ノルマンディー (客船)

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ノルマンディー
船歴
船籍 フランス国旗フランス
起工 1931年1月29日
進水 1932年10月29日
竣工 1935年5月5日
就航 1935年5月29日
その後 第二次世界大戦終了後に解体
性能諸元
総トン数 83,423トン(竣工時79,280トン)
全長 313.8m
全幅 35.9m
吃水 11.1m
機関 蒸気タービンで発電、電気モーターでスクリュー駆動(4軸)、定格160,000馬力
航海速力 29.0ノット
最高速力 32.2ノット
乗客定員 1,972名(1等室848名、ツーリスト室670名、3等室454名)
乗組員 1,345名

ノルマンディー(SS Normandie)は、1935年に建造されたフランス客船「洋上の宮殿」と謳われた華麗さと就航期間の短さから、神格化すらされた伝説的な存在の客船である。

概要[編集]

世界最大の客船[編集]

ノルマンディーはCGT(Compagnie Générale Transatlantique, カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク, 「大西洋横断総合会社」、英語圏では「フランスライン」の名で知られるフランスのフラッグキャリア)の発注により1931年に起工され、翌年1932年に進水・命名。全長がはじめて300mを超えた、世界最大の巨大客船であった。CGT社はニューヨークル・アーヴル航路の急行サービスを在来のパリ(1916 en)、イル・ド・フランスと本船で1週間1便航海する計画であったため[1]、姉妹船は存在しない(ただし、老朽化したパリ代替で本船就航後姉妹船として「ブルターニュ」を建造する予定だったが、財政難とヨーロッパにおける第二次世界大戦勃発の為中止)。

建造にあたってはフランスの威信をかけ、国家的な援助のもとで建造された。CGTの豪華客船フランス(1910 en)から3隻の集大成でノルマンディーの原案「T6計画」にブルーリボン賞を狙うべく最高速船計画が盛り込まれ、見積基礎設計の早い段階で高出力エンジンとこれに応じた巨大な船体が算出されていた。この建造案が認証されると即座にサン・ナゼールベノエ造船所は世界最大の専用船台を建築し[2] 、いくつかの推進機関案から、ターボ・エレクトリック推進という、タグボートでは広く用いられていたものの1万トン超の客船では前例のないものを採用[3]、ペノエ3胴水管ボイラー29基とタービンに、高さ 6.4m、幅 5.8m、長さ 7.9mのモーター4基の構成で4軸合計最大定格出力160,000馬力を発揮するものとした。船内はアメニティを追求しエスプリ客船を印象づけ、「T6計画」を立ち上げながら急逝したCGT社長ジャン・ドール・ピアズ (John Dal Piaz) (fr) の遺志を継ぐべく、CGTのピエール・ロマノ主任設計技師監督の下、亡命ロシア人技師ウラジミル・ユルケヴィッチ (en) 提案の船体設計など当時最新の造船理論を採用。船内インテリアはイル・ド・フランスで成功したキャビンレイアウトやアール・デコ様式満載の豪華な内装を引き継ぎ、広いリドデッキを継承しつつ様々な角度で俯瞰しても調和のとれた均整な船形デザインを保つため、ダミー(偽装)で第三煙突を設置するなど外観には細心を払い「洋上の宮殿」の異名を取った。貨物船を多く所有し大型客船も地味で特徴薄いCGTの船形デザインを刷新し、緻密に計算された船形デザインは世界に衝撃を与えのちに不朽の豪華客船と讃えられた。また建築や工業デザイン分野において高く評価されている。

世界最速の客船[編集]

1935年の試運転で31,9ノットを記録、処女航海では5月29日ル・アーブル出帆の西航で29.94ノット[4]、東航 平均30.35ノットの平均速力でブルーリボン賞に輝いた[5]、。その後、クイーン・メリーに抜かされるが、1937年7月の西航で同じく30.58ノット、8月東航 31.2ノットの新記録[6]を打ち立てブルーリボン賞を奪取。しかしクイーン・メリーが翌年奪い返したあと第二次世界大戦が発生した。

火災[編集]

炎上する本船

第二次世界大戦勃発とともにニューヨーク港のピア88に抑留されたノルマンディーは、その後1940年にフランスがドイツ軍の占領下におかれ、さらに1941年12月11日にドイツがアメリカに宣戦布告したことから、アメリカに接収の上軍隊輸送船に改装される事になった。名前もラファイエット(USS Lafayette)に改名され[7]、船内の装飾品を撤去する工事を行っていた1942年2月9日、作業の不手際から火花が装飾品に引火して火災が発生した。さらに消火の際、不用意な放水によって船内に大量の水が入った結果、バランスを崩して鎮火後に転覆した。

戦争中で優秀な船舶を必要としていた為、直ちに引き上げが検討されたものの、狭い埠頭で転覆した事と、巨艦でもあり作業は困難を極め、結局上部構造物を撤去して引き上げに成功した[8]。しかしながら、火災による損傷と引き上げ時の作業によって船体は大きく損傷し、客船への復旧や、一時は航空母艦への改装も検討されたものの、いずれも費用などの問題で実現せず、結果として第二次世界大戦終了後の1946年解体された。

脚注[編集]

  1. ^ 1939年4月18日パリ(1916 en)がサン・ナゼールで修理改装中、厨房から失火、消火の放水で横転沈没しこの運行計画は短期に終わった。
  2. ^ 通称ノルマンディ・ドック (en) で第二次世界大戦中に連合国側から破壊作戦が実施された。サン=ナゼール強襲の項目参照。
  3. ^ 電気モーターが減速ギアとトルクコンバータに代わるこの機関は、狭い海域で細かな速度調整を求められる船舶で発達した。大型船舶では、アメリカ海軍の戦艦で多く採用され、当時の信頼性低い高出力ボイラーを調整しトルクを簡単に均一化出来る利点から燃費の節約が期待された。しかし高速定期便の巨大商船への採用は半ば実験的、大型舶用モーターの本場アメリカでのちに建造されたSSアメリカユナイテッド・ステーツは二段式減速ギアを搭載している。ノルマンディーは計画性能を達成したが整備などコスト面に問題が残った。
  4. ^ 途中サウザンプトンに寄港後北大西洋横断記録公式測定区間を4日3時間2分で横断した。
  5. ^ 未曾有の大型船で、船体振動に悩まされた。建造中に提案された新形状のスクリューを定期整備中に換装するなど、進水から就航、運行初期は多くの技術的難問が付きまとった。
  6. ^ 機関出力は計画出力定格を約20%上回る過負荷状態の195,850馬力を記録した。
  7. ^ CGTには1930年に完成した同名客船ラファイエット(MS LAFAYETTE 25,178総トン、CGTでは二代目の船名)が存在した。同じニューヨーク航路に就航、ディーゼル機関を搭載し18ノットの低速度に抑えノルマンディなどの急行便にたいし、普通便エコノミー・クラスとして運行した。1938年5月4日、ベノエ造船所で入渠定期修繕中に機関室から失火、全焼し失われた。[1] [2]
  8. ^ 訪米中だったウラジミル・ユルケヴィッチは協力を申し出ている。戦時の軍事機密と沈船復旧作業という別分野を伴う事情から願い出はかなわなかった。

参考資料[編集]

  • 海人社『世界の艦船』
  • 成山堂書店『豪華客船スピード競争の物語』Denis Griffiths著 粟田亨翻訳 1998年2月 ISBN 978-4-425-71291-5
  • NTT出版『豪華客船の文化史』野間恒著 1993年4月 ISBN 4-87188-210-1
  • 至誠堂『大西洋ブルーリボン史話』トム・ヒューズ著 出光宏翻訳 1976年6月(原典1973年刊)書籍コード 0098-76040-3012

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

記録
先代:
マジェスティック
世界最大の客船
1935年~1940年
次代:
クイーン・エリザベス
先代:
レックス
ブルーリボン賞 (船舶) (西回り航路)保持船舶
1935年~1936年
次代:
クイーン・メリー
先代:
ブレーメン
ブルーリボン賞 (船舶) (東回り航路)保持船舶
1935年~1936年
先代:
クイーン・メリー
ブルーリボン賞 (船舶) (西回り航路)保持船舶
1937年~1938年
ブルーリボン賞 (船舶) (東回り航路)保持船舶
1937年~1938年