ノート:ガンデン・ティパ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ダライラマとの上下関係[編集]

ダライラマの宗教的権威についてガンデン・ティパより「上か下か」についてノート:ダライ・ラマで議論中です。--Dalaibaatur 2009年10月10日 (土) 04:12 (UTC)[返信]

記事の根拠[編集]

記事の根拠として、記事の末尾に参考文献を列挙し、注にて文献名やページ、行を示しましたが、ノート:ダライ・ラマには、この記事の根拠とした各文献の実際の文面が引用してありますので、この記事の文面に添削をご希望のかたは、ぜひあわせてご参照ください。--Dalaibaatur 2009年10月10日 (土) 13:22 (UTC)[返信]

ポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェの肩書きについて[編集]

2009年10月27日 (火) 10:16の版の編集でIP[211.2.44.58]氏が加えた編集には

  • ポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェが1988年に「ガンデン・ティパ代理」に選出されたとあります。しかしこちら[1]などをみると、ポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェの肩書きとしては、
  • ガンデン寺民主管理委員会主任
  • 中国仏教協会理事
  • 中国仏教協会チベット支部副会長
  • 中国仏教協会副会長
  • 中国仏教協会チベット支部会長
  • 中国仏教協会諮儀委員会副主席
  • 全国政治協商会委員
  • チベット自治区政治協商会常務委員

などが列挙されていますが、「ガンデン・ティパ代理」というポスト名はあがっていません。 IP[211.2.44.58]氏により、「ガンデン・ティパ代理」というポストが実在すること、「ガンデン・ティパ代理というポストにポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェが就任したこと」などについてのソースが提示されない場合、いったんポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェと「ガンデン・ティパ代理」に関する記述を、記事本文から外すことを提案します。--Dalaibaatur 2009年11月2日 (月) 14:51 (UTC)[返信]

Dalaibaatur さん、こんにちは。ご希望のソースです。イザベル・ヒルトン〈三浦順子訳〉『ダライ・ラマとパンチェン・ラマ』(ランダムハウス講談社、2006年)403-404頁によると、1959年にガンデン・ティパが亡命したため、チベットの僧たちは1988年に高僧ポミ・リンポチェを「ガンデン大座主代理」に選んだ。しかし中国は「代理」という言葉自体に、中国を裏切ってインドに亡命したガンデン・ティパへの敬意が含まれているとして、ポミ・リンポチェの称号を認めなかった、ということです。←同書の著者はイギリス在住のジャーナリストですが、中国問題を専門とし、ダライ・ラマ14世とも親交厚く、なによりも、パンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマの認定の歴史的瞬間にダライ・ラマの側で立ち会ったという人物ですから、その記述は信頼に値すると考えます。また、中国はポミ・リンポチェの「ガンデン・ティパ代理」の称号を認めていない(しかし、ガンデン・ティパ代理というのはあくまでゲルク派内部の宗教的問題ですから、中国政府が認める認めないというのは論の埒外でしょうね)ということなので、中国側の報道にその称号が登場しないことは納得できます。ただし、2009年10月30日 (金) 20:05にIP58.70.71.218氏が加えた編集で「ガンデン・ティパ代理」の記述が分節されたのはいかがなものかと思っております。ガンデン・ティパ自体ならばともかく、その代理に「初代」といった表現がふさわしいのかどうか、また、ポミ・リンポチェが遷化の2002年までガンデン・ティパ代理でありつづけたかどうかについては出典が必要と存じます。よって、分節以前の状態に戻したいと思うのですが、いかがでしょうか?--218.217.18.103 2009年11月3日 (火) 14:21 (UTC)Sie[返信]

Sieさん資料のご紹介ありがとうございます。わたしも現物で確認しました。分節の件ですが、中国統治下のガンデン寺では、従来とはまったく別個の原理で代表者が決められているので、「ガンデン・ティパ代理」という名称はともかく、「歴代座主」とは節を分けた方がいいのではないかと思います。分節したままで、記述を増補してみましたので、ご意見をいただければ、と思います。--Dalaibaatur 2009年11月3日 (火) 18:30 (UTC)[返信]
Dalaibaatur さん、ご苦労さまです。確かにこのほうが良いですね。綺麗な仕上がりになって、読みやすいと思います。なお、ポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェの項を新設されたことも、確認いたしました。--220.145.51.67 2009年11月4日 (水) 11:58 (UTC)Sie[返信]

ガンデン・ティパ第101代について[編集]

Dalaibaatur さんはガンデン・ティパ第101代をルンリクナムギャル(リクスン・リンポチェ)と修正されたのですが、英語版によりますとルンリクナムギャルはチベット本土のカム地方の出身です。それに対して、現在のガンデン・ティパであるリクスン・リンポチェはインドのラダック出身ですので、このふたりは別人でしょう。ルンリクナムギャルのガンデン・ティパ就任は2002年だといいます。ここからは後は私の推定なのですが、ガンデン・ティパの任期が7年だとすると、今年2009年には第101代ルンリクナムギャルの任期が終わっていると考えられます。すると、今年までの時期にルンリクナムギャルは退任し、それに替わってリクスン・リンポチェが新しいガンデン・ティパに就任したというのが事実かと思います。ただ、リクスン・リンポチェを第102代とするのには私も確実なソースを持っておりませんので、確証が登場するまでは「代数不詳」として挙げておくことが良いのではないでしょうか。--218.217.18.103 2009年11月3日 (火) 14:21 (UTC)Sie[返信]

ご指摘に従い、記述を訂正しました。--Dalaibaatur 2009年11月3日 (火) 18:30 (UTC)[返信]
こちらもありがとうございます。他の言語版のウィキペディアでは未だ101代までしか記載がないようですので、日本語版が他に先駆けて現任のガンデン・ティパの情報を記載したことになります。おそらくリクスン・リンポチェが102代で間違いないとは思いますので、代数を確認できるソースを探したいですね(なお、代数について、「待考」とは言い得て妙だと存じます)。それはそうと、ドイツ語版のGanden Thripaの項目<http://de.wikipedia.org/wiki/Ganden_Thripa>には、初代から101代までのすべての方々の名前が列記してあります。これを参考にするならば、現在、日本語版で抜けている56代〜96代を埋めることができそうです。私では正確なカナ転記が無理なのですが、Dalaibaaturさんならば可能ですよね? --220.145.51.67 2009年11月4日 (水) 11:58 (UTC)Sie[返信]
ご紹介のドイツ語版にもとづきとりあえず56代〜96代の名前だけは埋めました。カナ表記については、今枝由郎小野田俊藏の2氏が提案している「チベット語→カナ転写方式」があります(ロラン・デェ(今枝由郎訳)『 チベット史』 春秋社, 2004の付録)。「ウィキプロジェクト・チベット語の固有名詞の表記」の類いをたちあげ、チベット語のカナ転写に悩む人たちの基準として提案し、賛同がえられたら、かつでの自分の表記(←かなり訛っているw)もふくめ、この方式で表記を整理していきたと考えています。--Dalaibaatur 2009年11月4日 (水) 16:54 (UTC)[返信]
ドイツ語版[2]、ちょっとこわいですね。たとえばリンリンポチェの法名は文献⑥や伝記サイト[3]では「トゥプテンルントクナムギャルティンレー(thub bstan lung rtogs rnam rgyal 'phrin las)」となっていますが、「〜テンジンティンレー」となっていたり。どれだけ潜んでいるかわからない誤りを日本に移植してしまうのはイヤなので、これ以上の転載はいったん中止します。--Dalaibaatur 2009年11月5日 (木) 03:11 (UTC)[返信]

ガンデン・ティパ第102代について[編集]

リクスン・リンポチェの本名がトゥプテンニマであること、そして彼が第102代であることが確実な典拠によって確認することができたようですね。良かった良かった。--219.116.134.141 2009年11月5日 (木) 13:00 (UTC)Sie[返信]
Sieさんにツッコミいれてもらえなかったら、55代までで息切れしてたとおもいますw
座主たちの個々の事績、表の中にはとても入りきらなかったので、注の中にいれて表の外にはだしましたが、そうすると、注の中が「典拠の表示」と「個人の事績」でグチャグチャになってたいへん醜い。スタブになってもかまわないから、とにかく一人一人記事を立てて、「リン・リンポチェが終身ティパ」とか、制度面に関わる情報は別として、個々の事績はそっちに放りこんでいこうと思います。--Dalaibaatur 2009年11月5日 (木) 14:25 (UTC)[返信]
Dalaibaaturさん、こんにちは。連日の増補改訂、お疲れ様です。おっしゃるとおり、注はできるだけ典拠表示にとどめるべきですよね。上記の方針に賛成します。ところで、第102代ガンデン・ティパについて疑問がでてきました。第102代ティパが「Thupten Nyima トゥプテン・ニマ」という人物であることは、Dalaibaaturさんご提示の<http://www.tibet.ca/en/newsroom/wtn/7767>によって確認されます。ただ、Dalaibaaturさんは彼の伝記資料として<http://www.drepung.org/Changing/Retreats/Rizong-2005.htm>と<http://www.loselingmonastery.org/index.php?id=48&type=p>をあげておられるのですが、そこであげられているラマは「Kyabje Rizong Rinpoche(Kiabje Rizong Rinpoche)キャブジェ・リゾン・リンポチェ/Thuten Nyimaトゥテン・ニマ(カナ表記には自信はありません(^^;))」という人物なのですが、これは第102代ティパのトゥプテン・ニマのことなのでしょうか? というのも、私が依拠した「チベットNow@ルンタ」2009年10月27日条<http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51286309.html>によると、現在のティパは「リクスン・リンポチェ」と表記されているからです。このソースを書かれている中原一博氏はダラムサラに永く在住しておられ、しかも氏のこの条項は「新ガンデン・ティパ」のリクスン・リンポチェが出席している儀式に同席しながら書かれたドキュメンタリーであり、さらにはその中でダライ・ラマ14世法王御自身がリクスン・リンポチェを新ティパとして紹介されているというものですので、信憑性は高いと思います。そうすると、第102代ティパはリクスン・リンポチェの称号を持つトゥプテン・ニマであり、それはキャブジェ・リゾン・リンポチェの称号をもつトゥテン・ニマとは別人である、とも思えるのですが、どうなのでしょう?--218.217.17.158 2009年11月6日 (金) 12:38 (UTC)Sie[返信]
コメント拝見。記事本文の「ガンデン・ティパになるプロセス」という節で、ツルティム氏の著作にもとづき「ギュメ寺のチャンツェ・チョェジェとギュト寺のシャルツェ・チョェジェから交代でティパに就任する」という方式を紹介しましたが、こちらのサイトでは、「現在(=2008年10月当時)」の「第101代ティパ」が「シャルツェ・チュージェのご出身」なので、「現チャンツェ・チュージェのリゾン・リンポチェ猊下は間もなく第百二世ガンデン座主となられる予定です」とあります。従って、第102代ガンデン・ティパ=トゥプテンニマ師が、ラダック・リゾン寺第3世セ・リンポチェリゾン・リンポチェであることは間違いありません。「チベットNow@ルンタ」に見える「リクスン・リンポチェ」という表記が、作者中原さんの「間違い」なのか、「第102代ティパがいくつも持っている称号のひとつ」なのかは、ちょっとわかりません。いちおうリクスン・リンポチェ第3世セ・リンポチェにリダイレクトさせてあります。--Dalaibaatur 2009年11月7日 (土) 17:04 (UTC)[返信]
Dalaibaaturさん、こんばんは。なるほど。確かに、第102代ガンデン・ティパ =トゥプテン・ニマはリゾン・リンポチェだというのはほぼ確実そうですね。前述の通り、中原氏のソースも信憑性が高いと思いますので、現段階では「第102代ティパがいくつも持っている称号のひとつ」であるという推定が妥当のようですね。ただ、確実にそうだといいうるソースがある、というわけでもありませんので、新たな情報源が確認されるまで、とりあえずは両論併記とさせていただきます。--211.2.15.133 2009年11月9日 (月) 14:04 (UTC)Sie[返信]