ノースウエスト航空255便墜落事故

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ノースウエスト航空 255便
NW255 crashsite.jpg
255便の墜落現場。道路の両側に多数の残骸。
概要
日付 1987年8月16日
原因 フラップの出し忘れ、警報装置の意図的な停止
場所 デトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港
死者 156(地上2)
負傷者 1
航空機
機体 マクドネル・ダグラスDC-9-82
運用者 ノースウエスト航空
機体記号 N312RC
乗客数 149
乗員数 6
生存者 1
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ノースウエスト航空255便墜落事故とは、1987年8月16日にデトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港で発生した航空事故。事故原因はパイロットによるフラップの出し忘れ、離陸警報装置の停止である。

航空機と乗務員[編集]

ノースウエスト航空の所有する同型機(MD-82)[1]
機体
マクドネル・ダグラス社製DC-9-82機体記号:N312RC)[2]
機長
ジョン・R・マウス(57歳)
副操縦士
デビッド・J・ドッズ(35歳)

墜落[編集]

1987年8月16日ノースウエスト航空255便はサギノー発、デトロイトフェニックスを経由、オレンジ・カウンティ行きでだった。

東部夏時間20:42頃、255便は滑走路3Cに到着、3分後にドッズ副操縦士が離陸許可を得て離陸滑走を開始。170ノット(345km)で機首を上げたが、高度50フィート(15m)前後の高さで左右にロールを始めた。255便は失速状態に陥り、左翼が照明灯に接触。左翼は18フィート(5.5m)ほど切断され、タンクの燃料が火を噴いた。その後左に40度ほどロールした後、大きく90度ほど右にロールし、右翼がレンタカー店の屋根を切り裂いた。機体は完全に操縦不能に陥り、交差点の自動車に接触した後、横倒しのまま道路を滑り、州間高速道路94号線の鉄道高架の下で爆発炎上した。

乗客と生存者[編集]

搭乗していた乗員6名乗客149名のうち家族と旅行していた4歳の少女、セシリア・シチャン(Cecilia Cichan)[3] を除く全員が死亡。地上でも巻き込まれた自動車のドライバー2名が死亡し5名が重軽傷を負った。 また乗客のうち30名の乗客は25歳未満だった。154名のうち110名はアリゾナ州からで、18名がミシガン州の住民だった。

事故原因[編集]

NTSBは事故原因について、フラップとスラットを展開し忘れたパイロットのミスと断定した。これは事故機の切断された左翼を回収し、内部を通っているフラップ展開用ワイヤーを切断面に合わせると、フラップが収納された状態になったためである。 また、事故機のコックピットボイスレコーダーを回収したところ、事故機は離陸する際、チェックリストのフラップとスラットのセットの項目を飛ばしていたことが判明した。飛ばした原因としては、事故機は滑走路3Cではなく別の滑走路から離陸する予定だったが、天候の悪化のため3Cに変更された。その際誘導路で迷ってしまい、管制官に誘導してもらった。255便では離陸前に滑走路が変更されたことで、普段離陸前のチェックリストを行うときに滑走路の変更情報の聴取をしていた。その結果聴取が終わったときには誘導路を走行中であり、フラップとスラットはセットされたものと思い込んだと推測される。

またCVRに残っていた失速警報が、本来するはずの遅延[4]がなく「ストール」とはっきり聞こえていた。

NTSBがこのことに関してMD-80のパイロットに聞いたところ「失速警報を片側だけ鳴らすには片方のスラストレバーだけ上げるか、P-40というブレーカーを引き抜くしかない」と話した。実際、P-40というブレーカーを抜くと失速警報は片側しか鳴らなくなかった。

P-40というブレーカーは失速警報のほかにも、離陸警報装置のブレーカーの役目をしており、事故機もこのブレーカーが抜かれていたため、本来なるはずの離陸警報装置が鳴らなかったと推測した。しかし、事故機のブレーカーは激しく損傷しており断定はできなかった。

またパイロットがブレーカーを抜いていた理由だが、タキシングする際にスラストレバーを押しこむと離陸警報装置が鳴るためパイロットが煩がり、日常的に抜かれていた。255便のパイロットが抜いたか、もしくは事故機が日常的に抜かれていたかまでは断定できなかった。

離陸滑走の際、機長がスラストレバーのTO/GAスイッチ(離陸推力を保持するもの)を押したが反応がなかった。その際機長は「離陸モードになってない」と言い、副操縦士は離陸モードのスイッチを押した。離陸モードのセットはフラップ/スラットのセットより後の項目であるため、ここで気付いて離陸を中断すれば墜落は免れた。しかし、悪天候が起因する大幅な遅延を抑止したい焦りと機内は暗かった事もあり、副操縦士も機長も重大な見落としに気付かず機首を引き起こしてしまったのが命取りとなり、失速状態に陥り墜落した。

追悼[編集]

事故現場の近くには、1994年に黒御影で作られた慰霊碑[5]が建てられた。犠牲になった156名の名前が刻まれ、上部には水色で縁どられた鳥が口に「Their spirit still lives on...」と書かれたリボンを加えたイラストが描かれている。

またフェニックスダウンタウンにあるフェニックス市役所の隣には、犠牲者の記念碑がたてられている。

事故から20年後の2007年8月16日、慰霊祭がデトロイトで開かれた。事故後、遺族が現場に戻って来たのは初めてだった。

事故から25年後の2012年8月16日、慰霊祭が墜落現場で開かれ、遺族や犠牲者の友人が出席し、地元の司祭は犠牲者の名前を一人一人読み上げた。また、地元メディアは唯一の生存者、セシリアの現在の映像も放映した。

映像作品[編集]

メーデー!/航空機事故の真実と真相のシーズン7の第2話『ノースウエスト航空255便』

脚注[編集]

  1. ^ 事故機はリパブリック航空の塗装だった
  2. ^ 1981年にリパブリック航空向けに製造、その後合併によりノースウエスト航空の機体になった。
  3. ^ Wilkerson, Isabel (1987年8月22日). “Crash Survivor's Psychic Pain May Be the Hardest to Heal”. The New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?sec=health&res=9B0DE1DA1139F931A1575BC0A961948260 2006年12月27日閲覧。 
  4. ^ 失速警報は回路が二重化されていて、左側のスピーカーだけが少し遅れる。そのため本来「ストーオール」という風に間延びして聞こえる
  5. ^ http://www.flight255memorial.com/marker.html

関連項目[編集]

外部リンク[編集]