ノート:チェンバロ協奏曲 (バッハ)

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  • チェンバロ協奏曲第2番 ホ長調 BWV1053の記述内容に関して間違いがあるのではないかと思います。疑問なのは転用の順番です。コンチェルトの転用としてカンタータができたのでなくて、先にカンタータがあってその後コンチェルトに転用されたのではないでしょうか。少なくとも第3楽章に関してはそうなっているはずです。アーノンクール、レオンハルトによるカンタータ全集の第49番のカンタータのライナーノーツを読む限り、BWV1053のフィナーレ、49番のカンタータのシンフォニア両方の元ネタはケーテン時代の作品であって、それがまず49番のカンタータのシンフォニアに転用され、さらにその後にBWV1053のフィナーレに転用されたと書いてあります。ケーテン時代の元ネタの作品のほかの2つの楽章は、別のカンタータに再利用されているとも書かれています(何番だったかは忘れました)。これが正しいのだとすると、コンチェルトの1,2楽章の転用に関する記述も誤りなのではないかと思いますがどうでしょうか。--亜顎十郎 2009年9月12日 (土) 18:02 (UTC)[返信]
  • 先述のご意見に同意するものです。さらに、BWV1053の原曲はヴィオラ協奏曲ではないか、その場合は変ホ長調であったのではないかとして復元楽譜が出版されています。最も多い意見としては原曲がオーボエ協奏曲ではないかというもので、この場合は原曲はヘ長調であったと考えられていて復元楽譜が出されています。あるいはオーボエ・ダ・モーレ協奏曲が原曲であるという意見もあり、この場合はニ長調になっています。独奏パートを吟味すると、当時のフルートで演奏するにはそぐわない音型が多いため、フルート協奏曲を原曲とする意見は専門家の間にはありません。いずれにしてもケーテン時代に作られた協奏曲を、まずカンタータに転用し、そのカンタータ版を元にチェンバロ協奏曲として改訂された、という考えが音楽学の世界では受け入れられているはずです。ただし、第1楽章はさらに別の協奏曲からの転用かも知れません。クリストフ・ヴォルフやハンス・エプシュタインの研究書を参照することが必要かと考えられます。--洞院会話2016年3月10日 (木) 00:12 (UTC)[返信]