ノート:ジャン・カルヴァン

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

J.カルヴァン(Jean.Calvin 1509-64)

フランスの宗教改革者。神学者。 M.ルター(1483-1546)に遅れること20年、 いわゆる第2時代の改革者、すなわち宗教改革の完成者といえる。 フランスのピカルディー、にジェラール・カウヴィンの子として生まれる。カルヴァンというのはその姓のラテン語読みである。父はノワイヨンの司教館で働く。彼は父に勧められ、オレルアン、ブールジュで法律を学び、人文主義者としての教養を身につけた。 ドイツ語圏スイスにおいて、ツヴィングリの死によって福音の伝播が停止した。このとき、ジュネーブが宗教改革の新しい中心となり、カルヴァンが活躍した。彼は1559年『キリスト教綱要』を現し、フランス王に捧げられた。彼はファレルと協力し、教会規則や正式の信仰告白を作成した。『ジュネーブ教会規則』である。それは原始キリスト教の制度にならって教会の中に四つの職制が存在するとした。牧師、教師、長老、および執事である。それら四つの職制に説教と牧会、教育、教会訓練および貧者のための世話という課題が対応している。また二つの教会組織があった。牧師の選任と教育職の問題を議するところの教師会と、教会の方針を定め教会規律の維持のための責任をおう長老会、である。カルヴァンは、教会の規律「キリストの支配」の確率のために「この世の支配」を支えなければならなかった。抵抗をされながらも、彼の規則は実行され、その後200年もジュネーブにおいて守られたのである。またカルヴァン主義の特徴は、その神観である「すべてを神の栄光のために」という、きわだった神の栄光と威厳のスローガンである。またその神観の思想的結論は、「二重予定説」であった。 


記念碑について[編集]

  • Siyajkakさん「カルバン自身が神に裁きをゆだねないという意味で行き過ぎはあった。記念碑は事実のみの記載とする。」
記念碑には、カルヴァンが行き過ぎだった、ということではなくて、カルヴァンの世紀の誤謬であった、と書いてあるそうですよ。(フランスルネサンスの人々より) --忠太 2006年5月22日 (月) 10:56 (UTC)[返信]

コメント確認しましたが、反論をするのに出典や書誌情報がまともに記載されていないので、4年間親のすねかじってなに勉強してきたんだということと、非常に失礼だというのが最初の感想です。後述するように渡辺先生の本が繰り返しだされているという点にかすかな同情の余地はありますが、古くてISBNがわからない場合があってもせめて自分が読んだ本は挙げてほしいものだと感じました。

あまりの不愉快さに、現地へ行って銘文をたしかめて出直してこいといいたかったのですが、とりあえず自分ができる範囲で確認したところ、 このHPに記載されたとおりソースは大丈夫であろうことを確認したので、当時の時代状況を含めて加筆させていただきました。渡辺先生の碑文の訳をそのまま使えないことから、当時の思想的背景や銘文の内容を自分なりの表現で記載してみました。「ミシェル・セルヴェ」については、『ルネサンスの面影』民有社,1947年に「或る贖罪記念碑について ミシェル=セルヴェの場合」という名称で初出で、以後加筆されています。贖罪記念碑の銘文については、渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』岩波文庫青版118-1,岩波書店,1992年,pp.203-204に邦訳があります。なお、この岩波文庫版は『渡辺一夫著作集4』筑摩書房、1971年を底本としています。Wikipediaでは引用できないのが残念ですが、渡辺先生は、「10.ある教祖の話(a)-ジャン・カルヴァンの場合」『フランス・ルネサンスの人々』1992年岩波文庫版,pp.224-284を読めばわかるように宗教改革者としてのカルヴァンに同情的です。当時の時代背景を薄々ご存じであることをうかがわせる記述には好感が持てました。一方このカルヴァンの記事のような記述には非常に疑問を感じます。なぜなら、このような記述を認めるとカトリック教会が宗教改革の先駆者であるウィクリフの墓を暴いたり、フスを火刑にしたりしたこと、ガリレイの宗教裁判についても、非難する一文を入れなければバランスがとれません。歴史的な意義よりもわざわざ瑕疵を探して記述する態度に特定の思想性を感じたのも不愉快に感じた理由です。Siyajkak 2006年6月10日 (土) 16:23 (UTC)[返信]

住民がなぜわざわざ贖罪の碑を建てたのか?その点はやはり一考すべきではないでしょうか(どういった経緯があったのかまでは渡辺氏の本にも書いてないので不明ですけど)。ウィクリフやフスのことはこの際あまり関係ないかと思いますが…。お互い非をあげつらっているだけでは、いつまで経っても平行線でしょう(住民もそのように考えたのでは、と想像します)。 --忠太 2006年6月20日 (火) 14:35 (UTC)[返信]

韓国語版で問題だと思われるカルヴァン関連の記事[編集]

平沢(ピョンテク)大学校教授によって作成されたカルヴァン関連記事で、このような解釈が韓国以外で通用しているのか見てほしいです。今年はカルヴァン生誕500年ということで記念事業も行われているようです。

  • ko:칼뱅의 해석학(カルヴァンの解析学)(独自研究を理由に削除依頼を出しましたがカルヴァン関連の研究により神学博士号を取得している者の作成は独自研究にあたらないとの理由で存続に)
  • ko:칼뱅의 성경관(カルヴァンの聖書観)
どちらにも共通していることは誰がそのような主張をしているのか明確でないことと、出典が教授自らが編集した本か学位論文であるということです。

--hyolee2/H.L.LEE 2009年9月2日 (水) 00:57 (UTC)[返信]

読めませんが、칼빈500というアカウントが教授ということでいいんですかね。自著作物の持ち込みに相当するんじゃないですか。検証可能性信頼できる情報源を使って出典を付けてもらって記述を修正するぐらいでしょうかね。johncapistrano 2009年11月2日 (月) 03:40 (UTC)[返信]