ノート:ハンガリー動乱

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ノート:ハンガリー動乱/過去ログ 冗長になったため、一部コメントを過去ログに移しました。呼称について関係のある部分および最近の議論のみを抽出しました。過去ログの節、『ハンガリー事件における日本の状況』および『動乱か事件か革命か』は、当時の日本の言論界の状況、及び1956年の動乱に対する、政治的スタンスによる評価の違いがまとめられているので、別途参照する価値はありますし、本ノートに復帰させた方がよいのかもしれません。また、Web上で確認できる専門家の見解としては、南塚信吾氏による世界史における「ハンガリー1956」も参照下さい。Hegyi János 2007年2月9日 (金) 20:19 (UTC)(2007年2月10日 (土) 07:54 (UTC)追記)[返信]

まとめ[編集]

動乱、事件、および革命と言った用語については、次にあげるように多種多様の解釈があります。

  • ハンガリー動乱という物言い自体が体制に対する反逆という意味合いですが(Tamachan21)
  • 用語のニュアンスを見た場合には、「動乱」はソビエト寄りで、「革命」はハンガリー寄りになるでしょうね。最も中立的なのは「事件」と言う事になるかと思いますが。(Hegyi János)
  • 「”動乱”という言葉には起こした側がマイナスであるニュアンスがある」などという改名理由は主観的なものに過ぎず到底受け入れることはできません。(Cave cattum)
  • 果たして「事件」という単純な言葉で肩付けられるモノでしょうか?。一方で、「革命」と呼べるほど、歴史上の革命に匹敵するモノでしょうか?。民衆の騒乱、党・政府の混乱、ソ連の無謀、これらを言い表すモノとして「動乱」はなかなか良い言葉かと思いますが。(MZM-MSYK)
  • 「Cave cattum」さんと、「MZM-MSYK」さんのご意見は、「動乱」という言葉がイデオロギー的背景とは関係なく口にされている、という証拠の一つなると思います。私も同じような印象を持っています。(Pica)

そのため、主観的な解釈に基づいて議論をしても無益だと思われます。ここでは、学術的、および一般的にはどういう用語が使われているのか、と言う事を軸にして議論を進めたいと思います。Hegyi János 2007年2月9日 (金) 20:19 (UTC)[返信]

GeNiiによる文献検索結果)

表記 CiNii WebcatPlus KAKEN NII-DBR
ハンガリー動乱 15件 2922件 1件 7件
ハンガリー事件 14件 41457件 2件 5件
ハンガリー革命 16件 20533件 3件 2件

古い研究や、関係ない分野の研究も含まれていますので、そのまま参考にすることは出来ません。

(用語の使用状況について)

  • 英語"Hungarian Revolution of 1956"(1956年ハンガリー革命)
  • 中国語「匈牙利十月事件」(ハンガリー10月事件)
  • 韓国語「헝가리 봉기」(ハンガリー蜂起)
  • フランス語"Insurrection de Budapest"(ハンガリー反乱・暴動)
  • ドイツ語"Ungarischer Volksaufstand"(ハンガリー人民蜂起)
  • スペイン語"Hungara revolucio de 1956"(1956年ハンガリー革命)
  • アラビア語"الثورة المجرية 1956)

(1956年ハンガリー革命)(Tamachan21)

  • 旺文社の世界史辞典では、『革命』の見出しのもとに1848年のものと、1956年のものを記述し、そのあとで『動乱』の項目も起こしています。岩波の世界史年表では、『民衆蜂起』と書かれています。(ねこぱんだ)
  • 以上のサイト(過去ログ参照)を見た感じでは、マスコミで「ハンガリー動乱」が使われているので、ほとんどの人は「動乱」と呼称しているのかな、と思いました。 日本の公官庁でも「動乱」が使われているようです。 (Pica)

ねこぱんだ氏の提示した旺文社の世界史事典に加えて、その他の事典、専門書などにおいて、どういう表記が使われているのかはある程度参考になるのではないかと思います。英語版においては、ハンガリー革命と表記されていますが、脚注に、参考としてアメリカ国務省の見解が示されています。官公庁での使用状況に加え、日本政府および外務省としての見解が示されれば大変参考になると思います。1957年の外交青書に掲載されているのかもしれませんが、ネットでは公開されていません。[1]Hegyi János 2007年2月9日 (金) 20:19 (UTC)[返信]

WebcatPlusによる検索結果で余りに差が出ているので、手で検索して調べなおしてみました。上の検索結果はGeNiiによって「連想検索」が選択されており、かなり広く拾い出すようになっていると思われます(「検索キーワードから関連性の高い単語を抽出し、それを含む図書をもれなく探し出す検索方法です」との説明文あり)。「ハンガリー事件」で検索された書籍の中には、解説文で「ハンガリー動乱」と書いているのに「ハンガリー事件」という言葉が書名・解説のどちらにも入っていないものもありました。
改めて検索したところ、書名に「ハンガリー動乱」を含むもの3件、「ハンガリー事件」を含むもの3件、「ハンガリー革命」を含むもの6件。キーワード(内容を反映しているはずです)では「ハンガリー動乱」で26件、「ハンガリー事件」で13件、「ハンガリー革命」で19件でした。なお、以上の検索結果を良く見ますと、同じ書籍の改版らしきものが別々にカウントされている、同じ書籍が異なる検索で両方に出ている、といったことがありました。さらに、「ハンガリー革命」でヒットする書籍はいわゆる新左翼系と思われるものが目立ち、「ハンガリー動乱」でヒットするものには大学の教科書ではないかと思われるものが散見されました。 -- NiKe 2007年3月20日 (火) 22:47 (UTC)[返信]

記事中の表記について[編集]

『「ハンガリー動乱」の参照する歴史上の出来事については、今日でも様々な評価があり、日本においては未だに呼称が定まっていないが、この記事内においては、報道機関などで一般的に使われる「ハンガリー動乱」と基本的に表記する。』
とりあえず、こういう表現でよろしいでしょうか。50周年の記念日の時、ちょうどハンガリーで大規模なデモが発生してましたが、その時のニュースの見出しが「動乱」だった記憶があります。グーグルのヒット数を根拠にするならば、こういう表現になるのではないかと思います。Hegyi János 2007年1月28日 (日) 10:02 (UTC)[返信]
保護が解除され、移動保護がされました。--Tiyoringo 2007年2月6日 (火) 13:54 (UTC)[返信]
表記に関する注ですが、「Hegyi János」さんの表現に賛成します。Pica 2007年2月6日 (火) 15:06 (UTC)[返信]
表記についての私の意見は現在Hegyi Jánosさんとの間で交渉中です。決まり次第、お知らせします。--Tamachan21 2007年2月9日 (金) 02:12 (UTC)[返信]
そのような相談はお二人の間でするのではなく、このノートでするべきではないでしょうか。他のページで相談なさって、「決まりました」と提示されてもこまります。Pica 2007年2月9日 (金) 03:17 (UTC)[返信]
移動保護となった経緯をまだご理解いただけておられないのでしょうか。(Hegyi Jánosさんとの間で交渉中、決まり次第お知らせする。)というのは、仲介者がすることならばまだしも、論争の当事者となったTamachan21さんがすべきこととは思いません。--Tiyoringo 2007年2月9日 (金) 20:28 (UTC)(←移動させていただきました。交渉中という文章に関するコメントでしたので)--Tamachan21 2007年2月11日 (日) 02:26 (UTC)[返信]
仮に私とTamachan21さんの間で合意したとしても、このノートにてコンセンサスを得ることには変わりませんから、変な誤解はなさらないようにお願いしたいと思います。Hegyi János 2007年2月9日 (金) 20:27 (UTC)[返信]
Hegyi Jánosさんにご迷惑をかける形となりましたが、私もHegyi Jánosさんと合意が得られた即ち本文における決定とするつもりはありません。飽くまでも私はHegyi Jánosさんと共同作業をして、案を作成したいだけです。--Tamachan21 2007年2月11日 (日) 02:26 (UTC)[返信]
現在、どの辺りまで話は進んでいるのでしょうか?。正直、私は思想的背景とかイデオロギー問題には疎く、そもそも「辞書」の上に、そのような記述は相応しくないと考えています。また、それが故に編集が制限されたり、「保護」状態に陥ったりするのはもっての外でしょう!。御三方には一刻も早い合意を形成していただいた上で、むしろ記事内容の充実を図って頂きたい、と思っています。。(以上、MZM-MSYKさんの記述。--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 11:21 (UTC)追加)[返信]
イデオロギーの対立を本文に持ち込むつもりはありませんが、この事件の本質を記述するとなると、やはり思想的背景やイデオロギー問題は避けては通れないと思います。前のノートにもありましたが、日本においても左右のイデオロギー対立がこの事件を巡ってどう位置づけるか主として、進歩派、保守派、新左翼の間でかなり激しい対立がありました。ちなみにHegyi Jánosさんと私との間には Hegyi Jánosさんも記述されていますが、基本的スタンスはほぼ同じですので合意は得られると思います。
決着が着かないために編集がしづらい状況になっていることは申し訳ないとは思いますが、時間をかけて解決するしかないと思います。--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 11:21 (UTC)[返信]
思想的背景やイデオロギー問題については、辞書ではなく百科辞典ですから、信頼できる資料をもとに、派生的な項目として記述することは問題ないと思いますし、歴史的事件の理解を促進する効果もあると私は思います。ちなみに、私のノートをご覧になればわかるように、私とTamachan21さんとの間においては問題はありませんし、また、自由に編集なさりたい方がいらっしゃるのならば、私はその方の意思についても同意します。ただし、今後再び編集保護状態に陥らないように、特定の表現について編集もしくはリバートを行いたい方は、その前にノートで議論する、といった手順を踏んで頂きたく思います。Hegyi János 2007年2月16日 (金) 07:23 (UTC)[返信]
「歴史的事件の理解を促進する効果も」とおっしゃりますが、最も肝心な(少なくとも私はそう思っています)「経緯」の部分が現状の分量では、そもそもの事実認識がし難いと思います。一方で、「革命の性質についての議論」や「再評価」が少々突出している気がします。しかも増えて行きそうですし・・・。
「特定の表現について編集もしくはリバート」云々については、ノートの冒頭に具体例を挙げておいた方が良いかと思います。初めて編集に参加する人に対して、「今までのノートの議論を全て読め」というのは、いささか酷な話ではないでしょうか。(以上、MZM-MSYKさんの記述--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 11:21 (UTC)記す)[返信]
難しいのはおっしゃるとおりで、それゆえに学会でもこの事件をどう位置づけるかはいまだ論議の最中です。しかし、この事件の性質に関する議論や再評価はこの事件をめぐる核心ですので、それを省くと言うのは難しいと思います。ノートのすべての議論を読むのは酷とのことですが、きついかもしれませんが、この議論の経緯をご理解いただきたいですし、できれば文献にも当たった上でご意見をいただければというのが私の率直な思いでもあります。--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 11:21 (UTC)[返信]
ご指摘、ありがとうございます。経緯が最も重要だという点につきましては、完全に同意いたします。および、百科辞典としての機能という面でも、異議を挟む余地のない部分ではないかと私は思います。再評価については、分量的に増えるようであれば、将来的に別記事として独立させた方がいいと思いますが、いかがでしょうか。
具体例については、一応進行中である、記事の表記についての議論がある程度まとまり次第、冒頭になんらかの注意書きを載せようと思います。Hegyi János 2007年2月16日 (金) 13:50 (UTC)[返信]
>>再評価については、分量的に増えるようであれば、将来的に別記事として・・・
別記事に、というのは思いもよりませんでした。そこで、そのような事例がないかと調べましたら、確かに、ある歴史的事件に対して、「~の論争」という記事が存在するようですね。
グーグル:ウィキペディア内での「論争」の検索結果
後々、そのようなページに分離・独立させるのも一つの手かもしれません。「ハンガリー1956論争」とか。
(追伸)Hegyi Jánosさんが示されました上記の「私のノート」部分が、赤字のリンク切れでしたので、勝手ながら修正させていただきました。失礼の段は平に。--MZM-MSYK 2007年2月16日 (金) 16:40 (UTC)[返信]
ミスを修正していただき、ありがとうございます。別記事というのは、別に歴史的事件のみでなく、その他の記事、例えば国の記事のハンガリーなどにもあります。関連性のある事項でも、詳細に記述すると本記事が冗長になりすぎる場合に使われる手段だと私は解釈しています。
とりあえず、論争というのは国際的な影響/反響の一部分ですから、独立させる場合、そうした形にするのが妥当かと思いますが、まだしばらく先のことですね。また、論争についてはTamachan21さんが詳しいようですから、彼/彼女のご協力をお願いしたいと思います。Hegyi János 2007年2月17日 (土) 10:51 (UTC)[返信]

保護解除がなされましたが[編集]

引き続きノートで議論したほうが望ましいようですね。私、個人は日本における思想的状況だけは本文に反映できればと思いますが、呼称との関連があるので、移すのは皆さんの同意を得たほうがいいのかもしれません。--Tamachan21 2007年2月9日 (金) 02:12 (UTC)[返信]

最近の議論[編集]

これがおそらく最後の回答になるのでしょうが、Hegyi Jánosさんもご指摘の通り、少なくともハンガリーにおいては1989年にハンガリー事件に関する再評価がなされ、反革命であるということは過ちであるとの再評価がなされているわけでしょう。そこからすれば、動乱という言葉が不適切でしょう。それに、動乱の言葉を用いていることすなわち共産主義者であると100%断言はしていませんよ。ただ、イデオロギー的に日本において左右両派が事件を巡って呼称に拘泥しているということは前述したとおりです。
国際標準というのもWikipediaの他の国の項目タイトルを見れば、動乱に相当する言葉を使っているのは確認した限りではフランス語版だけです。そういうことを申しあげています。最後の質問ですが、これについては2006年12月24日 (日) 12:48 (UTC)で述べたとおりです。--Tamachan21 2007年1月27日 (土) 01:14 (UTC)[返信]
ハンガリーにおいて「ハンガリー事件」が再評価されたことと、記事名を「ハンガリー事件」とすることとの関連がわかりません。ハンガリーにおける再評価を記事名を変更する理由となさるのなら、なぜ、「ハンガリー革命」としないのでしょう。
「動乱」という言葉がなぜ不適切なのでしょうか。その言葉が広まった経緯と、現在使用している人の意図とはまったく同じなのでしょうか。説明をお願いします。
フランス語版では、「動乱」に相当する言葉が使われているということですが、つまりフランス人は「ハンガリー動乱」をハンガリー人による暴動か何かととらえているということでしょうか。フランスと日本だけが「動乱」に相当する言葉を使っていると言うことが、記事名の変更の理由になるとお考えなのでしょうか。それともこのことをもって、「国際標準」は実は存在しないと言うことを仰っているのでしょうか。理解しかねます。Pica 2007年1月27日 (土) 05:23 (UTC)[返信]
ハンガリー事件という呼称にしたのは動乱と革命を巡って左右の対立があるから中立的な語彙である事件という呼称を提言したわけであり、革命で合意ができるのであればそれに従います。「動乱」の不適切性については何度もここで繰り返したとおりです。Hegyi Jánosさんの文章にほうがよく書かれているでしょうからそちらと併せてもう一度よく読んでください。フランス語版云々の話も私の文章を読めばそのような意味でないことは明らかです。--Tamachan21 2007年2月2日 (金) 14:58 (UTC)[返信]
「動乱と革命を巡って左右の対立があるから」とのことですが、Tamachan21さんは、「ハンガリー事件における日本の状況」の節で、「もちろんそれぞれの政治的スタンスが厳格に決まっているのかというとそれはNOです。いろいろと混在しています。右派が動乱という言葉を使っているケースもあれば、左派が革命、事件といった言葉を使っているケースもあります。」と言っています。政治的スタンスと呼称の選択が無関係であるならば、呼称を巡っての対立はどこで起きているのでしょうか。
「ハンガリー動乱」という言葉が政治的スタンスを問わず使われているのなら、それでもなお不適切とするのはなぜでしょうか。説明をお願いします。
「フランス語版云々の話も私の文章を読めばそのような意味でないことは明らかです。」とのことですが、ではどのような意味なのでしょうか。「フランスと日本を除いた国では、『ハンガリー革命』を使っているから、多数決で決めよう」と仰っているのでしょうか。Pica 2007年2月2日 (金) 17:58 (UTC)[返信]
1段落目の文章はまったく意図を理解していないとしか思えません。傾向について述べたことで例外があると例外があるから主張はおかしいという主張では何も議論の進展はできませんし、そのような議論の繰り返しでは、意味がありません。もう一度文章をよく読んで下さい。--Tamachan21 2007年2月9日 (金) 02:04 (UTC)[返信]

インデント戻します。説明もなし、ソースもなしでは、理解することは難しいです。Pica 2007年2月9日 (金) 03:22 (UTC)[返信]

ソースは何度も示しています。それでも示していないというのであれば、価値観の違いでしかないでしょう。--Tamachan21 2007年2月11日 (日) 02:26 (UTC)[返信]

「革命」という表現を巡り、少々誤解があるようです。「左翼が使っている」とか、「いや、右翼も使っている」だの。 1989-90年の東欧における一連の出来事を、今日では「東欧革命」と呼ばれています。(おそらく、私と同じように冷戦時代を体験し、東西の冷戦が永遠に続くものと信じていた世代からすれば、あの事件を「革命」と呼ぶことに異論は無いと思いますが。)要は、その関連で、1956年の出来事をどのように評価するか、ということでは?。1956年の事件を1989年革命の先駆けとみなし、その関連性を重視する立場の人が「革命」と表現し、逆にそれぞれを切り離して考える立場の人が「事件」と呼んでいるのではないでしょうか。 いづれにせよ、歴史学の世界では「革命」「事件」の表現が増えてきているのは、まぎれもない事実です。しかし、いずれも評価はまだ定まっておりませんし、少々古臭い用語ですが、一般の日本人の間では「動乱」を使う人が多いと思います。--MZM-MSYK 2007年2月9日 (金) 04:39 (UTC)[返信]

「革命」および「事件」という用語は、1956年当時から使われていたようなので、1989年革命と直接関連づけることは難しいと思います。ただ、1989年における体制転換の結果として、使用頻度が変化したということはあるかもしれません。
実際私も、日常的には「動乱」を使います。特別関心がなかったり、既に言い慣れている人は、殆どが「動乱」を使うと言っていいと思います。
歴史的な評価については、完全に評価が分かれているのか、それとも何か有力な説が存在するのか、その辺りが気になります。いずれにしろ、記事中で言及する際にも、細心の注意を払う必要がありそうですね。Hegyi János 2007年2月14日 (水) 14:20 (UTC)[返信]
>>「革命」および「事件」という用語は、1956年当時から使われていたようなので・・・
そうでしたか。そうしますと、誤解していたのは私の方だったのでしょうか(笑)。
いずれにしましても「中立的な観点」の張り紙が付いたままですし、Hegyi Jánosの仰るとおり注意する必要があるでしょう。「革命」「事件」以前に、本文記事がどうにも偏っている印象はぬぐえません。
あと、ハンガリー国内の出来事やイデオロギー云々が多いので、もう少し国際政治的な記事を追加したいところです。そもそもの原因であるフルシチョフの「スターリン批判」など、一言も触れられていません。その点で、荻野晃氏の『冷戦期のハンガリー外交』ISBN 4882028999 は、ソ連・ハンガリー・ユーゴスラビアの三者の視点から「ハンガリー事件」を描いた良著です。かなりお勧めですので、是非。--MZM-MSYK 2007年2月14日 (水) 15:05 (UTC)[返信]


インターネット上の使用状況について[編集]

日本ハンガリー友好協会については、おそらくイベントの主催者によって呼称が異なるのを、そのまま表記しているのではないでしょうか。
外務省のサイト内で呼び方が異なるとしたら、過去の出来事についての再評価を日本政府が行うことはない、ということかもしれません。また、ハンガリー政府からも呼称の変更をを求められてない、ということかもしれません。天皇陛下の発言とあわせて考えると、そのような要望はいまだにないのかな、とも思います。
NHKの「世界・戦後60年 血と希望の10日間~1956ハンガリー革命~」についてですが、他に検索結果が見当たらないというのは、NHKの製作ではないのかもしれませんね。ハンガリーで作られたドキュメンタリーを放送したものかもしれません。これはNHKに問い合わせてみないと分かりませんが。
私は日本で一般的な「ハンガリー動乱」でかまわないと思ってますが、これを変えたいという主体がいて、筋の通った理由があるなら、なんにでも変えたらいいと思います。変えようという主体も不明で、理由も理解不能では、賛成のしようがない、ということです。Pica 2007年2月3日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
友好協会については、確かに、イベントの主催者によって呼称が違うようですね。そう考えた方が自然かもしれません。
外務省については、アメリカ国務省のサイトと比較する限りでは、日本側の記述においては、1956年について全く触れられていないので、再評価どころか、公式な評価すらしていないのではないかと思います。もちろんこれには両国の立場の違いによるものもあるでしょうし、イデオロギーの問題もあるのかもしれません。ちなみに、特定の呼称について、関係国の政府が、公的に呼称変更を要請すると言う事はちょっと記憶にありませんので、ご存知でしたら教えていただけると嬉しいです。
そのドキュメンタリーはおそらくBSドキュメンタリーの再放送ではないかと思います。再放送時にタイトルを若干変更したのかもしれません。(高松放送局のミスということも考えられますが)再放送時のタイトルについては、雑誌のバックナンバーをあたればわかると思います。私は日本の資料を利用できないので、もし真偽を調査したい方がいれば、その方にお願いしたいと思います。
記事名については一般的な呼称と専門的な呼称が異なり、どれを取るべきかという問題ではないかと私は思います。それに対して、「理解不能」と言う表現を使用されたことについては、残念に思います。Hegyi János 2007年2月3日 (土) 19:25 (UTC)[返信]
NHKのドキュメンタリーは、しばしばBCCZDFなどのシリーズ化したものの翻訳バージョンということが多いのでこのドキュメンタリーは原語が革命なのではないでしょうか。あくまで推測です。--Tiyoringo 2007年2月3日 (土) 13:18 (UTC)[返信]
2006年の記念式典にしろ、原語では革命50周年記念という新しい呼称が、古い呼称よりも圧倒的に多いにも関わらず、日本の新聞ではどういう報道がなされたかを考えれば、原語が何であろうと、日本語で置き換える場合は用語が別のものになることはあり、そこに携わった人間および組織としての見解が出ている訳で、元記事がどういう単語を使っていたか、ということは、一般的には関係ないように思います。Hegyi János 2007年2月3日 (土) 19:25 (UTC)[返信]
変更の要請というので思い出せるのは、トルコ風呂ぐらいでしょうか。韓国のトルコ風呂については、トルコ政府から要請があったとあります。
他には、これはソースはありませんが、「韓国人の人名を報道するときには、韓国読みをするように、との要請があった」という話を聞いたことがあります。
朝鮮語の呼称問題というのもあるそうで、これは朝鮮総連と民団が日本での呼称を巡って対立するというユニークなものです。
また、日本海呼称問題は耳に新しいところかと思います。
これは日本とはかかわりのない話ですが、韓国のソウル特別市の中国語表記が「漢城」であったのが、ソウル市の要請で「首爾」と変わったようです。
誰でも理解できるように、ソースを出して下されば、理解可能でしょうね。Pica 2007年2月4日 (日) 00:56 (UTC)[返信]
ご提示頂いた例には、日本海呼称問題を除けば、政府が呼称の変更を要請した例とはいえません。また、日本海呼称問題にしても、韓国の国益に関わる政治的な問題ですし、それを、ハンガリー政府が、『ハンガリー動乱に対する評価と言った本質的な問題ではなく、外面的な、ハンガリー動乱についての呼称を変更するように要請する』と言う事と比較になるとは思えません。
あまりこうした事は言いたくはないのですが、Picaさんは、ソースや出典と言った言葉の意味を理解されていないのではないかと思います。ご自身の2007年2月4日 (日) 00:56 (UTC)の書き込みをもう一度よくご覧になった上で、じっくりお考えいただきたいと思います。Hegyi János 2007年2月10日 (土) 07:54 (UTC)(2007年2月11日 (日) 09:47 (UTC) 誤解を招かないように追記)[返信]
動乱」という言葉が広がった背景は、政治家や学者先生の言ではなく、当時の新聞・テレビなどマスメディアの影響でしょう。「朝鮮動乱」(朝鮮戦争)とかコンゴ動乱とか、普通に使われた用語ですから。
しかし、後者2つの「動乱」が、ほぼ「内戦」の意味合いで使われていますから、ハンガリーの事件を「動乱」と呼ぶようになった過程は気になるところです。よほど重要視していたのか、あるいは米ソ戦争へのエスカレートも視野に入れていたのか。--MZM-MSYK 2007年2月9日 (金) 02:42 (UTC)[返信]
その当時の政治家の発言に、動乱について言及している資料はないものかと思います。マスメディアの一報なども、どのような表現であったのか、大変興味があります。(当時の新聞については図書館で調査できそうですね)
ハンガリーに関しては、「動乱」という語は、日本以外では使われていないようです。英語及びハンガリー語での表現は「内戦」ではなく、「反乱」や「蜂起」と言った意味合いですから、どこから「動乱」と言う言葉が出てきたのか、気になります。Hegyi János 2007年2月10日 (土) 07:54 (UTC)[返信]

インデント戻します。外国政府から日本政府への要請ではないということでしょうか。ソースの意味は知っていると思いますけど、私は要請の有無の件でなにか主張したいわけではないので、この程度でいいかな、と思いました。 「ハンガリー動乱に対する評価と言った本質的な問題」とのことですが、そのような評価をこの場ですることは難しいかと思います。世界中で表記は割れているようですし、我々にできるのは、「こちらでは誰々がこう呼んでいる、あちらでは誰々がこう呼んでいる」、といった事実を述べることぐらいでしょう。どこかで結論が出るというような話でもないですし、現時点で中立と思える表現をこの場で模索するのも適当とは思えません。 「Hegyi János」さんの文献検索結果を見ると、その筋の学会では「動乱」という表記は流行らないようですが、しかし「事件」、「革命」のどちらかの呼称を我々が選ぶことが出来るのでしょうか。そのような選択によって結局は中立性から逸脱してしまうような気がします。学会での趨勢を根拠にするのなら、項目名については今のところ一般的な呼称と思われる「動乱」のまましばらく置いといて、学会の結論を待てばよいと思います。結論が出るかどうか難しいところだと思いますが、我々が文献数を根拠に多数決を取ることには、それでいいのかな、と違和感をおぼえます。Pica 2007年2月10日 (土) 13:48 (UTC)[返信]

まず私は、外国政府が日本政府に対して要請したかどうかは重要ではないと思っています。どうもPicaさんはその点に拘りたいようですが、それならば、要請の有無がどういう意味を持つのか、と言う事をわかりやすく示していただきたいと思います。
また、私の表記が誤解を招いたのならばお詫びしますが、私はあくまでも、表記に対する問題(つまりここで議論していること)は、ウィキペディアではどうなのかわかりませんが、研究者にとっては本質的に重要な問題ではなくて(南塚信吾氏の記事の第2節の中ほどにも見られるように、表現上は動乱と表現する立場の中にも、革命として認識する見解も存在すること)、むしろ問題の本質は何であったか、ということのように思います。そして、本質が何であったかは私のような素人が決められるとも思いませんし、決めようとも思いません。ただ、信頼に足る文献をもとに、記述するのみです。
それとは別の問題として、ウィキペディアの項目名としては、表現をどれか1つに統一せざるを得ませんが、それが学問上の合意を示すわけではなく、あくまで便宜的なものですので、慎重になりすぎる必要はありません。むしろ重要なのは、どういった根拠で項目名が使われているのか、またどういう議論が行われていたのか、ということを、誰にも検証しやすい形で示すことです。
文献の数で多数決を決めるようなことは全く意味が無いと思いますが、そうした誤解を招いたとしたらお詫びします。Hegyi János 2007年2月11日 (日) 09:47 (UTC)[返信]

学会での意向や研究者の判断、研究成果で「事件」、「革命」としているということを認めるのであれば、項目名を「ハンガリー事件(革命)」ないし「ハンガリー革命(事件)」とするのが妥当でしょう。学会の趨勢は「事件」ないし「革命」なのですから。学会の趨勢から判断して「動乱」を用いるべきという主張が理解できませんよ。--Tamachan21 2007年2月11日 (日) 02:26 (UTC)[返信]

どうも解せません。確かに学会の趨勢が「事件」又は「革命」になりつつあるのは事実です。が、「動乱」の表現が否定され、批判されているわけではありません。
また、事務的な問題として、ウィキペディアの記事名に()は使えません。「動乱」「革命」「事件」の何れかを採用した上で、残り2つからはリダイレクトを貼るしかありません。後は記事内で言及するしか。--MZM-MSYK 2007年2月11日 (日) 06:14 (UTC)[返信]
()は使えないのですか。ガイドライン上。機械の都合であれば、何らかの形で表現すればいいと思うのですが。それと、「動乱」の表現は否定されていないとありますが、「事件」ないし「革命」の呼称が使われているのであれば、「動乱」の表現は禁止されているとは思いませんが、学問上不適切であると判断しているのではないでしょうか。--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 11:07 (UTC)[返信]
>>学問上不適切であると判断しているのでは・・・
ここで、そのような文献とか議論の紹介を、具体的に示していただきたいのです。そうでないと、おそらくpicaさんや私を納得させるのは難しいでしょう。--MZM-MSYK 2007年2月19日 (月) 06:31 (UTC)[返信]
不適切と判断しているかどうかはわかりませんが、専門家によって使われていないということは、少なくとも、「より適切な表現が他にある」と判断されていると考えて問題はないと思います。
適切、不適切と言った話は抜きにして、どういった表記が使われているのか、を軸とする方が問題が少ないと思います。Hegyi János 2007年2月19日 (月) 16:52 (UTC)[返信]
当事国のハンガリーにおいては、「革命」以外の表現は否定されていますが、その他の国ではばらつきが見られるのはある意味仕方のないことだと思います。「動乱」については、慣習的という観点からではなくて、報道機関などはどういう意味合いで用いているのか、またそれに対する見解など、出典のある形で示せると有意義ではないかと思います。
とりあえず、ネットの検索結果に加えて、複数の文献に当たることが必要だと思います。英語の資料になりますが、南塚氏も言及している、Charles Gati氏の著作も参考になるでしょう(これなら私も入手できそうです)Hegyi János 2007年2月11日 (日) 10:20 (UTC)[返信]
>>Tamachan21さん。そこで私がお尋ねしたいのは、誰が「革命」と呼びたがっているのか、誰が「事件」と呼びたがっているのか、誰が「動乱」と呼びたがっているのか、ということです。そしてまた「革命」という呼称を避けているのは誰か、「事件」という呼称を避けているのは誰か、「動乱」という呼称を避けているのは誰か、ということです。Tamachan21さんも「ハンガリー動乱」が一般的に使われていることは否定なさらないと思いますが、いかなるイデオロギーとも無縁にこの呼称を使っている人々に対して、それを禁じる理由はなんなのか。また禁じようとしている人は誰なのでしょうか。世界中で呼称が異なっていて、学会でも見解が統一されていない状況で、一般性のほかに根拠に出来るものがあるのか、ちょっと私には分かりません。学会の結論を待てばよいと思います。
>>MZM-MSYKさん。()をそういう風に使えないのかどうか良く知らないのですが、検索不可能な項目名を新造するよりは、今のままのほうが良いと思ってます。
>>Hegyi Jánosさん。要請があったかどうかにこだわっているのではなく、"要請があったのなら話は早いな"、と思い、そのような言及をしました。かりにハンガリー政府が日本政府にそのような要請をして、学会もその意を汲んで呼称が「ハンガリー革命」に統一される、というような動きがあるのなら、反対する理由はありませんので、そういう話があったらいいな、と思っただけです。
ご意見には賛成です。保護は解除されていますので、記事の充実に期待します。しかし記事名の変更については、今のところ反対です。Pica 2007年2月11日 (日) 10:46 (UTC)[返信]
少なくとも、Hegyi Jánosさんにしても、私にしても一応参考文献を読んだ上で論議したいというのが前提なので、少なくとも参考文献を読んだ上で質問なりをしてほしいとは思います。私にしても、Hegyi János さんにしても、物足りないおかしいと思うのであれば、まず、参考文献を読んで、そこからするとおかしいのではないかなどの意見を出してほしいというのが正直なところです。文献を読まずに、おかしいとか納得がいかないと言うのは、学問的な経緯を無視して直感で事件を評価することにつながるので、失礼な言い方になるのは承知ですが、文献をまともに読まないで議論するのであれば、今後の議論は意味が無いのではとも思います。--Tamachan21 2007年2月26日 (月) 13:17 (UTC)[返信]

記事内容の事実関係について。[編集]

一部確認したい点があります。

ナジの首相就任ですが、現在の記事では、動乱直後(23-24日頃)となっていますが、こちらのホームページ↓では、24日以降の会談(ミコヤン、スースロフ、セローフ、ゲレー、カーダール、ナジ)の結果、27日に就任したとの記述です。

http://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1-5-5(2).htm

他の資料ではどうなのでしょうか?--MZM-MSYK 2007年2月15日 (木) 01:46 (UTC)[返信]

英語版、ハンガリー版を見る限りでは就任は24日です。
『ハンガリー事件と日本』(pp.13-18)には日誌風の簡単な概略があり、それによると24日にナジが復職したと記述されています。この資料内では明確ではありませんが、「復職=首相への復帰」ということなのでしょう。27日は閣僚が入れ替わった新内閣の発足日です。
リンク先のサイトをよく読んでみると、27日には、新政府が誕生したと記述してあるだけで、その日に初めてナジが首相に就任したとは書いてありません。ただ、誤解を招きやすい記述だとは思います。Hegyi János 2007年2月15日 (木) 18:06 (UTC)(2007年2月15日 (木) 18:09 (UTC)追記)[返信]
たしかに、リンク先には「23日に開かれた党中央委員会は、市民をなだめるため、ナジの首相任命を決め」とあり、27日では遅いですね。
『冷戦期のハンガリー外交』では、本文内には「23日深夜に首相になった」(p71)とあるのですが、同じ本の関係年表(付録p13-16)では「10.24 ナジ首相に復帰。」とあります。--MZM-MSYK 2007年2月15日 (木) 22:44 (UTC)[返信]
『ハンガリー事件と日本』ですが、正確には24日に『ナジの復職とソ連軍介入の要請を発表した』とありますから、正確には、23日深夜に首相として党内部において指名され、24日に公的に就任したということではないでしょうか。一応他の資料も当たってみようと思いますが、ちょっと時間がかかります。Hegyi János 2007年2月16日 (金) 07:11 (UTC)[返信]
お願いします。私も何か他の資料にあたってみますので。
当時のハンガリーは、ソ連と同じ政治体制だったと思います。憲法上、首相の選任権(または承認権)は議会にあり、手続き上は翌24日になってしまったものと思われます。--MZM-MSYK 2007年2月16日 (金) 09:39 (UTC)[返信]
南塚信吾(編)『世界各国史(19)ドナウ・ヨーロッパ史』(1999年)ISBN 4634414902 で確認しましたが、やはり24日でした。
こちらはまだ確認出来ておりません。申し訳ないです。とりあえず、記事中において、首相の就任は24日と明記して、注釈として、参考文献をあげておけば当面の問題はないと思います。Hegyi János 2007年2月23日 (金) 22:11 (UTC)[返信]
そうですね。まず、24日付けで記述し、あとは上述のような状況も併せて書き込めばよいかと思います。ありがとうございました。--MZM-MSYK 2007年2月24日 (土) 02:06 (UTC)[返信]

名称に関する注意書きについて[編集]

取り合えず、暫定的に名称の議論が決着するまでにこのような形で私案を出してみました。ご意見下さい。

本文の「序」の部分に、
『この記事内においては、ノートにおける呼称に関する議論が解決するまでの間は、報道機関などで慣習的に使われる「ハンガリー動乱」と基本的に表記する。』
との一文を追加する。

本文の「5.革命についての議論」に、
『「ハンガリー動乱」の参照する歴史上の出来事については、当時の体制の位置づけや民衆が起こした蜂起に関する見解を巡って様々な評価がある。
A.当時の体制を社会主義体制とみなした上での見解としては、
①この事件の位置づけを反革命、すなわち体制に対する反乱とみなし、当時のカーダール政権やソ連がこの立場、
②これに対し、1956年の事件はスターリン社会主義、ソ連型社会主義からの革命とみなすもの、
③労働者評議会が設立され、現体制に対する反対を示した革命であるとするものなどがある。
B.当時の体制は社会主義体制ではなく、共産党という勢力による全体主義体制とみなす見解からのものであり、
①当時の体制はスターリン官僚主義体制(スターリニズムを社会主義とはみなしていない)を打破するべく、真に社会主義革命を目指すために労働者評議会が設置されたのだとするもの、
②当時の独裁体制を打破するために自由主義、民主主義の体制を確立するための革命とするものとがある。
このような事件の評価との兼ね合いで呼称に関する論争があるが、日本においては呼称について「動乱」とするか「事件」とするか「革命」とするかは定まっていない。』
としてみるというのはどうでしょうか。--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 11:02 (UTC)[返信]

(賛成)基本的に合意いたします。ただ、細かい点で気になる個所が幾つか。
 序の『この記事内において』云々は、記事本文と区別するために、米印「※」を使うか、注釈にするか、字を斜体にするかしてください。
 丸付数字①②③は、機種依存文字と言いまして、ホームページでは使ってはいけない文字の一つです(具体的には、Macからは見えない字です)。本文では(1)(2)(3)などで代用してください。
 末尾の『「動乱」とするか「事件」とするか「革命」とするかは』は少々くどいです。『「動乱」「事件」「革命」のいずれか』でよいのではないでしょうか。--MZM-MSYK 2007年2月19日 (月) 07:05 (UTC)[返信]

==革命についての議論==

「ハンガリー動乱」という単語の参照する歴史上の出来事については、当時の体制の位置づけや民衆による蜂起の意義に関して、今もなお様々な見解がある。

=====当時の体制を社会主義体制とみなす見解===

  1. 社会主義体制に対する反乱・反革命とみなすもの。当時のカーダール政権やソ連がこの立場。
  2. これに対し、スターリン社会主義、ソ連型社会主義からの革命とみなすもの。
  3. 労働者評議会の設立により、現体制に対する反対を示した革命であるとするもの。

=====当時の体制を全体主義体制とみなす見解===

  1. スターリニズムは社会主義ではないとみなし、スターリン官僚主義体制を打破し、真に社会主義革命を目指すために労働者評議会が設置されたのだとするもの。
  2. 当時の独裁体制を打破し、自由主義、民主主義の体制を確立するための革命とするもの。

このような事件の評価との兼ね合いで呼称に関する論争があるが、日本においては呼称について「動乱」「事件」「革命」のいずれかとするかは定まっていない。

こういう感じでしょうか。文章も分かり易いように直したつもりですが、誤読してたらごめんなさい。
こういった歴史的経緯についてはよく知らないので、おまかせしたいのですが、「呼称に関する論争がある」、というのはどういうことでしょうか。いろいろな呼び方があるのは分かるのですが、呼称をめぐっての論争というのは、誰がしているのでしょうか。Pica 2007年2月19日 (月) 11:19 (UTC)[返信]
お疲れさまです。呼称に関する論争については、シンポジウムをご参照ください。ノートの議論の最初の方に示されたリンクなのに、もしかしてご覧になっていなかったのかと思うと、非常に残念な気持ちになります。
一部表現を修正しました。基本的に問題ないものと思います。また、そこまでする必要はないような気もしますが、各々の見解について、それぞれの見解を主張している参考資料が示されればより良くなると思います。Hegyi János 2007年2月23日 (金) 22:11 (UTC)[返信]
一応、本文に追加する形で今、修正を行いました。文章をできるだけ反映する形で記したつもりですが、何かありましたらご意見下さい。--Tamachan21 2007年2月26日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
Hegyi Jánosさん、資料は読んでいますが、あれだけを読んで、学会全体の動向として呼称に関する論争がある、とするのは難しいかと思います。シンポジウムのタイトルを巡って話し合った、という風にしか取れません。Pica 2007年2月26日 (月) 15:31 (UTC)[返信]
このような事件の評価との兼ね合いで呼称に関する論争があるが、日本においては呼称について「動乱」「事件」「革命」のいずれかとするかは定まっていない。
まず、という記述についてのお話ですよね。確かに、論争とするのは難しいと私も思いますが、ただいずれにせよ、「議論」でも「話し合い」でも、実質的な差は無いわけです。
その上で、『学会全体の動向として呼称に関する論争がある』かどうかは、議論があるか、ないか、とは別の問題です。Picaさんが、そうしたいのならば、『一部で議論があるが、しかし、学会全体の動向としての論争ではない』と書き換えても、私は何も文句は言いませんし、文句を言う理由もありません。ということで、よろしいでしょうか。Hegyi János 2007年2月27日 (火) 13:47 (UTC)[返信]
「一部で議論がある」、とするのは良いと思います。「学会全体の動向ではない」のかどうかは、私には分かりませんので、書かないほうが良いかと思います。Pica 2007年2月28日 (水) 01:33 (UTC)[返信]
要約を入れ忘れたのでここに書きます。議論の節の冒頭は、「ハンガリー革命」とあったのを、「ハンガリー動乱」と直しました。
「一部」と書き足してみました。Pica 2007年2月28日 (水) 01:42 (UTC)[返信]

「中立的な観点」タグの取り外しについて[編集]

本文履歴を確認しますと、11/26に「観点」タグをTamachan21さんが貼られ、その後Picaさんとのリバート合戦になり、結局だいたい元のままの状態のようですね。
要は、政権側から見た「反乱」ではなく、民衆の側から見た「蜂起」の用語に代えよう、ということでしょうか。別にこの辺は、議論するような部分でもなく、ページの改名とは切り離しても差し支えないと思います。
賛同が得られれば、そのように変更し、とっとと「観点」タグを取り外したいと思います。--MZM-MSYK 2007年3月4日 (日) 12:39 (UTC)[返信]
「反乱」と「蜂起」は政権側/民衆側の視点というよりも、その行動の度合いを示す要素が強いのではないかと思います。「蜂起」は、字のとおり、蜂が巣から飛び立つように、一斉に行動を起こすことを意味しますが、「反乱」にはそうした意味は直接的にはありません。ですから、政治的な用法よりも、その行動についてどのように記述するのがより理解しやすいか、と言った「観点」が必要なのではないでしょうか。これは、「中立的かどうか」と言う問題とは別の次元の話ですから、「観点」タグの取り外しには賛成します。Hegyi János 2007年3月4日 (日) 13:09 (UTC)[返信]
>>「蜂起」は、字のとおり、蜂が巣から飛び立つように、
言われてみれば、確かに「ハチ」ですね。そのような意味合いは考えていませんでした。
その点で、バスティーユを襲ったように、AVH本部でも襲っていれば、「蜂起」として説明しやすいのですが。--MZM-MSYK 2007年3月6日 (火) 04:08 (UTC)[返信]
実際、この議論は最初の部分から脱線していたのですが、そこにもっと早く突っ込むべきだったと思います。少なくとも、1956年のハンガリーでの出来事について、全体を総括して"népfelkelés"(直訳では民衆蜂起)と呼ぶ場合、これは体制転換前に用いられていた表現で、体制への反逆という意味合いが強いのではないかと思います。ですから、文脈にもよりますが、『蜂起』は『反乱』と必ずしも対立する概念ではありませんし、むしろ類義語の関係にあるものではないかと思います。とりあえず、問題はないようですから、観点タグは取り外します。
ちなみにバスティーユ襲撃は確かにフランス革命の発端とも言える事件ですが、それを革命や蜂起のモデルタイプとして、他の出来事にまで適用するのはちょっと違うのではないかと思いますが…。Hegyi János 2007年3月27日 (火) 22:31 (UTC)[返信]
こんにちは。なんだか久しいですね。「観点」タグは、さすがにもう要らないと思います。
>>『蜂起』は『反乱』と
いずれの語を採用するにしても、結局は、どちらの側の目で視ているか、ということでしょうか。その点で、現在の「ハンガリー動乱」の記事は、民衆側の視点が多いと思えます。というよりも、ハンガリー国外の思想家・政治家・何某主義者の視点が多い気が・・・。結局、当時のブダペストの民衆が、何を求めていたのか、何をめざしていたのか、それとも何も考えていなかったのか。その辺を突っ込んで行かねばならないのでしょうね。とても難しいですが。
>>バスチーユ
いえいえ、モデルタイプを導入し、他の事件・事象を分析しようなどという大それた意味はありません。ただ、「ハンガリー動乱」の場合は、この手の分かり易い「起点」「転換点」が無いな、ということです(バスチーユ襲撃、冬宮襲撃、首脳の亡命・処刑、壁の崩壊、等)。結局、先に仕掛けたのはソ連軍であり、市街戦も民衆の「正当防衛」っぽいですし。--MZM-MSYK 2007年3月28日 (水) 17:09 (UTC)[返信]

記事内容の事実関係について Part 2。[編集]

本文の概要部分に、「政府や政策方針の急激な転換や共産主義イデオロギーによって人々が結びつけられた」との記述があります。前半部分の「政府や政策方針の急激な転換」は良いとして、後半の「共産主義イデオロギー」云々はどうなのでしょうか?
純粋な共産主義者以外も結構多く参加しており、イデオロギー的志向はむしろ「人民民主主義」とか「第3の道」とか呼ばれるようなモノだったと勝手に想像していますが、その辺の思想的背景は実際のところ、どうだったのでしょうか。--MZM-MSYK 2007年3月4日 (日) 14:31 (UTC)[返信]
イデオロギー志向そのものがどうだったのか、が学会の論争の的にもなっているので、概要に特定の立場のみを記述する必要はないと思いますが、いかがでしょうか。「第3の道」論も、決定的な説というよりは、1つの観点に過ぎないように私は思います。『政府や政策方針の急激な転換や共産主義イデオロギーによって人々が結びつけられた点などから、この反乱は革命とも考えられている。』という記述については、後に『革命の性質についての議論』という節がありますから、必要ないと思います。その部分をコメントアウトしないで残すとしても……革命とみなすかみなさないかは、政府方針の転換や、共産主義イデオロギーとは直接は結びつきませんし、不正確さを含む記述はなんとかしたいものです。Hegyi János 2007年3月5日 (月) 17:25 (UTC)[返信]
>>革命とみなすかみなさないかは
確かによく考えてみれば、「革命とは何か」という定義から始めなければならない、大きな問題ですね(汗)。
「共産主義」「革命」「イデオロギー」云々は削除し(または議論として切り離し)、この概要は冒頭の定義部分に統合するのが良いでしょう。--MZM-MSYK 2007年3月6日 (火) 03:55 (UTC)[返信]
とりあえず問題の文章は、後述の節『革命の性質についての議論』においてより詳しく述べられていますから、必要ないと判断して削除しました。Hegyi János 2007年3月27日 (火) 22:41 (UTC)[返信]
乙です。ようやく頭部分がすっきりし、編集しやすくなりました。改名議論はノートで随時行うとして、今後は記事内容を益々充実させいゆきましょう。--MZM-MSYK 2007年3月28日 (水) 17:15 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

ハンガリー動乱」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月16日 (土) 14:41 (UTC)[返信]