」。それはあった方がいいでしょう、よろしくご執筆お願いいたします。ただし、民社党はいつも少数派でしたから、それなりの低い扱いでいいと思います。ところで重要性についてつけ加えるならば、民主党の党内事情に触れておくことは重要でしょう。「声明」では過去の「反共主義」を否定せずに居直り、「民主主義は反共の犠牲になってはならない」、と誤魔化している(ように読める)ところが笑える。民主党と同党内「民社協会」の体質を知るためにも重要だし、同じ左派であるボリビアモラレス政権との連携においても大いに注目されると考えるなら、バチェレ政権の国際的社会主義運動への多大な影響を示す一つの事実として、民主党の一部(旧・民社党)が事態を非常に重く見た現在の状況を日本語版ウィキペディアで指摘しておくことは、バチェレ政権の影響力を知る上で重要かつ必要ありと考えます。(上記記述に POV あり。でもここはノート (Talk) ですから)
- Opponent 2006年5月6日 (土) 14:25 (UTC)[返信]
POV の付け加えになりますが……上記投稿推敲しようとして各文書を見直す過程で件(くだん)の「声明」を再読いたしましたところ、どう考えても納得し難い記述がございましたのでついでに指摘いたします。「声明」の二つ目に、「自国民の拉致・虐殺・人権侵害を犯し続けてきたピノチェト体制への逆戻りを許さないという、同国世論」、とありますよね。これ、笑えない。いったいどの時点で社会主義青年フォーラムは「拉致・虐殺・人権侵害」の事実を認識したんでしょう。バチェレ政権が誕生するまで知らなかった? そんなはずはないでしょうに。つまり実は知っていて、バチェレ政権誕生までの間は「知らない振り」を続けた。ところがバチェレ政権発足確定で、「知らない振り」、は続けられなくなった。野党第一党に所属しているという特権的立場上、撤回しなければ自らがなした過去に拘束される。すなわち実のところ「民社協会」(つまり社会主義青年フォーラム)はピノチェト政権の「拉致・虐殺・人権侵害」を知っていて「知らない振り」を続けていたのに、バチェレ政権が発足したために過去の主張を撤回し非を認めざるを得なくなった――従ってこの声明は「歴史的迷文」とも言えましょう。「拉致・虐殺・人権侵害」を犯したピノチェト支持をようやく2006年になって撤回したというわけです。なんとまぁ。
- Opponent 2006年5月6日 (土) 15:57 (UTC)[返信]
POV を中和するため、あまりにも有名な虐殺の例を一つ挙げておきます。歌手ビクトル・ハラが衆人環視の中、ギターを弾くための両手を銃の台尻で手をつぶされ、それでも歌うのをやめなかったので衆人が見守る中で射殺された、という事実がございます。「民社協会」(つまり社会主義青年フォーラム)がこの事実を知らなかったはずはございません。念のため申し添えておきます。
- Opponent 2006年5月6日 (土) 16:32 (UTC)[返信]

記事内容の取り消しについて[編集]

記事の内容について、2022年6月20日23:34頃にIPユーザーが投稿した2回分の編集を取り消しました。(でたらめな書き込みがされていたため)- shu 2022年6月22日 (水) 02:31 (UTC)--shu 2022年6月22日 (水) 02:31 (UTC)