ノート:サブカルチャー

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サブカルとは[編集]

物語は第一芸術、映画は第八・第九芸術ですからねぇ……。サブにしていいものなのでしょうか。--以上の署名のないコメントは、210.150.190.193会話)さんが 2003年9月10日 (水) 04:20 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。[返信]

そもそも、サブカルチャー自体の説明がほしいです。自分自身、よくわかってないものですから。秀の介 05:56 2003年9月10日 (UTC)

  私は第一~第九芸術に含まれないものがサブだと認識していましたが……0null0 06:05 2003年9月10日 (UTC)

第九芸術とは何でしょう?第二芸術俳句らしいですが --忠太 2005年7月7日 (木) 16:06 (UTC)[返信]
私なりの理解で定義らしきものを追加してみました。kaz 2004年8月11日 (水) 12:26 (UTC)[返信]
「属性の偏った一部の担い手」は何とも難解ですので手直しさせていただきました。適宜修正いただきたく。 --忠太 2005年7月7日 (木) 16:27 (UTC)[返信]

第一~第九芸術について、第一芸術(文芸)、第二芸術(音楽)、第三芸術(絵画)、第四芸術(演劇)、第五芸術(建築)、第六芸術(彫刻)、第七芸術(舞踏)、第八芸術(無声映画)、第九芸術(トーキー映画)なのだそうです。この順番は「芸術として世の中に現れてきた順番」という説明があるらしいのですが、最後の映画以外はこの順番は謎です。--211.135.50.215 2006年5月11日 (木) 18:44 (UTC)[返信]

観点[編集]

「知識人や教養ある人々」が愛好するのが「高尚な文化」という定義は、観点上問題があるのではないかと思います。kaz 2005年7月10日 (日) 01:40 (UTC)[返信]
何故か知らないけどオタクの人は一般文化を皮肉るのが好きですね。--マサユキ 2006年9月19日 (火) 01:26 (UTC)[返信]
まさにそのような教養観は過去のものだ、という趣旨で書きましたが、誤解を受けますね。書き直してみます。 --忠太 2005年7月10日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
「知識人や教養ある人々に支持され、社会の支配的な文化であるメインカルチャー・・・」という定義は、相変わらず観点上の問題を感じます。「知識人や教養ある人々」以外はメインカルチャーを支持しないのでしょうか?また「知識人や教養ある人々」は全員サブカルチャーを支持しないのでしょうか?「観点」テンプレートをもう1度はっておきます。kaz 2005年7月12日 (火) 12:49 (UTC)[返信]

(階層戻します)本来的には「社会の支配的な文化」=メインカルチャー、でよいと思いますが、それだけでは、今日のような大衆化社会では「売れているもの」=メインカルチャー、になってしまい、少々おかしなことになります。単に支持者が多いだけではメインカルチャーの定義として不足するのであって、一定の社会的評価を得ていることが必要だと思います。また、一通り読んでいただければわかると思いますが、今日では「知識人や教養ある人々」もサブカルチャーを支持している訳です。従って、サブカルチャーという言葉自体が危機に瀕しているのかもしれません。挙げられている事例を見ても、ごくマニアックなものが主流なようですが…。 --忠太 2005年7月12日 (火) 13:07 (UTC)[返信]

確かに支持者が多いだけではメインカルチャーの定義として不足しますね。その定義だと2ちゃんねるのドメインのアクセス数は大手メディアを超えてるのでメインカルチャーになってしまいます。社会的評価という視点を持たないとこれを振り落とせません。というか2ちゃんねる的世界を振り落とした残りがメインカルチャーかな?スポーツにおけるプロレス、ゲームにおけるオンラインゲームもそれに対抗するメインカルチャーの存在が不明瞭なのでどうも怪しいものです。Elthy 2005年7月14日 (木) 06:35 (UTC)[返信]
やはり、支持者の属性が偏っているものがサブカルチャーの定義の一つたりえると思います。メインカルチャーたるには支持者に大きな偏りがないことが必要でしょう。偏りなく普及するのは、社会全体の評価があってこそ。現在のプロレス、オンラインゲームなどは、様々な階層へ偏りなく普及しているとはいえないので、サブカルチャーといってよいのだと思います。売れているもの=メインカルチャーになってしまう、という危惧も、現代では売れている=社会全体に受け入れられている、とは限らないので、問題ないと思います。kaz 2005年7月14日 (木) 15:06 (UTC)[返信]
その属性というのがよくわかりませんです。「年齢性別職業地域・嗜好など属性の偏った一部の担い手」(2005年4月27日 (水) 05:26 の版より)というのは一体どういうことなのか…。何か事例を挙げていただけるとよいかもしれません。 --忠太 2005年7月14日 (木) 15:28 (UTC)[返信]

歴史的な点を入れてみました。まだ不十分ながら、以前よりは誤解の余地もなくなったかと思います。特に異論なければ「観点」を取ります。 --忠太 2005年7月23日 (土) 14:03 (UTC)[返信]

取ります。 --忠太 2005年7月25日 (月) 12:50 (UTC)[返信]

使われ始め[編集]

(英語版より)

  • David Riesman(デヴィッド・リースマン)「ポピュラー音楽を聞く」こと(1950)
  • Dick Hebdige(ディック・へブディッジ)『サブカルチャー』(1979?1973?)
パンク、レゲエなどとそれを支える特定のグループを論じているらしい

環境問題[編集]

2005年11月3日 (木) 01:26の「環境問題とサブカルチャー性格との馴染みのよさを感じさせられる。」という点について - どこまでそう言えるのか? --忠太 2005年11月2日 (水) 17:05 (UTC)[返信]

メインカルチャーとハイカルチャー[編集]

どうもメインカルチャーとハイカルチャーが混同されている様に見受けられます。日本ではハイカルチャーに対してサブカルチャーですが、欧米(の一部、イギリスなどカルチュラル・スタディーズの活発な所)では、メインカルチャーに対してのサブカルチャーかと。多文化主義とかカルチュラル・スタディーズとかそんな感じです。日本と欧米、両者の違いを認識していないとそもそもの議論が成り立たない様に思います。本文中には両者の違いを書き加えましたので、あとは適当に全体的な体裁を整えて頂けるとうれしいです。 コータ 2006年5月1日 (月) 14:43 (UTC)[返信]

例えば日本のテレビドラマなどはハイカルチャー、サブカルチャー、いずれに属するのでしょうか。コータさん自身はどう思われますか?(個別の事象を厳密に区分する必要はないと思いますが) --忠太 2006年5月1日 (月) 15:02 (UTC)[返信]
テレビドラマであればサブカルチャーに属するかと思います。「題名のない音楽会」などはかなりハイカルチャーっぽいのですが。個別にハイカルチャーかサブカルチャーかの判断はできるのですが、総合的にサブカルチャーの範囲を論じるのはなかなか困難なものがありますね。サブカルチャーというと消費文化かつ若者向けという印象を私は受けますが、本来は必ずしも若者に限定できるものではないとも思いますし。 コータ 2006年5月1日 (月) 15:28 (UTC)[返信]
その定義では世の中サブカルチャーだらけになってしまいますが…。もっとも、メインカルチャーが衰退してしまっているので、サブカルチャーも意義を失っているという話もあるようですが。そもそもの言葉の起こり(メインカルチャーに対してのサブカルチャー)は押さえておいた方がよいかと思います。 --忠太 2006年5月2日 (火) 13:38 (UTC)[返信]
そういう意味では箇条書き(山手線方式?)でメインカルチャーとサブカルチャー、ハイカルチャーとサブカルに分けている現在の構成はベターかと思います。最近流行のサブカルが、本来の(日本以外で論じられている)サブカルチャーからかけ離れている事も分かりますし。 コータ 2006年5月3日 (水) 14:10 (UTC)[返信]

サブカルチャーの位相[編集]

>例えばかつては、歴史や古典文学について最低限の知識を持つことは当然と考えられていたが、近年では知らないことを恥じるどころか、かえってオタク趣味の一つとみなす傾向もみられる。

と、ありますが、「歴史や古典文学について無知である事」がどのようにして「オタク趣味の一つ」とみなされるのかが理解できません。判りやすい例を挙げられない場合は、書き直すべきだと思います。 古鳥羽護 2006年5月6日 (土) 18:17 (UTC)[返信]

文脈から無理矢理解釈すると、多分、「近年では知らないことを恥じるどころか、かえって(歴史や古典文学について最低限の知識を持つことを)オタク趣味の一つとみなす傾向もみられる」と言いたいのではないでしょうか。 コータ 2006年5月7日 (日) 09:34 (UTC)[返信]
ありがとうございます。沢山コメントアウトされていく内に、文章がおかしくなってしまったのかもしれませんね。僭越ながら、ご指摘を参考にして修正してみました。古鳥羽護 2006年5月7日 (日) 16:54 (UTC)[返信]
というかただの悪口でしょ。それは。--Hokkahoka 2007年4月7日 (土) 06:01 (UTC)[返信]

論点の整理[編集]

ハイカルチャー、ポピュラーカルチャー、メインカルチャー、サブカルチャーという四つの概念について論点を整理させていただきます。そもそもこれらの概念は文化を「エリートと非エリート」、「支配的かそうでないか」という二項から理解しようとするものです。何度も繰り返し述べられている事ですが、ハイカルチャーがクラシック音楽や絵画、文学など、受け手にある程度の素養を求める芸術を指すのに対し、ポピュラーカルチャーはより接近の容易な娯楽性の高いものを指します。ポピュラーカルチャーとは別にマスカルチャーという概念もあります。こちらは現代とそれ以前、あるいは大量生産か否かなどでポピュラーカルチャーと区別される場合もありますが、必ずしもその区別は明確ではなく、研究者によって区別していたりしていなかったり、まちまちといった所です。

これら「エリートと非エリート」の文化が芸術や娯楽などを対象とした議論であるのに対し、メインカルチャーとサブカルチャー、「支配的かそうでないか」という文脈ではより広い意味での文化、すなわち宗教、話言葉、身振り、振る舞い、考え方、生き方などが議論の対象となります。サブカルチャーをめぐる議論でも音楽などが重要な要素として扱われますが、これはジャズ、ラップ、レゲエなどの成り立ちがマイノリティのエスニシティや社会的境遇と密接に関連しており、マイノリティの文化の象徴となりうる為であります。ですが基本的にメインカルチャー(英語では特に強調する場合を除き、単にcultureと言う様ですが)、サブカルチャーという場合のカルチャーは特定のジャンルや作品などを指すのではなく、より広い概念、本来の意味での文化を意味します。場合によってはある文学作品がメインカルチャー(あるいはサブカルチャー)に属するかどうかが議論になる事もあるでしょうが、それはあくまでも作品の思想的背景や精神性の表出などをもとに判断されるものであり、文学作品だからメインカルチャーなどと論じる事は決してできません。文学だからどうとか、文学でないからどうでないとかいうのは、ハイカルチャー・ポピュラーカルチャーの議論であり、メインカルチャー、サブカルチャーの議論ではありません。「エリートの文化か非エリートの文化か」という議論はジャンルとメディアの問題であり、「支配的か否か」という議論はコンテンツのベクトルが問題となる、と言えるかもしれません。いずれにせよ、「エリート/非エリート」という枠組みと「支配的/支配的でない」という枠組みはそれぞれ次元が異なっており、「文化」という言葉の意味するところすら同じではない、という事を理解する必要があります。その辺りの基本情報を押さえずに、徒にこれらの用語を用いると本来の社会学、民俗学的見地からすると極めておかしい用法、たとえばハイカルチャー、ポピュラーカルチャー、サブカルチャーという用語を同一線上に並べてしまったりというような事になりかねません。以上が四つの概念に関する基本的な理解ですが、英語版、中文版wikipediaではこの理解に基づくサブカルチャー論が記述されています。しかとは確認したわけではないのですが、英中以外の言語もそう大差はないかと思われます。

さて、ここまでの事を踏まえた上で、現在の記事を顧みますと、「かつて、マンガは不真面目、不謹慎なものと考えられてきた。文学全集や歴史書などに比べて一段と低いものと見られ、手塚治虫のマンガが有害図書に指定されていたことさえある。こうした状況下では、文学全集や歴史書がメインカルチャーで、マンガはサブカルチャーであったと捉えられよう」という記述が目に付きます。「文学全集や歴史書などに比べて一段と低いものと見られ」という論理はハイカルチャーとポピュラーカルチャーのものです。にもかかわらず、この文の後ろは「文学全集や歴史書がメインカルチャーで、マンガはサブカルチャーであったと捉えられよう」となっています。メインカルチャーとサブカルチャーは一段高いとか低いとかいう次元の話ではありません。

その後ろに「ビートルズのデビュー当時は、良識ある大人達から眉をひそめられるような存在であった。当時においてはまさにサブカルチャーであったが、現在では一般に広く支持を受けており、メインカルチャー化しているといえる」との記述がありますが、メインカルチャーというのは「宗教、話言葉、身振り、振る舞い、考え方、生き方など」に関する広い概念であり、背景にあるイギリス労働者文化や伝統的音楽の影響、音楽教育の有無といった事柄を論じることなく「ビートルズ」という個別の事柄をいきなり取り出してくるのはナンセンスです。

私も社会学は専門ではないため、それほど多くの文献を読んでいる訳ではありません。しかし、二、三の本を読んだだけの付け焼き刃でも、現在の記事に書かれている内容に疑問を覚えてしまいます。「サブカル」の定義がまちまちだという事も理解はしていますが、せめて社会学の「サブカルチャー」に関する部分だけでも修正すべきかと思います。 コータ 2006年5月9日 (火) 16:24 (UTC)[返信]

長文ご苦労様です。「概論」を(現在の形に)書かれたのはコータさんだと思いますが、そこではハイカルチャーVSサブカルチャーと定義されているようで、上記に書いてある内容とは矛盾しているようです? また「エスニック・マイノリティやストリート・チルドレン、ゲイといった「下位集団」」の人々がやることなすこと(「本来の「文化」=「宗教、話言葉、身振り、振る舞い、考え方、生き方など」)は全てサブカルチャーだと理解してよいのでしょうか? そうであれば、別にサブカルチャーという言葉を使う必要はなく、マイノリティの文化と呼べばよいのではないでしょうか?
「「ビートルズ」という個別の事柄をいきなり取り出してくるのはナンセンス」との仰せですが、「メインカルチャーの境界が時代とともに変わることはありうる」という一例として示しているのであって、その背景を説明しないからナンセンス、というのはよくわからない理屈です。  --忠太 2006年5月10日 (水) 12:20 (UTC)[返信]
「ハイカルチャーとサブカルチャー」という場合の「サブカルチャー」はいわゆる「サブカル」を意図しています。サブカルチャーとサブカルを、ノートでは使い分けていますが、使い分けに関して必ずしも他の方の同意を得られるとは限りませんので、本文中ではどちらも「サブカルチャー」としています。
「やることなすことは全てサブカルチャーか?」という質問の意図が今ひとつ明確ではないのですが、マイノリティだっていつもそんなに突っ張っている訳ではないかと。普通に買い物したりする事もあるでしょうし、よその人とは共通語で話すのではないでしょうか。ですので、そんなにいつもサブカルチャーだけで生きている訳ではないかと。それとマイノリティでも、金持ちや特権集団の場合はサブカルチャーとはいいません。「マイノリティの文化と呼べばよいのではないでしょうか?」と言われても困ります。そういう用語なんですから。ところで、以上の質問は私が間違っていないか確かめていらっしゃるんですよね?忠太さんは随分と自信をもって書き込まれていらっしゃるようですので、以上の様な基本的な事柄は当然ご存じかと思ったのですが。
メインカルチャーについて論じる場合はビートルズの曲だけを論じるのではなく、その背景(分かりにくければ、属性でも、プロパティでも結構です)を論じる必要があります。たとえばビートルズであれば、歌詞は英語、メロディーは正式な音楽教育ではなく、イギリス労働者階級の伝統的な音楽の影響を受けている。基本的には反戦的で、愛こそすべて。初期はともかく後期は違法薬物を使用している場合があり、性的倫理に関しては、わざわざベッドインの様子を放送してしまうほどにオープンというか放縦。・・・といった事を考える必要があります。メインカルチャーの境界が時代とともに変化する(というよりもメインカルチャー自体が変化する)のは確かですが、ビートルズがメインカルチャーになった、ならないという言い方はしないのではないかと思います。メインカルチャーになったならないを言うとしたら、ビートルズではなくヒッピー文化ではないでしょうか。
さて、また長くなってしまいましたが、今後の議論の為にお互いの根拠を明確にするのが良いかと思います。お互いの参考文献が重なっていない様ですので。私は主に以下の三点を根拠にしています。
  • Scot,John. Marshall,Gordon. Oxford A Dictionary of Sociology. Oxford : Oxford University Press, 2005
  • 吉見俊哉編『カルチュラル・スタディーズ』講談社<選書メチエ>、2001
  • 菅原秀二「民衆文化とその変容」 岩井淳、指昭博編『イギリス史の新潮流』彩流社、2000
入門書やリファレンスなので、忠太さんが研究者向けの専門書や論文などを読まれているとしたら、お互いの説が食い違うのも仕方のない事かもしれません。ちなみに、サブカルチャーとメインカルチャーの定義は"Oxford Dictionary"と『カルチュラル・スタディーズ』、ハイカルチャーとサブカルチャーという観点は『カルチュラル・スタディーズ』、ハイカルチャーとポピュラーカルチャーについては「民衆文化とその変容」です。他にも昔読んだ多文化主義や民族学関連の本も多少は影響しているかと思いますが、特筆するほどではないかと思います。「サブカル」評論関連では、偏りはありますが、大塚英志、香山リカ、ササキバラゴウ、東浩紀あたりを一通り押さえています。本来のサブカルチャーやメインカルチャー、ポピュラーカルチャーについて論じたものは無い事と「サブカル」の定義がはっきりしない事が分かっただけでしたが。例外的に大塚英志氏だけはハイカルチャー、というか文学や文壇とサブカルチャーについて論じていました。
私の引き出しは以上の様な所です。忠太さんが主に使用している文献もご教示頂ければ幸いです。 コータ 2006年5月10日 (水) 16:52 (UTC)[返信]
「随分と自信をもって書き込まれていらっしゃるようです」って、疑問に思った点を書いているだけなんですけどね。まあ、前にも同じようなことを言われたことがあるので、反省材料にしておきますよ。
私は単にネット検索の成果ですので、コータさんの方が勉強されている、とは思っています。大塚英志は1,2冊読んだけど、ほとんど頭に残ってません。
「「ハイカルチャーとサブカルチャー」という場合の「サブカルチャー」はいわゆる「サブカル」を意図しています。」 → ここのところがもっと上の方でも書いたんですが、わかりません。ハイカルチャー以外はサブカルチャー、と定義するのでは、サブカルチャーの範囲が膨大になりすぎて、意味をなさない(ほとんどの文化事象がサブカルチャーになってしまう)のではないでしょうか?
「やることなすことは全てサブカルチャーか?」という質問の意図が今ひとつ明確ではないのですが、 →  本文に「「サブ」とは、社会的マジョリティの文化・価値観から逸脱した、エスニック・マイノリティやストリート・チルドレン、ゲイといった「下位集団」の事であり、メディア文化以外の価値観、行動様式、話し言葉など、本来の「文化」に近い意味でサブ「カルチャー」と言われる。」と書いてありますので、サブカルチャー=マイノリティの文化、と言いたいのかな?という意味で筆者に確認したのです。単なる私の誤解であれば幸いですが、わかりにくい文章ではないでしょうか?(ごく普通の階層の人々の中からでも、サブカルチャーが生まれてくることもあると思うんですが)
「ビートルズが登場当時はサブカルチャーであった」という点については、割合一般的な見方だと思いますが、その点についてはいかがですか? --忠太 2006年5月11日 (木) 15:23 (UTC) 一部追加 15:45 (UTC) [返信]
ビートルズに象徴される'60年代サブカルチャーが存在したか、という事ならYesです。紛れもなくビートルズは当時、サブカルチャーの真っ只中にありました。しかし、ジョン、ポール、リンゴ、ジョージの四人と彼らの音楽を指して、サブカルチャーかと問われるのでしたら、Noです。それは学術用語としてのサブカルチャーの用法ではありません。'60年代サブカルチャーは一つの「文化」といえますが、「ビートルズ文化」というような言い方はしないでしょう?ところで、本文中のビートルズのくだり、あれはいったい何処の国・社会を想定した文なのでしょうか。一応、アメリカ、イギリス、日本のどれかを想定していたのですが。
「ハイカルチャーとサブカルチャー」の件は、まあ正直、勇み足という気もしないではありません。ハイカルチャーとサブカルを対比させ論じている研究者、評論家がいるのは確かですが、サブカルの境界自体が定まっていないのも、それ以上に確かです。
サブカルチャー研究は学問としての流行を過ぎた感がありましたが、先日のスペイン語アメリカ国歌の問題などもあり、再び脚光を浴びるかもしれません。興味がお有りなら、ご自分で研究されても面白いかもしれませんよ。 コータ 2006年5月12日 (金) 16:36 (UTC)[返信]
「「ビートルズ文化」というような言い方はしないでしょう?」:う~む、ロック文化とかはありそうですね。ビートルズについての記述を「誤解」「無意味」(社会的背景を書けば意味を持つのか?)と一方的に斬って捨てられるのは不満でありますが、社会学的なアプローチは今のところ手に負えそうもないので、この件について特に語るものはありません。
サブカルチャーと言っても、本来イギリスあたりの社会学者が使い始めた際の意味(学問的な定義があったはず)、日本の社会学で使われている意味(論じる人自体が少ないのかな?)、マスコミで何気なく使われている意味、の間で相当意味の違いがありそうに思います。現在の記事がよいとはとうてい思われないので、それこそ整理していただければ助かります。 --忠太 2006年5月15日 (月) 16:09 (UTC) [返信]
もう少し文献を、特に80年代の日本におけるサブカルチャーブームに関するものを、探してみます。 コータ 2006年5月18日 (木) 16:46 (UTC)[返信]
サブカルチャーの意味する所の変化をまとめてみました。「事例」の所のビートルズはなんとか纏めましたが、漫画が有害と見なされたサブカルチャーで文学全集・歴史書がメインカルチャーだという部分はどうにも落とし所が見つからないので、漫画がサブカルチャーという観点については盛り込み済みなので削除しました。 コータ 2006年5月22日 (月) 12:48 (UTC)[返信]


>日本では特撮、アニメ、アイドルといった趣味を指す場合において用法が見られる。

特撮、アニメはおそらくTVメインだと思われるが、テレビ放送番組という段階で芸術に含まれていないので、サブカルチャーと考えるべきであるのは当然である。 アイドルとは、キャラクターの表現の一種なので、これを「カルチャー」と呼ぶ事がそもそもおかしいと思うべきである。 「アイドル文化」とカルチャーとは全く違うものだ。もっと言うならば、 アイドルが文化的か?という事にならない限り、アイドル文化とはならないのだ。 それは、粘土は粘土だが、粘土から造られた陶器は文化になり得るという事という事だ。