ノート:キプロス紛争

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ギリシャについて[編集]

ギリシャがならず者国家であるという文「このため、エルトゥールル号遭難事件やイラン・イラク戦争時のトルコ航空機による日本人救出の影響でトルコびいきが多い日本人の間に、ギリシャといえば「トルコと仲が悪い国」「トルコに嫌がらせばかりする無法者国家」というイメージが寝付いている」とされていますが、現時点では出典もなく、また片方の国だけを貶めるという記述がなされています。キプロス問題はどちらが悪いということではなく、長く根の深いものです。安易にギリシャを貶めることは中立性を著しく欠く行為であると考えます。上記記述はその深いところを知らないからこそ安易に書けるものであり、要出典で残せといわれますが、我々はその問題に対して責任を負うことができません、ですので確実性をもって出典を利用して記述するべきです。これらの理由により、決して許される行為ではありません。また、AXISパワーヘタリアとかいうのを題材にしていますが、キプロス問題とはまったく関係のない記述であり、書きたければ当該項目へ記述するべきでしょう。--Hideokun 2009年11月7日 (土) 09:27 (UTC)[返信]

そのとおりだと思います。突っ込みどころ満載です。
出典については、WP:RSがよい楯になるかと。--PRUSAKiN 2009年11月7日 (土) 11:07 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ただ、IPの方に呼びかけを行っているのですが、返事をいただけない状態です。また、ギリシャにおいても同様に記述を発見したため、コメントアウトで対処しました。いずれにせよ、編集保護に至ったのは私の不徳のいたすところです。復帰早々、バシバシしているだの3rr報告されるわ散々です。のんびり保守作業をして行こうと考えていただけに自ら本当にアホウにつける薬はないなぁとシミジミ思うしだいです。まぁ、そのお陰でいつかしようと考えていたキプロス紛争の加筆も一部、行えました。PRUSAKiNさんコメントありがとうございました、参考にいたします。--Hideokun 2009年11月7日 (土) 11:17 (UTC)[返信]
ギリシャの方がウォッチリストに入っていたため、こちらを見つけました。
その記述はかなり「奇妙」だと思います。全般にわたって突っ込み入れられますが、中でも極めつけは最後の部分です。
そもそも、日本人のあいだに何かイメージが「寝付いている」(え〜と、「根づいている」のではなく「寝ついている」んですよね?)と判断できるほど、日本でキプロス紛争の注目度は高いのでしょうか。
もし本当に根付いているほど有名な話なら、要出典テンプレートなど貼る前に出典を明示する方が容易なのではないでしょうか。123.で始まる可変IPさんですが、自分で書いた文章に自分で要出典テンプレートを貼るってどういうことでしょうか?何か事情があるのかもしれませんが、おもしろい方です。
国際擬人化漫画Axis powers ヘタリアは、WP:RSをどう解釈しても絶対に「信頼性の高い情報源」には相当しません。それに、もしこれしか出典がないのであれば、少なくともこの話が一般人に「寝付いている」ほどには根付いてはいないのだと判断できますね(根付いているんだったら、ほかにいくらでも出典は出せるでしょう)。
日本人とあまり直接利害のない外国関連の記事でこの手の問題が生じるのは珍しく、不運としか言えませんが、怪我の功名でページが充実したことだけが救いです。お疲れ様です。--PRUSAKiN 2009年11月7日 (土) 12:55 (UTC)[返信]
言いたいことをすべて言って頂いたようで誠にありがとうございます。しかし今度はギリシャでも編集合戦が生じつつあり自らのさらなる不徳を痛感するのみです。一応、呼びかけてはいるのですが、返事もないようですし、コロコロIPが変わるものでなんとも同じことの繰り返しとなっている状態です。その上、2ちゃんねるの話まで持ち出している状態でもうわけがわかりません。私自身はいろんな問題を起こしている身分なのでしょうし、さらに3rrに通報されるような身分である以上、自らは通報せずにコミュニティや管理者の方々の判断に任せていこうと考えています。とりあえず、対話拒否されている状態では話にならないです。PRUSAKiNさんにはいろいろお世話をおかけして誠に恐縮しています。本当にありがとうございます。--Hideokun 2009年11月7日 (土) 15:30 (UTC)[返信]
出ました、2チャンネル!(笑)
これについては、ガイドラインWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源およびWikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿で事実上名指しで「出典にならない」と規定されており、やきもきする必要もないくらい明らかにNGです。
ほかに出典はないのでしょうか?ガイドラインに書かれているこの一言に尽きます。「情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。
ガイドラインではWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にと規定されていますが、そこからすると、自分で書いておきながら自分で要出典を貼り付けるなど笑止千万ですな。この問題、苛立つだけ損というものです。明らかにHideokunさんの方に分があります。残念ながら相手が建設的に対話に応じてくれるという以外に根本的な解決策は思いつきませんが、最悪、しばらくブロックすれば時間が解決してくれるのではないでしょうか。もしそれでも問題が長く続いたり悪化したりするようなことがあっても、規模が大きくなればなるだけ多くの人の目に留まりますから、自ずといろいろの人からコメントがつくと思います。Hideokunさんだけに責任がのしかかり続けるということはないと思いますので、もう少し気楽に、長い目で見ていくんで大丈夫だと思いますよ (^-^)v--PRUSAKiN 2009年11月8日 (日) 13:53 (UTC)[返信]
暖かいお言葉ありがとうございます。ただ、編集合戦を2回も招いたことは事実ですので2日ほど自主ブレイクをいたしました。復帰早々、なんか疲れたというのは正直なところですが、多分、IP氏は知っていることを書きたいが出典がないのでしょう。でも、そもそもがギリシャが悪玉でトルコが善玉などというステレオタイプ的な表現はできるわけがありません。希土戦争以降、両国関係は(まぁ、古代ギリシャの頃からといってもいいかもしれませんが)白黒つけれるような関係ではないですからこれが当然だと考えています。そもそもギリシャが日本において悪玉とするならば地域ネタで申し訳ないですが、岡山の牛窓というところがエーゲ海のようなイメージをかもし出すことで観光振興をすることもないでしょうね、悪いイメージが根付いているならば。ですのでお返事がないのも当然と考えています。ただ、ギリシャの項目の中にはまだ不適格な部分が存在していますが、それも同じIP氏が書いているようですね。『あるドイツ人学者はギリシャ独立戦争時に「現代のギリシャ人には古代ギリシャ人の血は一滴も流れていない」「中世以降のギリシャ人はギリシャ語・正教信仰を受け入れギリシャ化したスラヴ人に過ぎない」とまで言っている。麻生太郎のような日本の保守派の多くもこの見解を支持している』の部分ですが、麻生太郎さんが保守派の代表で麻生さんの言葉だけ(そもそも三次資料にもならないと思います)で多くが見解を支持しているという点には疑問を抱きます。ドイツ人学者については多分、ファルメライヤーのことでしょう。これについてはこちらが資料を所有しているので、掲載はOKですが、麻生以下の削除を希望したいと思っています。とりあえず、保護解除についてはキプロス紛争は最低限の加筆を行ったことから、また、ギリシャの方は資料不足で加筆できませんので、現段階では考えていません。--Hideokun 2009年11月9日 (月) 10:47 (UTC)[返信]
コメント PRUSAKiNさんに完全に同意です。今回の件、Hideokunさんに完全に分があります。Wikipedia:コメント依頼/ギリシャ関連の対話不能IPにも書きましたが、件のIP氏は荒らしと言ってよいでしょう。Hideokunさん、お疲れ様です。--Kinno Angel 2009年11月20日 (金) 23:52 (UTC)[返信]

保護解除への提案[編集]

この項目は現在、私とIP氏との編集合戦により編集保護されています。まだ、当該IP氏は活動を続けており落ち着いたとはいえませんが、加筆を行いたいと考えています。そのため、保護解除を依頼したいと考えています。現在、試案を私の利用者ページに投稿しております。現段階では試案ではありますが、さらに加筆を行なう予定ですのでもしこの項目に対して興味をお持ちの方は解除への議論に参加していただければと思います。--Hideokun 2010年1月6日 (水) 22:17 (UTC)[返信]

賛成 LTA:EACは問題行為者ということで合意は得られていると思うので、もしまた同じことがおきたらその時は全保護ではなく半保護とすれば良いでしょう。--Peccafly 2010年1月7日 (木) 20:57 (UTC)[返信]
無事に解除されたことをご報告させていただきます。Peccaflyさん賛同ありがとうございます。また、保護解除依頼のほうでコメントをしてくださったKurihayaさん、対応してくださった背番号9さんにも感謝申し上げます。--Hideokun 2010年1月10日 (日) 13:15 (UTC)[返信]

矛盾点[編集]

こんにちはHideokunさん。利用者:Hideokunさんのこの編集なんですが、

  • 「1878年6月、イスタンブール協定により」のイスタンブール協定というのが見当たりません。その直近の条約・協定を探してみますと、ベルリン会議期間中の1878年6月4日のキプロス協定(Cyprus Convention)というのがありますが、これは秘密協定でして、オスマン帝国は領有権を留保したまま、大英帝国がオスマン帝国に年賦を支払う条件で統治権を大英帝国に譲渡しています。
  • 「さらに第一次世界大戦でトルコが敗れた後の1914年」は、トルコ(オスマン帝国)は1918年10月30日にムドロス休戦協定に調印し(翌31日の正午に発効)、第一次世界大戦に敗れているので、おかしいですよ。

万が一、引用された書籍に本当にそのようなことが書いてあるのであれば、誤訳の可能性もありますね。というわけで、利用者:Meissa77さんの版のほうがベターと言えます。Takabeg会話2014年9月16日 (火) 05:39 (UTC)[返信]

    • こんにちは、Takabegさん。多分、はじめましてですね。まず、文章を戻したのは単純に当該節の部分における参考文献に記載されていない内容になっていることから戻しました。私の方でも一応、そこら辺の流れは理解しておりますし、想像はしていましたが、いかんせん参考文献をチェックする暇がなく、また、参考文献に記載されている以上のことが書かれていることは出典が虚偽になるということで、Wikipediaを閲覧する方にとって不利益となります。もし文章を追加、もしくは修正する場合には参考文献、出典の記載が大前提かと思います。次に「イスタンブール協定」についてですが、これを引用した書籍は『山川出版社「ギリシャ史」桜井万里子編』からですので誤訳の可能性はありえません(なお、内容は確認済みです)。ですので、「イスタンブール協定」というものの存在について我々素人が判断をするべきではないと考えます。ただし、『創土社「ギリシャの歴史」リチャード・クロッグ』によれば「ベルリン会議でイギリス統治領」となったとあったと記憶しています。ですのでTakabegさんの言われることは間違いないのかもしれません。ただ、どちらの参考文献を重要視するかという点で純日本語文献である桜井万里子氏の文献を主に用いたというのが正しいところでしょうか。Takabegさんの方で文章を追加するのならばなんらかの出典を追加した上で記載していただければと思います。基本的に私は想像や推測で文章を追加しません。なぜならば私は専門家ではないからです。ただし、私が参考文献を用いて記載された部分についてはできるかぎり内容の整理、改変等は確認して参考文献に書かれていないことは出来る限り咀嚼して改変する、もしくは削除する。そしてさらに別に利用できる参考文献はないのか探すという作業をおこなうようにしています。今回は手元に桜井万里子氏の書籍はありましたが、リチャード・クロッグ氏の書籍がないため、やむを得ず削除いたしました。その辺りはご理解いただければと思います。--Hideokun会話2014年9月16日 (火) 12:56 (UTC)[返信]
リチャード・クロッグ (Richard Clogg)の本の原書本はCambridge Concise HistoriesA Concise History of Greeceのはずです。google booksで覗き見してみると、ご覧の通り利用者:Hideokunさんの版よりも利用者:Meissa77さんの版のほうが圧倒的に正確であることがわかります。山川のものは、必要であれば取り寄せてみますが、万に一つ、桜井万里子編『ギリシャ史』山川出版社に「1878年6月、イスタンブール協定によりキプロスはイギリ統治下に置かれ、さらに第一次世界大戦でトルコが敗れた後の1914年、イギリスがキプロスを正式併合、1925年に直轄植民地とした」というテキストを支持する内容が書かれていたら、その本はWikipedia:信頼できる情報源でないということになります。その場合、en:Wikipedia:Reliable sources/Noticeboardに報告を入れておきたいところですが、日本語版ウィキペディアには、このような掲示板はありますか?Takabeg会話2014年9月16日 (火) 13:38 (UTC)[返信]
早速のお返事感謝です。残念ながらそのような報告する場所は私は存じ上げないです。また、桜井万里子氏の書籍を否定するのはちょっと危うい判断ではないかと思います。まずTakabegさんの方で資料を確認していただいた上で判断されるのが適切かと思います。Takabegさんがギリシャ史、もしくはキプロス史、トルコ史について桜井氏を凌ぐ研究家であるならば問題はないのですが、Wikipediaにおける匿名の投稿者である以上、現段階では桜井氏の書籍を否定すべきではありません。また、桜井氏の書籍を否定することは山川出版社の査読を否定するということになりかねません。「イスタンブール協定」ということばがもし初見であるならばそれはTakabegさんが知らないだけかもしれません。その場合、桜井氏の書籍の参考文献をすべて網羅してから判断すべきでしょう。ただし判断したとしてもあくまでも素人判断であり、文献に記載がない間はWikipediaに記載すべきではないと考えます。今回のケースの場合、桜井氏が正しい、クロッグ氏が正しいという判断を我々素人がすべきではなく、両論併記するのが適切ではないかと思われます。ご熟慮のほどお願いいたします。--Hideokun会話2014年9月16日 (火) 14:22 (UTC)[返信]

山川の本の「第七章 現代のギリシア」(執筆は佐原徹哉さん)を読んでみました。問題はテキストではなく、ソースからウィキペディアへの誤引用でした。本には、

「キプロス島では一八七八六月のイスタンブル協定以来、イギリス支配が始まったが、イギリスは第一次世界大戦でオスマン帝国が同盟国側で参戦したのを口実に、キプロスの併合を宣言し、一九二五年には英領植民地に組み込んだ。」

とあり、 「1878年6月、イスタンブール協定によりキプロスはイギリ統治下に置かれ、さらに第一次世界大戦でトルコが敗れた後の1914年、イギリスがキプロスを正式併合、1925年に直轄植民地とした」

の「さらに第一次世界大戦でトルコが敗れた後の1914年」の部分は明らかに間違っています。また、「イスタンブール協定」という用語ですが (イスタンブル条約やイスタンブル協定は、Treaty of Constantinople, Convention of Constantinopleのようにたくさんあります)、1878年6月4日の二か条から成る秘密協定と7月1日の五か条から成る追加協定について協定が調印・批准された場所はイスタンブルですので、あながち間違いとは言いませんが、あまりというかほとんど使用されたことはありません。誰が見ても問題なのは、「さらに第一次世界大戦でトルコが敗れた後の1914年、」という部分であり、ウィキペディアの信憑性を著しく低下させていますので、どうか修正してください。お願いしますm(_ _)m また、1878年6月・7月の協定に関する学術論文が入手できましたので、時間があるときに加筆したく存じます。それでは、ごきげんよう、さようなら。Takabeg会話2014年9月17日 (水) 03:15 (UTC)[返信]

おお、そうでしたか。「第一次世界大戦後」というのは私の誤りだったようですね、陳謝いたします。しかしながら今回のことはTakabegさんの方で作業してください、私のような資料をキッチリ読むことができない者が動くよりも適切でしょうし、私もすでに隠居状態ですので。では、ごきげよう、さようなら。Takabegさんのご活躍を祈念しております。--Hideokun会話2014年9月17日 (水) 08:59 (UTC)[返信]
とりあえず情報を追加しておきました。リチャード・クロッグの本の日本語訳も入手できたので確認してみます。それと、エノシスが急に1973 - 74年に出てくる印象があるので対応しようと思います。故ラウフ・デンクタシュさんは、エノシスが無ければキプロスは現在のようにならなかったと回想していました。上の方の議論?を読んだのですが、何かかなり大変だったみたいですね。お疲れ様でした。実はそろそろ休みが終わるので、私も再び隠居します:) 花子とアンももうすぐ終わるようですが、再び、ごきげんよう、さようなら。Takabeg会話2014年9月22日 (月) 08:47 (UTC)[返信]