ノート:にくてん

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  • 61.202.102.65さんのおっしゃる(現地取材もせず雑誌だけを見て、あたかも調べた様な記載は不適切である)というのはどういうことなのでしょうか?すべての記事においてみんながみんな取材し調べることができるとは思わないのですが。参考Wikipedia:説明責任--©Nnn 2005年11月1日 (火) 14:54 (UTC)[返信]
  • Nnnさんへ、私は何十年も前から、お好み焼き・にくてんを焼いて、お客様に提供している者です。おっしゃる通り、確かに全てが全て取材する事は不可能です。しかし、今回加筆された内容は、誤りと思われる物や、現在では検証できない箇所があり、しかもその引用先が雑誌だと言うのは不適切ではないでしょうか。雑誌の内容全てがウソ、とは申しませんが、最低限、自分の目で見たものを、加筆して頂きたいものです。しかも不適切な内容を、削除や版を変えた際に「いたずら」呼ばわりされた事は全く不本意です。何も知らない人が、誤った内容を見て、信用されてしまうと言う事の方が、もっと残念な事だと思います。

内容に関し

>生地を引いた上に具をのせて焼き鰹粉(現在でも鰹粉は鰹節同様鰹以外も入っているので魚粉ともいう)をまぶす。→ほとんどのお店は、魚粉ではなく「けずり節の粉」を使用しています。しかもまぶすのではなく生地を引いた上にかけ、その上に具材をのせます。さらに最近は、お好み焼きの影響で鰹節の粉ではなく「カツオ節」そのものをソースを塗った上にかけるお店もあります。

>大正筋商店街付近(旧:肉天町)→役所の方に聞いてみましたが、大正筋のある神戸市長田区に、肉天町と言う町名は、今も昔も存在しません。おそらく「にくてん街(にくてんがい)」→「にくてんまち」→「肉天町(にくてんちょう)」と、読み替えられたものだと思われます。

>のちに戦後アメリカからのメリケン粉が普及するにつれにくてんの呼び方は薄れ→はたしてそうなのでしょか?現在では検証出来ません。神戸では昔から、小麦粉の事をメリケン粉と呼んでいます。材料が変わればネーミングが変わるのは仕方のない事ですが、材料が変わらないのにメリケン粉が普及したから呼び名が変わる、とは思えません。私が昔に、古い人から聞いた話では、にくてんは単品メニューだったため、客の「お好み」に応じて具材を変えて焼く、いわゆる「お好み焼き」のお店の方がメニューのバラエティに富んでいて、流行するようになり、それにつれて店も変化し、だんだん影が薄れていった、と聞いています。

>尼崎地域は、同じものでも洋食焼き、一銭洋食として名が通っていた→にくてんと一銭洋食は全く何の関係もありません。偶然よく似たような焼き方をしたものが、たまたまそう呼ばれていたのでしょう。何の関係も無いものを関連づけするのは、いかがなものでしょうか?

>スジコンを入れる場合神戸地域ではすじてんと呼びにくてんよりかは安く売られていた→本当にそうだったのでしょうか?現在では検証する事は出来ません。今はスジ肉入りの方が、単価を高く設定している、うちの店含めてそんなお店のほうが、大多数です。

>肉天の字をあてる店も少なくない→「肉の天ぷら」を売るお店なら仕方ありませんが、少なくとも兵庫県のお店では1件も見た事はありません。うちの店では、お客様に肉の天ぷらと間違えられないよう、必ずひらがなで「にくてん」と表記しています。他のお店も同様に、お客様に対して、間違えられないように、配慮しているのではないでしょうか。

>また同じ四国でも徳島県では肉天と記されるものは少し違い天ぷらのことを指し→冒頭に、「にくてん」は、兵庫県地域のお好み焼き、と記載してあるにもかかわらず 文章中に、徳島県では、肉天の事を天ぷらと記載されています。これも「にくてん」とは全く何も関係のない内容ですが、関連づけしようとしています。

以上が、不適切と思われる箇所です。 この内容が、調べた事と称して、雑誌だけからの引用であるならば、同じ「にくてん」を売っている者としては、誠に残念な事であります。

さらに、もう一つ忘れていました。過去の履歴に「地域を分ける」とありますが 何を根拠で、どんな基準で地域分けできるのでしょうか?やはり雑誌からなのでしょうか? 特に、阪神地域(尼崎を除く西宮以西)と具体的に出ていますが 本当に、この分け方で合っているのでしょうか? もともと、「にくてん」は神戸でも西の位置にある、長田地区が発祥ではないかと、言われています。あの広島風お好み焼きでさえ、そのルーツは「にくてん」ではないかとも言われています 。根拠が明確でないなら、具体的に分ける必要もないと思います。

  • あの、何か勘違いしてませんか (現地取材もせず雑誌だけを見て、あたかも調べた様な記載は不適切である)について聞きたかったのですが、記事について質問したのではないのですけど記事の内容については詳しくありませんので・・・おっしゃってる主な記事を書いたのは私ではないですし。それと疑問のある文面については削除するのではなく後日調べるということでコメントアウトにしたほうがいいと思いますが。まるまる削除し履歴を残さない場合、その文面を投稿したひと意見が合わないということになり、いざこざのもとになります。ウィキペディアは一般用の百科事典ですWikipedia:中立的な観点にそぐいません(かたよった一方の意見だけではなく反対の意見ものせなくてはいけない等)人類の知識についてやや緩やかな見方をして、互いに競合する様々な理論がどれも人類の知識の一部である、と考えることにします。私たちは、ひとりひとりが、そして全体としても、競合する諸理論が公正に提示されるように、特定の立場が主張されないように、努力するべきです。それと 肉天の事を天ぷらと記載したのは 一部地域(長田などの神戸)のにくてんというものだけではなく百科事典は広義な意味も捉えなければいけませんのでのせましたが間違ってますでしょうか?。

--©Nnn 2005年11月5日 (土) 16:01 (UTC)[返信]

  • ご質問の答えは、ノートの冒頭に記載しています。現地取材と言うのは言い過ぎでしたが、「ご自分の目で見たものを加筆頂きたい」と回答したつもりです。つまり、事実確認のとれたものを記載願いたいと言う事です。何かからの引用で、そうでない場合は、「~かもしれない」の仮定法や、「~と雑誌には記載されていた」など、注釈を付けて表現すべきなのではないでしょうか。

中立的にと言われますが、事実でない内容を掲載し、それらが多数の人に閲覧引用され、事実でない事が事実になっていく…この事が中立的で公正と言えるのでしょうか?今やウキペディアは他の多数のWEBに文章そのものが、そのまま引用されるほど、影響力が非常に大きくなったと思っています。どこかのページに「編集は大胆に」とは出ていますが、影響力が大きいからこそ細心の注意を払うべきではないのでしょうか。特に「肉天町」などは、公的な所で調べた結果、事実ではありませんでした。肉天の事ですが、今の本文をよく読んで下さい。「にくてん」=「肉天」と記載されているでしょうか?ひょっとすれば「肉転」かもしれません、ほかの漢字かもしれません。先代から受け継ぎ、昔から今でも毎日焼いている「にくてん」、少なからず天ぷらでない事は事実です。さらに「一部地域(長田などの神戸)のにくてんというものだけではなく…」ノートには地域限定かも知れない風な記載をしましたが、本文は長田地域に限定していません。広義的な、とも言われますが、何も知らない人からすれば、別な物は別と、明確にした方が混同しないのではないのでしょうか。今でも多くの方々に支持されている「にくてん」機会があれば一度、食べてみて下さい。

  • 間違っていたなら申し訳ありません、にくてんとは全然関係ないのですが、ひとつだけお教え下さい。078様とEte様、Nnn様は、何か同じ団体に所属されておられるのですか?ユーザー投稿記録を拝見させて頂きました。神戸や明石、関西地区の事を日々投稿されておられるみたいですね。078様Ete様は、同じ9月19日から投稿スタート、日によって、たくさん投稿されておられますが、投稿が少ない日はなぜか同じ…、にくてんの版を戻したのですが、11月1日から御三人殿はなぜか投稿無し…

11月5日、Ete様は投稿再開関守稲荷神社、11月6日Nnn様は周辺情報の村上帝社を投稿再開、さらにNnn様は、その前10月12日に関守稲荷神社を投稿。 もしみなさんが同じグループなら「にくてん」御一緒に、一度食べに来て下さい。

  • 078様とEte様他の人はよくわかりませんが多分同じ関西人で利用者にはウォッチリストというものがあるので関心のある項目が更新された場合簡単に調べることが出来簡単にアクセスすることができます。一度アカウントをとってみるのもどうでしょうか。--©Nnn 2005年11月7日 (月) 22:17 (UTC)[返信]
  • 肉天町(にくてんまち)は現在でいう通り名(にくてん街)で公的な町名(ちょうめい)とは違うとおもいます、それと関連項目や関連書籍まで消すことはないと思いますが。それと歴史的に考えて長田発祥というのは薄いと思われます長田界隈が発展したのは戦後で、戦前は現在の三宮に市役所が移る前の神戸から新開地(福原)あたりの繁華街であるとおもわれます。当時、繁華街ができた界隈に高級料理屋として肉天ヤという名前で数件開店していました一般的にうられていたテイクアウトの肉天と違い店内で食べる商いをしており当時洋食ブームであったステーキの鉄板のアイデアから現在の鉄板を囲んで食べる図式が生まれたといわれています。おもに店主が女性であったことも少し違うところです一般的に子供向けの肉天と区別するためにスジ肉を使ったものをすじ天、高級料理で女性向けに作られたものを肉天とする店もすくなくありませんでした戦後、市の中心部が三宮へ移るとともに肉天は廃れていきます、その後は肉天ヤで美丁という有名店が粉焼きというものを販売していましたが、他店との差別化をはかるためにお好み焼きという商標を最初に登録したこともあります。
  • 上記の内容に関して、かなり具体的に書かれておられますが、どこからか引用されたものなのでしょうか?やはり雑誌からなのでしょうか?。肉天の発祥か…と思われる事は記載されていますが「肉天ヤ」と「にくてん」との関連性があったのか無かったのかよくわかりません。「長田界隈が発展したのは戦後…」、とありますが、そんな事はありません、新開地ほどではなかったかもしれませんが、「川崎」「三菱」が兵庫にあったおかげか、戦前からも繁華街として賑わっています。古い人から聞いた話では、絶大的に発展していた「新開地」にあやかり、その位置が西にあった事などから、大正筋商店街付近の賑わっていた街を「西新開地」と呼んでいたそうです。西新開地と呼ばれていた事に関しては、大正15年3月の大阪朝日新聞にも呼び名が記載されているため、事実であると思われます。新聞記事と街の内容に関しては、「西新開地」で検索ページなどで検索をかけると出てくると思いますので参照下さい。(直接リンクはルールに違反かもしれないので、あえて記載するのをやめます。新聞記事は、検索すると結果に「新聞記事文庫」のページが出てくると思いますので、そこを参照下さい)

また「肉天ヤ」は高級料理とありますが、何を売っていたのでしょうか?今現在の、「にくてん」のルーツになるものがあったのでしょうか?「にくてん」は、お腹のすいた子供のおやつになるぐらい、庶民的なものだったと聞いています。ひょっとすると長田界隈の事を、新開地にあやかって西新開地と呼ぶぐらいですから、「肉天ヤ」にもあやかって(マネをして)「にくてん」と当時の人は呼んだ、と言う事も考えられるのではないでしょうか。 「関連書籍まで消す事は無い…」関連書籍にリンクが張られていてクリックしても、出版社とその雑誌の紹介しか出てこず、肝心な、その内容は何も出てきませんでした。(雑誌ならば、買ってもらわなければならないので当たり前だとは思いますが)これでは、出版社とその本の広告をしてるのと同じ事だと思います。普通にページを見てて、広告のバナーをクリックする事と、かわらないように思います。せめて上の「西新開地」ように、参照できる内容を提示出来るものならば、仕方ないと思いますが。


山猟師の六太夫さんへ 「にくてん」が、「少なくとも大阪府…」で呼ばれていたと加筆されましたが その根拠を提示して下さい。

このノートの上部にも記載されていますが、大阪では「にくてん」とよく似た焼き方をしたものを、「洋食焼き」や「一銭洋食」と呼ばれていたようです 事実、ネットで検索すると、大阪での話しが、たくさん紹介されています。 大阪で「にくてん」が売られていたのでしょうか?。今現在では、検証出来ません。 逆に「にくてん」は、今現在でも、神戸の長田や高砂などで販売されています。 私自身も、27年前から先代の人から引き継いで、長田で「にくてん」を焼いていますが、年配のお客様より、この周辺で昔から、この名で呼ばれていたという話しを、よく聞きます。

また、同じく、このノートにも記載されていますが「にくてん」と「一銭洋食・洋食焼き」は全く何の関連もありません。

検証や事実確認が出来ない内容を、加筆されたのなら、残念な話しです。

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 ならば、「にくてん」が、長田、神戸が発祥とする根拠を示してください。長田の高齢者が、そう呼んでいたからというのは、その根拠にはなりません。ただし、長田で「にくてん」と呼んでいたのは、間違いありませんし、現在の大阪風の「お好み焼き」でもないことは確かです。また、播州(高砂)にも「にくてん」があるそうですが、神戸発祥なら、何故、途中の明石・加古川にはないのでしょう?長田の人間が、高砂にもたらした?また、高砂の人間が高砂に持ち込んだということなのでしょうか?もともと関西一円で、「にくてん」と呼ばれていたものだとおもうのですが。

山猟師の六太夫

徳島大学の三宅正弘さんが『神戸とお好み焼き』神戸新聞社という本の中で、お好み焼きのルーツは「にくてん」かという問題について書かれているようです。[1]Mishika 2008年8月19日 (火) 21:14 (UTC)[返信]

山猟師の六太夫さんへ  「にくてん」が、長田・神戸が発祥の根拠を示して下さいと書かれていますが、本文やノートのどこに、長田神戸が発祥と書かれているのでしょうか?

 今現在も呼ばれている事が出ているだけで、発祥は書かれていません。 長田の高齢者の方々が、「にくてん」が神戸発祥だと言っていると、このノートに書いたでしょうか? 従って、発祥の根拠は提示する必要も無いと思います。  が、あえて発言するならば、今現在も、神戸・高砂地区では「にくてん」が販売されています。御高齢の方々の証言も合わせ技のひとつで有効であると思います。 三宅先生の書かれた本にも、大阪・京都の「一銭洋食」「洋食焼き」、神戸の「にくてん」はほぼ同時代のものでも、地域によって名前に違いがあったと、この本の34ページに書かれています。  大阪で呼ばれていた根拠に「いとし・こいし」師匠さんの対談を記載されましたが、いつの頃の、何の対談なのでしょうか?テレビなのでしょうか?明確でないと思います。  いとし・こいし師匠さんは、横浜市生まれで、お二人とも兵庫県在住なのは有名な話で事実です。(ネットで検索すれば出てくると思います)  従って、地元の事と勘違いしている可能性もありますし、マスコミ的に話したという事も、可能性として充分あるのでは、ないのでしょうか?

さらに、高砂の「にくてん」は、ここ数年前から、高砂の地元の有志の方々が再ブレイクさせて、有名になりました。(高砂の商工会議所さんに聞いてみて下さい)三宅先生の本の中でも、「にくてん」とは方言的なもので、その分布は兵庫県内で、明石でも有効であると、43ページに記載されています。誰かが意図的に高砂へ持ってきたものではなく、元々この間の地域でもあった物だと判断します。

また、高齢者の方々の話は根拠に出来ないと、いとも簡単に書かれておられますが、どうしてなのでしょうか?「にくてん」の昔話しは、一人ではありません。もう、かれこれ数十人になります、いちいち数えてないので、ひょっとすると百人を超えているかもしれません。その時代を生き抜かれた方々の多くの証言を、現場で聞いた事は充分参考に値すると思います。

 逆に、兵庫県在住の有名な方のみの対談を見て、それが有効だというのは、少し根拠として乏しいのではないのでしょうか?

生地を引いて焼く焼き方を、昔から神戸では「にくてん」、良く似た焼き方をする大阪・京都では「一銭洋食」「洋食焼き」と呼ばれていた事は、事実だと思います。


ところで、このノートの山猟師の六太夫さんの編集文書の履歴うち、最後の名に「下駄の大八」と出ていて、その後書き換えされていますが、「山猟師の六太夫さん」と、「下駄の大八」はどういう御関係なのでしょうか?同一人物なのでしょうか?

違う名でログインして、誤って普段使っている投稿者の名前を書いてしまったと思いますが、 と、いう事は、このウキペディアは同一人物が、何人もの名前を持っていて、違う人物で投稿できるのでしょうか?