ノート:オットー・スコルツェニー

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ムッソリーニの救出に関する記述について[編集]

このことについて、この項目では、その全てをスコルツェニー自身が仕切り、部隊を率いてムッソリーニを救出した旨の記述になっており、ハラルト・モルスの記事との間で明らかに矛盾が生じています。なお、ムッソリーニ救出作戦を扱ったグラン・サッソ襲撃の項目では、この作戦について、ドイツ空軍が仕切り、ハラルト・モルスが実際にムッソリーニを救出した現場の指揮官で、スコルツェニーは随行してムッソリーニの身柄を受け取ったという記述になっています。どちらがムッソリーニ救出における現場の指揮官を務めたのか事実のわかる方は修正をお願いします。--122.133.149.228 2008年12月31日 (水) 21:40 (UTC)[返信]

  • こんにちは、山下英一郎著「SSガイドブック」によるとドイツ空軍地上部隊が麓を制圧しスコルツェニー指揮下のSSコマンド空挺部隊が救出したとあります。

スコルツェニーらSSのコマンド要員も空軍の戦闘服を着用している点から空軍の影響下が強かった事がうかがえます、 スコルツェニーは虚言癖があり戦後収容所で非ナチ化教育を受けたと言ったり、脱走したと言ったりどうも信用なりません。 結論としては現場指揮をし功績はあったのでしょうが一般に言われているよりもどうも空軍の影響が強かったようです、 それ以上は主観の問題なのでわかりかねます。 ただ、ムッソリーニ救出作戦以後に関わった作戦も全て失敗している点に着目するべきものがあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Bundesarchiv_Bild_101I-567-1503C-16,_Gran_Sasso,_Mussolini_vor_Hotel.jpg この画像も有名ですが指揮官のスコルツェニーが目立つようにリクエストした再現写真なのでムッソリーニも渋い顔をしていると言われています。--219.18.35.75 2009年3月15日 (日) 14:37 (UTC)[返信]

どうやらムッソリーニ救出作戦の隊長は、ハラルト・モルスのようですね。それにヒトラーから作戦の実施に関して直接指示を受けたのがドイツ空軍というのは英語版のグランサッソ襲撃でも明らかですし、この手の作戦は奇襲要素の強いもので、麓の掃討をやりながらなどという余裕はないはずであり、一気にグライダー降下の後に救出し、さっと引き揚げるのが定番のような気がします。さらに当時、大尉であったスコルツェニーが少佐のモルスを指揮するというのも空軍より武装親衛隊が格上という要素を差し引いても変な話です。--118.109.159.11 2009年10月3日 (土) 15:54 (UTC)[返信]