ノート:クローヴィス1世 (フランク王)

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人名表記について[編集]

世界史教科書の多くで「クローヴィス」の方が一般的であることを受け、学習者の便宜を図る意味で表記を「クロヴィス」から「クローヴィス」に変更させていただきました。 --Ballboy 2007年2月15日 (木) 14:03 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

Clovisを日本語版でどう表記するかという問題です。フランス語をもとにすると「クロヴィス」、英語では「クローヴィス」あるいは「クロヴィス」、ドイツ語ではクロードヴィヒ/クロートヴィヒ(Chlodwig)というカタカナ転写になります。Wikipedia日本語版ではフランス語の原音主義をとったためか、立項当初から「クロヴィス」表記が採用されており、上節の通り「クローヴィス」への改名が試みられたこともありますが正規の移動も議論も経ずに元通りになっています。しかし私は、結論から申し上げますとWikipedia:記事名の付け方#記事名の付け方の目安のうち1.認知度が高いを満たす「クローヴィス」を採るのがよりふさわしいのではないかと考えています。

  • 高校教育では「クローヴィス」を使っている。手元で確認できた東京書籍の『世界史B』(2020年)や帝国書院の『最新世界史図説タペストリー』(十八訂版、2020年)はClovisの転写として「クローヴィス」を採る。NHK高校講座 世界史も「クローヴィス」を採る。
  • 書籍では、ドイツ史やフランク王国史を主題とするものは「クローヴィス」を用いる傾向がある。
    • 山内進(著)、木村靖二(編)「第1章 フランク帝国の遺産」『新版世界各国史13 ドイツ史』、山川出版社、2001年、18頁。 
    • トゥールのグレゴリウス 著、杉本正敏 訳『新訂 フランク史 一〇巻の歴史フランス史』新評論、2019年。 本文中ではラテン語からカタカナ転写している(クロドヴェクス)が、訳者あとがき(p. 590)の表では「クローヴィス」を一般的な日本語表記として記載。
  • フランス史を主題とするものは「クロヴィス」を用いる傾向がある。ただしその場合はカール大帝を「シャルルマーニュ」と表記するのもセットになっており、「カール大帝」と「クロヴィス」を同居させる根拠にはならない。
    • 佐藤彰一(著)、福井憲彦(編)「第2章 ポスト・ローマ期から中世へ」『新版世界各国史12 フランス史』、山川出版社、2001年、73頁。 
    • ギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴィニー 著、楠瀬正浩 訳『フランス史』講談社、2019年、39頁。 
  • ドイツ史を主題とする文献で「クロードヴィヒ」を用いる文献もないわけではないが少数。この場合、「メロヴィンガー」という王朝名をはじめ、徹底したドイツ語からの転写とセットにすることが多い。
    • 秋山六郎兵衛『概観ドイツ史』白水社、1938年。doi:10.11501/1261599 
    • 三浦弘万 (1993). ヨーロッパ世界の形成過程の研究. 
  • Google Scholarで「クローヴィス フランク王」の検索結果は58件、「クロヴィス フランク王」の検索結果は31件。「クロヴィス」もよく使われている(フランス史の研究や、20世紀半ばの比較的古い研究が主)とはいえ、明らかに「クローヴィス」が優勢。
  • クロヴィス1世の頃は「フランス」「ドイツ」の地域・言語概念もまだない時代であるため、知名度の観点を押し切ってまでフランス語転写を用いるのを「原音主義」とするのは中立性を欠く恐れがある。

ちなみに、他のメロヴィング朝の王の記事はすべてドイツ語読みを採用しています。「クロタール」を「クロテール」、「テウデリク」を「ティエリー」と書くことはありません。ただし上掲の「クロヴィス」表記を採用するフランス史系書籍も、クロヴィスとシャルルマーニュ以外はドイツ語読み(慣例的な表記)を使用しています。それでもWikipediaでは「シャルルマーニュ」を採用していないので、「クロヴィス」だけを採用することで何らかの一貫性や信頼性を保てるわけではありません。

なお末尾に「(フランク王)」をつける点については、ノート:フランク王の一覧#フランク王の一斉改名提案で議論中です。もしそちらで改名案が否決された場合、ここでの改名先案もすべて「クローヴィス〇世」だけということになります。--McYata会話2021年7月17日 (土) 13:30 (UTC)[返信]

報告 改名を実施します。カテゴリは移動作業も含めてbot作業依頼にかけます。--McYata会話2021年7月24日 (土) 14:24 (UTC)[返信]