ノート:サーカムフレックス

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訓令式の i に添えるサーカムフレックスについて[編集]

この編集[1]でIP氏は、

ただし、「î」の場合、一般には「i」の上のドットを書かずにサーカムフレックスを置くのに対し、訓令式ローマ字の場合には通常ドットを省略せず、その上にサーカムフレックスを重ねる。これは、昭和29年12月9日の内閣告示第一号のそえがきに「4.長音は母音字の上に ^ をつけて表わす。なお、大文字の場合は母音字を並べてもよい。」と記載されていることによる。つまり、上記内閣告示では、「i」の上の点を取ってよいとはかかれていないからである。

このように書き込まれていますが、以下のような理由から、恐縮ながら、取り消しをさせていただきます。

(理由 1)

この告示における ^ というのは、明らかにフランス語等のサーカムフレックスと同然の、あるいはそれらを強く思い起こさせる符号です。 今と同様、当時の日本国民においても、その一部にはフランス語等の知識があり、彼らは「点なしの î 」を目にし、よく慣れ親しんでもいたことでしょう。 いっぽう、「点つきの î 」を目にしたり自ら書いたことのある日本人は皆無に近かったことと思います。
そのような国民に向けてただ「母音字の上に ^ をつける」とだけ説明しているのですから、「 î 」についても彼ら(の一部)の慣れ親しんだ字体、すなわち「点なしの î 」を暗黙に意図していると考えるのが自然です。
逆に、もし「点つきの î 」を意図したかったのなら、このような国民にそれを正しく伝えるためには、「フランス語等のサーカムフレックスとは異なり、i の点は残したまま ^ を加える」等、明示的な説明を添えることが必須だったのは明らかです。 そして、説明を一切添えなかった時点で、かりに万が一そうした意図があったとしても、それは失敗し、廃絶していると考えざるを得ないでしょう。

(理由 2)

当時の時点で各国語には数百年にわたる「点なしの î 」の使用実績があり、もちろんそれは日本人にも知られていました。いっぽう「点つきの î 」の使用は世界的に見てもほとんど例がありません。 また、当時(印刷といえば活版印刷の時代ですが)国内の各印刷業者は「点なしの î 」の活字を多数所有していたことと思いますが、いっぽう「点つきの î 」の活字など、どの業者もほとんど持っていなかったことでしょう。
ですから、そのような状況下で上記告示が排除的に「点つきの î 」のみを意図していたとするなら、それはすなわち、豊富な使用実績があり社会資源中にも蓄積されている字体を意図的に排除し、使用実績がなく社会資源中に蓄積のない字体のみをあえて採用したということになります。
しかし、一体何のためにあえてそのような理に叶わない選択をする必要があったのか、その理由が見当りません。

(理由 3)

そもそも「“点を取り去ってもよい”と書かれていないのだから、点は残さなければならない」という論理展開自体に無理があります。たとえばあなたの近所の公園にもきまりごとを書いた立て札があると思いますが、そこには「公園内で会話をしてもよい」とは書かれていません。あまりにも自明のことですが、「してもよいこと」を全て網羅記述するのは通常不可能なので、「~してもよい」と書かれていないことがそれだけで「~してはいけない」を意味することにはなりません。
また、「“点を取り去ってもよい”と書かれていないのだから、点は残さなければならない」という論理が通るなら、逆に「“点を残してもよい”と書かれていないのだから、点は取り去らなければならない」という論理も通り得ることになってしまいます。両者は表裏一体であり、前者だけを合理的に肯定するような根拠は存在しないでしょう。

再度書き込まれる場合には、論拠を用意した上でこれらの問題点をクリアする必要があるかと考えます。

また現実面への配慮として、実際に「点つきの î 」は印刷物においても手書き文書類においてもほぼ全く使われていないことや、フォントで表現するためには文字合成を使わなければならず、きわめて汎用性に欠けることなども、じゅうぶん考慮して書く必要があるかと思います。 私の勘違いであれば恐縮ですが、Unicode中にさえ「点つきの î 」のようなグリフを意図した区点は用意されていないのではないでしょうか? ぎゅうひ 2010年10月3日 (日) 01:50 (UTC)[返信]

ぎゅうひさんが日本の義務教育を受けていないかかなりお年を召した方だったら申し訳ないのですが、小学校ではiの上に^をつけて表記すると教わらなかったでしょうか?ドットを省略すると教わっていたのでしょうか?
たとえば、
のばす音は,「おかあさん」→「okâsan」のように,ふつう,a・i・u・e・oの上に「^」を付けて書き表します。
(国語 四 上 光村図書 1997年 77P)
のように書いてあります。上記のような表現で、iの上のドットを省略すると日本の小学生に理解するようには考えづらいと思います。1980年代の教科書では、「i」の上に「^」がついた文字が示されています。
「実際に「点つきの î 」は印刷物においても手書き文書類においてもほぼ全く使われていない」のは、「イー」をローマ字表現するシーンが極めて少ないからだと思います。
昔の日本ではアクセント記号つきの文字はあらかじめ活字が用意されていなかったため、一文字戻して前の文字と合成する形でアクセント記号を付加する事を行っていましたので、むしろ、ドッとなしiを表現するほうが難しかったと思います。日本で使用されていたタイプライターなどでもありませんよね?--122.220.1.166 2010年10月16日 (土) 14:37 (UTC)[返信]
いえ…少なくとも明治5年よりはだいぶ後の生まれです(笑) ともあれお返事ありがとうございました。
たしかに、「 i の上に ^ をつけて表記する」と私も習いました。
が、問題はむしろそこではなくて………問題は、「 i の上のドットを取り除いてはいけない」とは私は習っていない、いうことなのです。 IPさんも同じではないですか? IPさんのかつての国語の先生も「 ^ の下には i を書くのを忘れてはいけませんよ、きちんと書き添えましょうね」などと注意を促したりはされていなかったのではないでしょうか。
お持ちの教科書には「点つきの î 」が図示されているということで、それは私には新しい情報で、ありがとうございました。 これによれば「 ^ の下にドットを書いてはいけない」という立場は明確に誤りであるということになりますね。
しかし、それが誤りだからといって、イコール「 ^ の下にはドットを書かなければいけない」ということにはならないでしょう。 上の(理由 2)(理由 3)で申し上げたとおりで、そのように導き出す論理展開はおかしいし、また、「点なしの î 」を禁止して得られるメリットなど全く見当たらない中で、そのような意図を想定するのはあまりにも非合理的ではないでしょうか?
真実はおそらく「 ^ の下のドットの有無にまで言及する必要を当時の策定者は感じていなかった」のであり、これを運用的に解釈すれば、せいぜい「 ^ の下のドットは書いても書かなくてもいい」なのでは? 文部省も誰も「点なしの î 」を明示的に禁止してはいないのではないでしょうか? ぎゅうひ 2010年10月16日 (土) 17:29 (UTC)[返信]
(閑話休題) 論点ははずれますが、IP氏が最後におっしゃっている「一文字戻して」云々というのは和文タイプか写真植字のことでしょうか? 訓令式告示当時、和文タイプライターはすでに存在したとはいえ、印刷の主流はいわゆる活版印刷(金属活字を一文字ずつ拾って、枠にはめて、それを版面とするもの。『銀河鉄道の夜』の主人公がアルバイトでやっていました。)だったことでしょう。