ノート:ホーリネス教会

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運動としてとらえるか教会としてとらえるかの違いはありますがかなりの記述がダブっており編集を続けていけばほとんど変わらないような記事になる可能性があります。両方存続か片方へ統合かを明確にしたほうがよいかと思います。Siyajkak 2007年10月27日 (土) 11:05 (UTC)[返信]

ホーリネス運動に日本における教会の一覧があり、こちらのほうにホーリネス運動に関する記述があるなど記述の内容がねじれています。記述のすみわけをするならホーリネス運動に歴史的経緯、ホーリネス教会に現在の教団の状況を記述するかが考えられます。どちらかに統合する場合はどちらがいいのか考えていく必要があります。Siyajkak 2007年10月27日 (土) 11:15 (UTC)[返信]

時間的に「ホーリネス運動」の中から「ホーリネス教会」が生まれたので、統合するとすれば「ホーリネス運動」項目として残るようにすべきでしょう。統合してもよいようには思います。--河内景隆 2007年10月28日 (日) 03:40 (UTC)[返信]

具体的に存在し観察可能なホーリネスの群れより、その軌跡であるホーリネス運動の記事が残るというのは、百科事典の記事の立て方として筋が悪いと思います。両方ある分には、切り分けがしっかりしていれば問題ありません。その意味で、現在、ホーリネス含むウェスレアン各方面と聖霊派諸派諸運動の記事が見通し悪くぐだぐだになっていて要整理だと思います。後から同じ内容を他所に書いた人に、責任とイニシアチブ取ってどーにかしていただきたいものですが。LR 2007年10月28日 (日) 05:34 (UTC)[返信]

とりあえずホーリネス運動とホーリネス教会の記述を入れ替えましょうか。歴史に関する記述はホーリネス運動のほうがよいし、現在の教団の実態とか教理関係はホーリネス教会のほうがよいと思います。Siyajkak 2007年11月16日 (金) 10:12 (UTC)[返信]

Siyajkakさんの意見に賛成します。ホーリネスはリバイバルで急成長した後、中田重治と5教授派の対立と分裂、日本政府と日本基督教団による弾圧を経て、いくつもの教会に分かれています。その流れと現状をわかるように編集できればいいのではないでしょうか。両方存続か統合か、いずれにしても、まず、「ホーリネス運動とホーリネス教会」の記述を入れ替えた方がいいと思います。--Evangelical 2007年11月28日 (水) 15:03 (UTC)[返信]

横からこっそりと意見を言うようですが…新たに「ホーリネス(プロテスタント)」という項目をつくり、そこに歴史的経緯や分裂までの経緯などをわけて書いてはどうでしょうか?意見的にはどちらかに統合ではなく、新記事名にて合併の上内容を整理という方向ですが。--Gura_shiva 2008年2月22日 (金) 21:14 (UTC)[返信]

多言語リンク[編集]

英語の「Sacred」(「神聖」という意味)にあたるwikidata項目にリンクされていたのですが、「Sacred」 と「ホーリネス教会」は内容的に一致しないので、 https://www.wikidata.org/wiki/Q1151419 (Sacred)というwikidata項目からこの「ホーリネス教会」を外しました。また、英語版ウィキペディアには「ホーリネス教会」にあたる「Holiness Churches」はただの「Holiness Movement」へのリダイレクトになっていますが、内容的に他にリンクできるページがないので、この「Holiness Churches」にリンクしました。より適切なやりかたがあれば、訂正をお願いします。--Ritsurin98会話2015年7月16日 (木) 13:10 (UTC)[返信]

編集提案[編集]

歴史の項目への追記と、教義の項目を作成したいと思います。

 歴史

キリスト教としての信仰の確立の歴史[編集]

イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、プロテスタント#キリスト教としての信仰の確立の歴史を参照

聖書は神の言葉という信仰の確立[編集]

聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照

 教義

おとめマリアより生まれたイエス[編集]

  • ナザレのイエスは、処女マリアから生まれた、と信じる。聖書に書いてある通りである。

ナザレのイエスは死んだけれども、よみがえった[編集]

  • 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。

ナザレのイエスは天に昇って行ってから、神の右に座った[編集]

  • ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
  • ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。
  • すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。

聖書は神の言葉だと信じる[編集]

指導者が聖霊に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖霊に満たされて書かれた聖書は、神の言葉である。<なお、聖書が神の言葉として成立した経緯については旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照>--Tokinokawa会話) 2020年8月23日 (日) 04:47 (UTC)本文に移行--Tokinokawa会話2020年12月5日 (土) 07:15 (UTC)[返信]