ノニト・ドネア

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ノニト・ドネア
Nonito Donaire 2011.jpg
2011年10月、保持していたWBO・WBCの
バンタム級ベルトとともに
基本情報
本名 ノニト・ドナイレ(英語読みではノニト・ドネア)
通称 The Filipino Flash(フィリピンの閃光[1]
階級 フライ級 - フェザー級
身長 170cm
リーチ 173cm
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1982年11月16日(31歳)
出身地 フィリピンの旗 フィリピン
ボホール州タリボン
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 35
勝ち 33
KO勝ち 21
敗け 2
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ノニト・ドネアまたはノニト・ドナイレNonito Donaire、男性、1982年11月16日 - )は、フィリピン生まれのアメリカプロボクサー。第17代IBF世界フライ級王者。元WBA世界スーパーフライ級暫定王者。元WBCWBO世界バンタム級統一王者。元IBFWBO世界スーパーバンタム級統一王者。現WBA世界フェザー級スーパー王者並びにIBO世界フェザー級王者。世界5階級制覇王者。アジア人として初めて主要4団体(WBAWBCIBFWBO)全てで世界王者となった人物。ドネアというのは英語読みで、生地・フィリピンでは彼の苗字を、ラテン風に「ドナイレ」と読む場合がほとんどである。兄は2度の世界挑戦経験があるグレン・ドネア

人物[編集]

少年時代は気弱で病弱だったことで自殺を考えるほどの酷いいじめを周囲から受けており、いじめ対策とボクシングをやっていた兄グレン・ドネアの影響でボクシングを始めた。フィリピン生まれのフィリピン人であるが、11歳の時にフィリピンからアメリカカリフォルニア州へ移住しており、アマチュアボクシングの経歴もアメリカ籍で活躍した。軽量級離れしたハードパンチャーで、The Filipino Flash(フィリピンの閃光)のニックネームを持ち、検査団体に自主的に要請して通常より厳しいドーピング検査を受けている。大の親日家であり、試合の入場の際には自身のニックネームであるフラッシュを和訳した「閃光」と書かれた鉢巻きを着けているほか、プライベートでもたびたび来日している(エピソード を参照)。

トレーナーには、プロデビュー前から父親のノニト・ドネア・シニアがついていた、しかし2008年ごろからドネアの妻であるレイチェルの発言力がチーム内で増してくると、ドネア・シニアとレイチェルに意見の食い違いが見られるようになり、マスコミを通しての言い合いにまでに発展しドネア・シニアがチームを離れてしまう[2]。その後、ドディ・ボーイ・ペニャロサを経て2009年後半から現在のロベルト・ガルシアがトレーナーについている。レイチェルとドネア・シニアが和解したことで2013年11月のビック・ダルチニアン戦からドネア・シニアがトレーナーとして復帰した[3]。レイチェルは現在もトップとしてチームを取り仕切っており、レイチェルの父親がドネアのセキュリティを担当、親類がサポートグループのリーダーを務めるなどしている[4][5][6]

概要[編集]

強烈なパンチと一瞬で距離を詰める抜群のスピードを兼ね備えた強打のスイッチヒッター。基本的にオーソドックスではあるが、サウスポーで戦うこともできる柔軟性を持っている。鋭いパンチと俊敏な動きが持ち味で、「軽量級離れした攻撃力」を武器に対戦相手を飲み込んでしまう圧倒的な強さが魅力。ストレート、フック、アッパー、すべてのパンチでKOできる切れ味とテクニックを兼ね備えている。

来歴[編集]

1982年11月16日、フィリピンのボホール州タリボンでフィリピン人の両親の間に4人兄弟の3男として生まれ、ジェネラル・サントスで育つ[7]。父親のノニト・ドネア・シニアは8年間フィリピン軍で勤めた後(軍勤務時代にアマチュアボクシングを経験)、1990年に家族を残して1人でアメリカへ渡る[7]。その1年後に母親が一番下の兄弟を連れてアメリカへ渡り、さらに1年後ドネアが11歳の時にドネアを含めた残り3人の兄弟がアメリカへ渡った[7]。渡米後、気が弱く喘息持ちで病弱であったことで周囲からいじめを受け、学校から泣いて家に帰ることも度々あった[4]。ドネアはこの時期に生きている価値や理由がわからなくなり自殺を考えたと後に振り返っている[4]。いじめられたことをきっかけに自衛の為と兄グレンの影響でボクシングを始める。当時はスパーリングでよく兄に鼻血を出して泣かされていた[7]

アマチュア時代[編集]

15歳でナショナルシルバーグローブ優勝、16歳で後にミドル級世界ランカーとなるジェームス・カークランドに勝ってナショナルジュニアオリンピックで優勝を収め[8]、17歳でUSAナショナルトーナメント優勝。2000年シドニーオリンピック国内予選選考会では兄と共にライトフライ級に出場するが、共にブライアン・ビロリアに敗れオリンピックアメリカ代表の座は獲得できなかった[9][7]。その後、北ミシガン大学から奨学金つきのボクシング推薦入学の誘いを受けるが、誘いを断ってプロへ転向した[7]。アマチュアの戦績は68勝8敗。

プロ時代[編集]

2007年7月、IBF・IBOのフライ級ベルトを獲得したリングで

2001年に階級をフライ級に上げてプロへ転向する。デビュー戦は2月22日に1回KO勝利で飾るも、3月10日に行われた第2戦では2階級上のバンタム級を主戦場にしていたロセンド・サンチェスと対戦し、5回判定負けを喫した。その後は勝利を重ね、2002年9月1日には空位のWBOアジア太平洋フライ級のタイトルを獲得。その後も無敗のまま2006年1月20日にはNABF北米スーパーフライ級タイトルを獲得した。

フライ級[編集]

2007年7月7日、アメリカ・ブリッジポートサウスポーの強打者ビック・ダルチニアンの持つIBFIBO世界フライ級王座に挑戦。フライ級で世界最強との呼び声が高かったダルチニアンの7対1で圧倒的有利が予想されていたが、5回、強烈なカウンターの左フックで王者がダウン。立ち上がったもののふらつき、ロープ際に向かって倒れ込んだためダルチニアンのセコンドがストップを申請しレフェリーストップ。TKO勝利で王座を獲得した。この試合は2007年度のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーアップセット・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。IBF・IBO王座はともに3度防衛後、返上する。

この頃から、当時のドネアの彼女(現在はドネアと結婚)であったレイチェル・マルシャルがドネアのトレーニングやビジネスに口を挟むようになり、ドネアのトレーナーとマネージャーを務めていたドネア・シニアと折り合いが悪くなる[7]。2008年8月8日にドネアとレイチェルは結婚式をあげるがドネア・シニアは結婚式を欠席し、その後ドネアと完全に袂を分かつことになった[7]

2008年6月下旬、契約通りファイトマネーの支払いと試合が行われなかったとしてプロモーターのゲイリー・ショウと決別。決別から数日後にトップランク社と契約した[10]

2009年4月19日、フィリピンでラウル・マルティネスと対戦し4回TKOで勝利する。トレーナーであったドネア・シニアが抜けた穴を埋めるため、この試合からドディ・ボーイ・ペニャロサとジョナサン・ペニャロサをトレーナーとして迎え、新チームとしての船出であった[7]

スーパーフライ級[編集]

2009年8月15日、アメリカ・ラスベガスハードロック・ホテル&カジノで行われたWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦で1階級上のWBAバンタム級13位のラファエル・コンセプシオン(パナマ)に3-0(117-111、116-112、115-113)の判定勝利を収め、同王座を獲得した。コンセプシオンは前日計量で4ポンド12体重超過で失格となり、同王座はドネアだけに懸けられていた[11]

2009年後半、トレーナーをロベルト・ガルシアに変更する[12]

2010年2月13日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトンにてマヌエル・バルガスメキシコ)とノンタイトル戦で対戦し、3回KO勝ち[13]。ドネアは元々ガーソン・ゲレロとWBA世界スーパーフライ級暫定王座の初防衛戦を行う予定だったが、ガーソンが試合3日前の検診で目に異常が見つかり試合に出れなくなったことから、代わりの選手を捜すことになった。しかし試合の3日前だったことで対戦相手が見つからず、ようやく見つかった相手が3階級下となるミニマム級のマヌエル・バルガスであった。バルガスは当然WBAの世界ランキング入りしていなかったことで試合はノンタイトル戦で行われた[14][15]

2010年7月10日、プエルトリコサンフアンにて、ファン・マヌエル・ロペス対バナーベ・コンセプションの前座で1階級下のWBAフライ級14位エルナン・マルケス(メキシコ)を迎えてのWBA世界スーパーフライ級暫定王座の初防衛戦を行い、最初の4回をサウスポーで戦い5回以降はオーソドックスで戦うという戦法を取り、5回にダウンを奪った後に8回にもアッパーでダウンを奪ってそのままTKO勝利、初防衛に成功した[16]

バンタム級[編集]

2010年12月4日、アナハイムホンダ・センターにて元WBA世界バンタム級王者ウラジミール・シドレンコウクライナ)と対戦。今までKO負けの経験がなかったシドレンコを相手に、1・3・4回にダウンを奪った末に出血のひどいシドレンコを見たレフェリーがカウントを途中でストップし、4回KO勝ちを収め、WBCアメリカ大陸バンタム級王座を獲得した[17]

2011年2月19日、ラスベガスのマンダレイベイ・イベントセンターでWBC・WBO世界バンタム級統一王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)に挑戦。2回、強烈なカウンターの左フックでダウン。両足が痙攣しながらも立ち上がった王者に再度左フックを決めたところでレフェリーストップ。2分25秒TKO勝ちで王座奪取に成功[18]。また、アジア人としては初のメジャー4団体(WBAWBCIBFWBO)全てで世界王座獲得に成功した。
この試合は、同年のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。通算2度の同賞受賞は、レノックス・ルイスイギリス)以来2人目である。翌年にはWBC年間KO賞に選出された[19]

バンタム級時代は計量後のリバウンドの幅を相手のタイプによって変え、シドレンコとの試合までには17ポンド(約7.7キログラム)戻したが、モンティエルの試合までには7ポンド(約3.2キログラム)戻したのみで、それぞれシドレンコのパワー、モンティエルのスピードに対応していた。WBC・WBO世界バンタム級統一王者時代のインタビューでは、過去に20ポンド(約9キログラム)戻したこともあったと話している[20][21]

2011年10月22日、ニューヨーク州マディソン・スクエア・ガーデン・シアター にて1階級下となるWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエスアルゼンチン)と対戦。ダウンこそ奪えなかったものの、無敗の2階級王者を終始圧倒し、3-0(3者とも120-108)のフルマークの判定勝ちを収めてWBC・WBO両王座の初防衛に成功した[22]

その後、両王座を返上しスーパーバンタム級に転向。WBC世界スーパーバンタム級王者西岡利晃帝拳)への挑戦を視野に入れており、西岡本人もドネアとの対戦を熱望していたが、西岡が所属する帝拳ジム側が西岡をしばらく休養させて次戦を引退試合として2012年6月以降にドネアと対戦させたい、という意向を当初から表明していたため、この時点で西岡との対戦は実現しなかった。

スーパーバンタム級[編集]

2012年2月4日、テキサス州サンアントニオアラモドームにてフリオ・セサール・チャベス・ジュニア対マルコ・アントニオ・ルビオの前座でWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦を行い、WBO同級3位のウィルフレド・バスケス・ジュニアプエルトリコ)と対戦。試合序盤で左拳を負傷したものの、初回から攻勢を仕掛けて試合を優位に進め、9回には痛めている左でのアッパーでダウンも奪った末、12回2-1(117-110が2者、112-115)の判定勝ちで王座を獲得し、4階級制覇を達成した[23]

ドーピング検査[編集]

2012年6月、スポーツ界へドーピング薬物を広く提供していたバルコ・スキャンダルの中心人物であったビクター・コンテを栄養アドバイザーとして雇用していたことからドネアにもドーピング薬物を使用しているのではないかと疑いの声が一部から上がっていた。このためドネアはVADA(Voluntary Anti-Doping Agency)が行っているランダムな薬物検査を引退するまで受け続けていくことを表明した[24]

2012年7月7日、アメリカ・カリフォルニア州ホーム・デポ・センター・テニスコートで、IBF世界スーパーバンタム級王者ジェフリー・マセブラ南アフリカ)と対戦。4回に左フックでダウンを奪うなど試合を優位に進め、3-0(117-110、118-109、119-108)の大差判定勝ちでIBF王座を獲得し王座統一、WBO王座は初防衛に成功した[25]。なお、マセブラは帰国後の検査で顎を骨折していたことが判明した。

2012年10月13日、 ホーム・デポ・センター・テニスコートでWBC世界スーパーバンタム級名誉王者でWBO同級2位の西岡利晃と対戦。当初はIBF王座もかけられる予定だったが、指名試合の期限が年内と迫っている上に指名挑戦者のアレハンドロ・ロペスでは人気の面から興行的な見返りが少なく、IBFへの承認料金の節約も含めマネージャーから返上を勧められて試合当日にドネアが返上を決めたため[26]、WBO王座の2度目の防衛戦とWBCダイヤモンド王座リングマガジン認定王座決定戦として行われた。試合は西岡の手数が少なく初回から大きなブーイングが飛び交う展開となるが、6回にドネアの左アッパーがカウンター気味にヒットしてダウンを奪う、9回にも右ストレートで2度目のダウンを奪うと西岡のコーナーがリング内に入りストップを要請し9回1分54秒TKO勝ちでWBO王座の2度目の防衛に成功、WBCダイヤモンド王座とリングマガジン王座の獲得にも成功した[27]。この試合でドネアは75万ドル(約7500万円)、西岡は10万ドル(約1000万円)を稼いだ[28]

2012年10月26日、WBOから2012年度年間最優秀選手賞(ファイター・オブ・ザ・イヤー)に選ばれた[29]

2012年12月15日、テキサス州ヒューストントヨタセンターで元5階級制覇王者でWBO世界同級1位ホルヘ・アルセ(メキシコ)と対戦。2回にドネアの左右のパンチでダウンを奪い、3回終盤にもラッシュして左フック3連発でダウンを奪うと、最後は左フックをクリーンヒットさせて、アルセをキャンバスに沈め3回2分59秒KO勝ちでWBO3度目、リングマガジン初防衛に成功した[30]。この試合でドネアは100万ドル(約1億円)、アルセは80万ドル(約8000万円)を稼いだ[31]

2012年12月26日、アメリカのスポーツ専門ケーブルテレビ局ESPNから2012年度最優秀選手賞(ファイター・オブ・ザ・イヤー)に選ばれた[32]

2013年1月30日、BWAA(アメリカ・ボクシング記者協会)の2012年度年間最優秀ボクサー・通称「シュガー・レイ・ロビンソン賞」に選ばれた[33]

2013年4月13日、ニューヨーク・マンハッタンラジオシティ・ミュージックホールにてWBA世界スーパーバンタム級王者ギレルモ・リゴンドウキューバ)と対戦。序盤からペースを握られ、10回に一度ダウンを奪うも、0-3(113-114、112-115、111-116)の判定負けでWBA王座獲得に失敗し、WBO王座からも陥落した[34]。この試合でドネアは132万ドル(約1億3千万円)、リゴンドウは75万ドル(7500万円)を稼いだ[35]

以前から悪かった右肩の手術を受け半年ほどブランクを作った[36]

フェザー級[編集]

2013年11月9日、テキサス州コーパスクリスティのアメリカンバンクセンターにてミゲル・アンヘル・ガルシアローマン・マルチネスの前座でフェザー級に階級を上げて復帰戦を行い、実質階級が下となる元WBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級スーパー王者ビック・ダルチニアンとの6年ぶりに再戦をノンタイトル10回戦で行うが大苦戦を強いられる。9回に左フックでダウンを奪い最後は右フックからアッパーをまとめて9回2分6秒TKO勝ちを収め7か月振りの復帰戦を白星で飾ったが、試合終了回までの採点を78-74でドネアの負けとつけていたジャッジが2人いた(1人は76-76で引き分け)[37][38]。ドネアは試合後にフィリピンの新聞社へ「両拳を痛めてしまったよ、先週から軽い風邪をひいていたんだ」と明かした[39]。試合後、レントゲン撮影で右の頬骨にひびが入っていることが確認された[40]

2014年5月9日、WBAが最新ランキングを発表し、ドネアはWBA世界フェザー級2位にランクインした[41]

2014年5月31日、マカオにあるザ・ベネチアン・マカオコタイ・アリーナWBAIBO世界フェザー級スーパー王者シンピウィ・ベトイェカ(南アフリカ)と対戦し、初回に偶然のバッティングでドネアが左目上部をカットしてしまい、4回にダウンを奪うもこの傷が原因で試合続行が不可能となり3-0(3者ともに49-46)の5回負傷判定勝ちを収めWBA世界フェザー級スーパー王座の獲得に成功、IBO世界フェザー級王座の獲得にも成功し、5階級制覇を達成した[42]。5ラウンド開始数秒で試合が止められ負傷判定となったが、通常であれば4ラウンド終了時に試合が止められテクニカルドローとなるケースであった為(偶然の負傷による4ラウンド以内の試合終了はテクニカルドローとなる)、ドネアを勝たせるために試合終了を5ラウンド開始時まで引き伸ばしたと疑惑の声があがるなど消化不良な形での試合終了となったことで、ドネアはベトイェカに再戦のチャンスを与えたいと述べた[43]

獲得タイトル[編集]

表彰[編集]

関連項目[編集]

戦績[編集]

  • アマチュアボクシング:76戦68勝(5KO・RSC)8敗
  • プロボクシング:35戦33勝 (21KO) 2敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2001年2月22日 1R 1:46 KO ホセ・ラサロ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 プロデビュー戦
2 2001年3月10日 5R 判定0-3 ロセンド・サンチェス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
3 2001年6月8日 4R 判定3-0 サウル・サントヤ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
4 2001年7月3日 1R 0:30 TKO ホセ・ルイス・トーレス メキシコの旗 メキシコ
5 2002年5月31日 2R TKO ノエ・アルマ フィリピンの旗 フィリピン
6 2002年9月1日 2R KO カイチョン・ソー・ウォラピン タイ王国の旗 タイ WBOアジア太平洋フライ級王座獲得
7 2002年11月2日 8R 判定3-0 マーク・サレス フィリピンの旗 フィリピン
8 2003年6月27日 1R 1:43 TKO ホルヘ・ロペス メキシコの旗 メキシコ
9 2004年6月18日 4R 3:00 TKO リカルド・バレラ メキシコの旗 メキシコ
10 2004年11月12日 8R 判定3-0 ヒルベルト・ムニョス メキシコの旗 メキシコ
11 2005年5月13日 6R 3:00 TKO パウリノ・ビジャロボス メキシコの旗 メキシコ
12 2005年7月2日 6R 判定3-0 ラリー・オルベラ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
13 2005年10月1日 1R 2:19 KO ダニエル・ゴンザレス メキシコの旗 メキシコ
14 2005年11月5日 8R 判定3-0 イルド・フリオ コロンビアの旗 コロンビア
15 2006年1月20日 10R 判定2-1 カレン・ハルツニャン アルメニアの旗 アルメニア NABF北米スーパーフライ級王座獲得
16 2006年7月29日 2R 1:48 TKO ホセ・ルイス・カルデナス メキシコの旗 メキシコ
17 2006年10月7日 12R 判定3-0 オスカル・アンドラーデ メキシコの旗 メキシコ
18 2007年5月12日 1R 2:29 TKO ケビン・ハギンズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
19 2007年7月7日 5R 1:38 TKO ビック・ダルチニアン オーストラリアの旗 オーストラリア IBFIBO世界フライ級タイトルマッチ
20 2007年12月1日 8R 1:16 TKO ルイス・マルドナド メキシコの旗 メキシコ IBF防衛1・IBO防衛1
21 2008年11月1日 6R 1:31 TKO モルティ・ムザラネ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 IBF防衛2・IBO防衛2
22 2009年4月19日 4R 2:42 TKO ラウル・マーティネス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 IBF防衛3・IBO防衛3
23 2009年8月15日 12R 判定3-0 ラファエル・コンセプシオン パナマの旗 パナマ WBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦
24 2010年2月13日 3R 1:33 KO マヌエル・バルガス メキシコの旗 メキシコ
25 2010年7月10日 8R 2:59 TKO エルナン・マルケス メキシコの旗 メキシコ WBA暫定王座防衛1
26 2010年12月4日 4R 1:48 KO ウラジミール・シドレンコ ウクライナの旗 ウクライナ WBCアメリカ大陸バンタム級王座獲得
27 2011年2月19日 2R 2:25 TKO フェルナンド・モンティエル メキシコの旗 メキシコ WBCWBO世界バンタム級タイトルマッチ
28 2011年10月22日 12R 判定3-0 オマール・ナルバエス アルゼンチンの旗 アルゼンチン WBC防衛1・WBO防衛1
29 2012年2月4日 12R 判定2-1 ウィルフレド・バスケス・ジュニア プエルトリコの旗 プエルトリコ WBO世界スーパーバンタム級王座決定戦
30 2012年7月7日 12R 判定3-0 ジェフリー・マサブラ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 IBFWBO世界スーパーバンタム級王座統一戦
IBF獲得・WBO防衛1 
31 2012年10月13日 9R 1:54 TKO 西岡利晃帝拳 日本の旗 日本 WBO防衛2
WBCダイヤモンド王座リングマガジン認定王座獲得
32 2012年12月15日 3R 2:59 KO ホルヘ・アルセ メキシコの旗 メキシコ WBO防衛3・リングマガジン防衛1
33 2013年4月13日 12R 判定0-3 ギレルモ・リゴンドウ キューバの旗 キューバ WBAWBO世界スーパーバンタム級王座統一戦
WBO王座陥落・リングマガジン陥落
34 2013年11月9日 9R 2:06 TKO ビック・ダルチニアン オーストラリアの旗 オーストラリア
35 2014年5月31日 5R 0:01 負傷判定
3-0
シンピウィ・ベトイェカ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 WBAスーパーIBO世界フェザー級タイトルマッチ

エピソード[編集]

  • 子供の頃から日本の文化や歴史、礼儀などに興味があったと語っており、プライベートでもたびたび来日するなど親日家として知られている。
  • 大の漫画・アニメ好きであり、自身の愛称「フィリピーノ・フラッシュ」も漫画のキャラクターに由来している。最初に読んだ日本の漫画は「SLAM DUNK」。その後、ボクシング漫画はないか探したところ、「はじめの一歩」を読むようになり、現在ではアメリカやフィリピンの漫画雑誌には掲載されていない、週刊少年マガジンの最新号に掲載されたばかりの最新話を日本に住む友人に英訳してメールで送ってもらって読んでいるほか、マヌエル・バルガス戦では主人公の幕之内一歩の得意技でもあるデンプシー・ロールを独自に改良して「フラッシュ・ステップ」と名付けた動きを使ったほどの熱狂的なファンである。作者の森川ジョージと対談した際には終始にこやかで、記念写真をTwitterFacebookに掲載していた。
  • 侍に対する敬意は深く、子供の頃にアニメ映画の獣兵衛忍風帖を見たのをはじめとして、七人の侍宮本武蔵関連の映画を多く見ている。また、一番好きな俳優として三船敏郎を挙げている。
  • ヒップホップグループのブラック・アイド・ピーズのメンバーのアップル・デ・アップとは同じフィリピン系であることから親交があり、ドネアの試合を観戦することがある。
  • 趣味でカメラマンとしても活動しており、他の選手の試合の際にリングサイドで撮影したものをマスコミに送って雑誌に掲載されたこともたびたびある。
  • 日本のボクサーについても度々言及し、練習熱心さを高く評価している一方で「日本のボクサーは優秀な選手も多いけれど、自分で思考する力が決定的に欠けている。試合中でも練習通りに4発打とうとするけれど、それを相手が打ってきてワンツーで終わらせなくてはいけない場面でもやろうとする。コーチの意見は大事だけれど戦っているのは自分なんだ」と忠告している。
  • 2012年に対戦した西岡利晃とはそれ以降親交があるらしく、アナザースカイで西岡が取り上げられた際サプライズゲストとして登場したり、WOWOWエキサイトマッチのイベントにて「3年前に初めて出会ったときのニシオカはピリピリして怖かったけど今はすっかり友達」とコメントしている[44]

脚注[編集]

  1. ^ 「現代スーパーボクサー」【7】ノニト・ドネア(フィリピン)”. 時事通信 (2012年12月17日). 2011年11月14日閲覧。
  2. ^ Nonito Donaire Q & A”. Ring.tv (2009年8月13日). 2013年12月1日閲覧。
  3. ^ ドネアが父と復縁 ダルチニアン戦でタッグ Boxing News(ボクシングニュース) 2013年9月18日
  4. ^ a b c Waiting in the wings”. Inquirer.net (2012年3月3日). 2013年11月29日閲覧。
  5. ^ Donaire prepares for Montiel with family rift hovering over him”. Ring.tv (2011年2月16日). 2013年12月1日閲覧。
  6. ^ Nonito Donaire Jr. opens up about his dad and former trainer on Fathers Day”. PhilBoxing.com (2009年6月22日). 2013年12月1日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i Nonito Donaire Jr.: Star on the rise”. PhilStar.com (2009年8月23日). 2013年11月29日閲覧。
  8. ^ 原功 (2012年7月6日). “4階級制覇“パッキャオ2世”ドネアが王座統一戦 IBF・WBO世界S・バンタム級王座戦展望”. WOWOW(スポーツナビ). 2012年7月7日閲覧。
  9. ^ US Olympic Trials - Tampa - February 9-13 2000”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
  10. ^ Flyweight titlist Donaire, junior middleweight Kirkland fire promoter”. ESPN.com (2008年6月20日). 2013年11月30日閲覧。
  11. ^ 名城の暫定王座にドネア ルエバノは反則勝ちでV5 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年8月16日
  12. ^ DONAIRE’S NEW TRAINER IS ROBERT GARCIA”. PhilBoxing.com (2009年12月23日). 2013年11月30日閲覧。
  13. ^ ドネア、モンティエルとも圧勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月15日
  14. ^ Dan Rafael (2010年2月12日). “Donaire trying to focus on here and now” (英語). ESPN. 2012年5月20日閲覧。
  15. ^ Dan Rafael (2010年2月15日). “Morel handed title in dubious decision” (英語). ESPN. 2012年5月20日閲覧。
  16. ^ ドネアはメキシカンに快勝 WBA暫定S・フライ級 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年7月12日
  17. ^ ドネア楽勝 激闘ソト、アンティロン下す ボクシングニュース「Box-on!」 2010年12月5日
  18. ^ “フラッシュ”ドネア鮮烈2冠奪取! ボクシングニュース「Box-on!」 2011年2月20日
  19. ^ MVPはビタリ WBCが2011年アワードを発表 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年1月20日
  20. ^ 原功. “海外ボクシングコラムVol.43”. WOWOW. 2012年7月7日閲覧。
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  22. ^ ドネア、ナルバエスに完勝 次は西岡挑戦? ボクシングニュース「Box-on!」 2011年10月24日
  23. ^ ドネア、判定でバスケス下す WBO・J・フェザー級決定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年2月5日
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  30. ^ ドネア、アルセ沈める WBO・J・フェザー級 ボクシングニュース「Box-on!」2012年12月16日
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  35. ^ Purses for tonight: Donaire – $1.32 million, Rigondeaux – $750,000”. Boxing.News.24 (2013年4月13日). 2013年11月30日閲覧。
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  37. ^ ドネアTKOで再起、ダルチニアンを返り討ち Boxing News(ボクシングニュース) 2013年11月10日
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  43. ^ Donaire is Disappointed, Offers Vetyeka a Rematch”. BoxingScene.com (2014年5月31日). 2014年6月6日閲覧。
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外部リンク[編集]

前王者
ビック・ダルチニアン
第17代IBF世界フライ級王者

2007年7月7日 - 2009年6月(返上)

空位
次タイトル獲得者
モルティ・ムザラネ
暫定王座決定戦 対戦者
ラファエル・コンセプシオン
WBA世界スーパーフライ級暫定王者

2009年8月15日 - 2010年(返上)

次暫定王者
返上により消滅
前王者
フェルナンド・モンティエル
第28代WBC世界バンタム級王者

2011年2月19日 - 2011年11月4日(返上)

空位
次タイトル獲得者
山中慎介
前王者
フェルナンド・モンティエル
第16代WBO世界バンタム級王者

2011年2月19日 - 2011年11月19日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ホルヘ・アルセ
空位
前タイトル保持者
ホルヘ・アルセ
第17代WBO世界スーパーバンタム級王者

2012年2月4日 - 2013年4月13日

次王者
ギレルモ・リゴンドウ
前王者
ジェフリー・マサブラ
第18代IBF世界スーパーバンタム級王者

2012年7月7日 - 2012年10月13日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ジョナサン・ロメロ
前スーパー王者
シンピウィ・ベトイェカ
WBA世界フェザー級スーパー王者

2014年5月31日 - 現在

次スーパー王者
N/A