ノート:テレパシー

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固定観念や原理主義の扱い[編集]

2000年代になってワッカーマンたちにより、最近の技術・装置を用いることで、脳から脳へと何らかの情報の伝播が起きる現象の存在は経験科学的に証明された。現象の存在が厳密な実験で確かめられたら、それを直視し、古い理論体系よりも現象の存在のほうを優先し、現象を説明できるように理論体系のほうを改良してゆこうと努力を積み重ねるのが真の科学。それに対して、現象と古い理論体系が相互矛盾した時、古い理論体系に愛着を感じてしまって理論体系をやみくもに守ることを優先し、現象を無視したり抹殺したい衝動に駆られてしまうような姿勢は、もはやまったく真の科学ではなく、インチキ科学や固定観念原理主義

ただし、Wikipediaはただの自然科学事典などではなく、さまざまなことを記述する百科事典なので、そうした原理主義的な否定論であっても、Wikipediaではいちおう出典を示して中立的に記述すれば(誰誰はそういう説を主張した、と冷静に記述すれば)表示してよく、人類の持つ知識の変遷に関する記述として価値があるのだが、説を主張した者の名も示さないようでは表示する価値が無いし、ただのWikipedia:独自の研究という扱いになり、Wikipediaでは表示することは禁じられている。--124.85.115.21 2011年2月11日 (金) 04:44 (UTC)[返信]

懐疑論について[編集]

『「現在に至るまでテレパシーの科学的な証明はなされていない」と主張した人もいた。』

とあるのですが、ウィキペディアで「超能力」を検索するとその冒頭に

「超能力(ちょうのうりょく)とは、通常の人間にはできないことを実現できる特殊な能力のこと。今日の科学では合理的に説明できない超自然な能力を指すための名称。」

とあり、

「今日の科学では合理的に説明できない」と書かれています。

そしてそのページの「超能力の種類」の中に「テレパシー」とあります。


1ヶ月程度待ってみて特に誰からも何も反論がなければ

「テレパシーは超能力の一種であり、今日の科学では合理的に説明できない超自然的な能力である」

と書き換えようと思います。みなさんのご意見をお聞かせ下さい。

--Yayamachi会話2013年4月10日 (水) 05:59 (UTC)[返信]

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そういう書き方はやめたほうがよいです。

  • 理由1: そういう書き方をしている出典が示されていない。
  • 理由2: ウィキペディアの他の記事を根拠に文章を組み立てることはウィキペディアのルールで禁止されている。あちこちの記事の文章を強引に相互参照させて、自分の中で矛盾を排するように、改変してはいけない、というルールになっている。あくまで外部の出典を探すべき。
  • 理由3: 自分で実験もせずに頭ごなしに否定する(=非科学的で、非実証的)な人もいるだろうが、そういう人の意見は意見であくまで出典を示した上で、中立的に、本文に組み込む必要がある。(だが、最近の対照実験で存在が証明されてしまったので、非科学的な否定してきた人は自分の愚かさに気づいて恥ずかしくて書き込みができずに、加筆が停止状態、宙ぶらりん状態に陥ってしまっているのだろう。10年も20年も前にあった、非科学的で非実証的な否定論は、古い文献の記述を見つけた人が、出典を明示して中立的に記述すればよい。)
  • 理由4: 要出典タグがつけられているのにいつまでも出典が示されない文章は非表示にするのが妥当。もういい加減に、第三者が非表示にしてやるのが妥当。

Yayamachiさんの提案している文章をどこに配置したいと思っているのか、どうもはっきりこちらに伝わってこないが、定義文も出典が必要で、Yayamachiさんの提案している文章では出典が無いうえに、文章がテレパシー自体の説明になっていない。「~の一種」というだけでは、おおまかにカテゴリー分類されているだけで、さらに細かく見てどういう種類のものが「テレパシー」と呼ばれ、どれはそう呼ばれないかに関する定義が不足していて、百科事典や事典の最初の定義文らしくない。

もしも定義文に修正を加えるならば

たとえばgoo辞書(デジタル大辞泉)に「言語・表情・身振りなどによらずに、その人の心の内容が直接他の人に伝達されること[1]」という定義文がありますので、それを出典として使う方法があります。 たとえばウィキペディアのこの記事の定義文を出典を用いて修正するなら、「テレパシーとは、ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接に他の人の心に伝達されること」とし、後ろに「超能力の一種」と足せばよいでしょう。 --West FAR-User会話2013年4月11日 (木) 03:33 (UTC)[返信]

機械の有無[編集]

今回、2019日5月19日に機械の有無で区別するという項目が削除されていますが、ウィキペディアでやってはいけないことに『意味のある記述を除去してしまうこと』が挙げられています。

ところで、人間の能力のみでテレパシーを実現する場合と、機械を使ってテレパシーを実現する場合を区別して、双方を記載するのは、百科事典としての価値が増進いたします。このような観点から、今回の削除は疑問です。また、現在のテレパシーに関する記事は、機械を使ってテレパシーを実現するという観点が全く現れていないので、特定の観点に偏っているという見解も可能になります。

そこで、削除された項目を復活する方向で検討していますが、いかがでしょうか。--Makoto Koike Ph. D.会話2019年5月19日 (日) 06:46 (UTC)[返信]