ネオプラトニズムとキリスト教

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ネオプラトニズム西洋において古代末期から中世を通じてキリスト教神学に大きな影響を与えてきた。これは特に、(1)プロティノステュロスのポルピュリオスといった初期のネオプラトニストから影響を受けたヒッポのアウグスティヌス、(2)プロクロスダマスキオスといった後期ネオプラトニストから影響を受けた偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースと呼ばれるキリスト教著述家らによるものである。

古代末期[編集]

悪の起源である善の欠如(en:privatio boni)や、その善の欠如が人間の罪に由来することといったネオプラトニズムの中心教義は、ヒッポのアウグスティヌスによって、彼のマニ教からキリスト教への遍歴の上で一時的に哲学的問題として扱われたのみであった。おそらくもっと重要なことに、プロティノスやポルピュリオスの著作において強調されている、神つまり一者と出会うための手段としての神秘的瞑想はアウグスティヌスに深く影響した。アウグスティヌスはその著書「告白」において、明らかにネオプラトニズムのモデルに従っている少なくとも二つの神秘的体験について述べている。「告白」第7巻の「プラトニストの書」という節で彼が重要な発見をしたと述べているところによれば、アウグスティヌスは霊的実体としての神及び人の魂の概念をネオプラトニズムに負っている。

387年に改宗して数年後に「真の信仰について」という論文を書いて、アウグスティヌスのキリスト教はネオプラトニズムによってさらに磨き上げられたが、最終的にアウグスティヌスはネオプラトニズムを完全に放棄して自身の聖書解釈に基づいたキリスト教を選んだ。

他にも多くのキリスト教徒が、特にネオプラトニズムの一者つまり神をヤハウェと同一視することによってネオプラトニズムから影響を受けた。その中で最も影響力があったのはアンモニオス・サッカスから教えを受けたかもしれないオリゲネス(後世に異教徒のオリゲネスと呼ばれる人物がアンモニオス・サッカスから教えを受けたオリゲネスだったかもしれないのでこれは確実ではない)や、偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースの名で知られる5世紀後半の著述家であろう。

ネオプラトニズムはグノーシス主義ともつながりを持ったが、プロティノス自身は著書「エンネアデス」第2巻第9論文においてグノーシス主義を非難している。「エンネアデス」第2巻第9論文には「宇宙の創造者や宇宙それ自体が悪であると主張する者どもに抗して」(一般的には「グノーシス主義者らに抗して」として知られる)という表題がつけられている。

ネオプラトニストらは自分たちがプラトンの思想に基づいていると信じていたために、プラトンがティマイオスで論じた、物質的世界つまりコスモスの創造者であるデーミウルゴスに対するグノーシス主義者たちの中傷を拒絶した。John D. Turner教授のような学者はネオプラトニズムを正統派プラトン哲学と呼んできたが、これは部分的には、プロティノスが「エンネアデス」を通じてプラトン哲学の定まった解釈を論駁しようとしたことによるのかもしれない。プロティノスはグノーシス主義者たちが本来のプラトンの教説を崩壊させたと信じていた。

こういった哲学がキリスト教に影響を与えたにもかかわらず、ユスティニアヌス1世は再建されたアカデメイア529年に閉鎖することによって後期ネオプラトニズムに損害を与えた[1]。アカデメイアが閉鎖されたのに続いて、世俗的なコンスタンティノープル大学が開学した。コンスタンティノープル大学はこれ以前は公式には大学と呼ばれなかったが、実質的には425年にマグナウアの宮殿広間の大学として創建されていた。コンスタンティノープル大学は大学と呼ばれる前から長年にわたって学術的な公共機関であった。元々の機関はテオドシウス2世によって作られた[2]

中世[編集]

偽ディオニュシオスは後の時代にキリスト教の正教会カトリック教会両宗派にとって重要となった。彼の著作は9世紀ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナによってラテン語に翻訳された。

中世には、ネオプラトニズムの思想は、カバラ主義者の盲目のイサクやユダヤ教・ネオプラトニズム哲学者で自身の一神論の光のもとにネオプラトニズムを改造したソロモン・イブン・ガビーロールといったユダヤ教思想家に影響を与えた。ネオプラトニズムの思想はファーラービーイブン・スィーナーといったイスラーム思想家・スーフィズム思想家にも影響を及ぼした。

ネオプラトニズムは独立した伝統としてキリスト教東方世界でも生き残り、ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンによって西洋に再紹介された。

偽ディオニュシオスの著作を通じて、ネオプラトニズムの思想はあらゆるキリスト教神秘主義および否定神学に大きな影響を与えることとなった。

シャルトル聖堂学派は中世にプラトニズムやネオプラトニズムの思想を普及させた点で重要である。

ルネッサンス[編集]

マルシリオ・フィチーノは、プラトン全集はもちろんプロティノスやプロクロスラテン語に翻訳しており、ルネッサンス期のネオプラトニズムの大復興の中心人物であった。彼の友人のピコ・デラ・ミランドラもまたこの運動の主要人物である。プロティノス哲学に対する新たな関心は「ケンブリッジ・プラトン学派」(ベンジャミン・ウィチカットラルフ・カドワースジョン・スミスヘンリー・モアなど)の理性的な神学哲学に貢献した。ルネッサンス期のネオプラトニズムはまた、様々な形の秘教的キリスト教と部分的に重なり、あるいは徐々に移行していった。

キリスト教的プラトニズム[編集]

キリスト教的プラトニズムは、プラトンが考え、キリスト教教会に影響した、魂は善く肉体は悪いと考える二元論のことである[3]メソジスト教会によれば、キリスト教的プラトニズムは直接的に「神が、御自身が創造なさった万物を善いとおっしゃったという聖書の記述と矛盾する」[3]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ See Rainer Thiel, Simplikios und das Ende der neuplatonischen Schule in Athen, and a review by Gerald Bechtle, University of Berne, Switzerland, in the Bryn Mawr Classical Review 2000.04.19. Online version retrieved June 15, 2007.
  2. ^ The Formation of the Hellenic Christian Mind by Demetrios Constantelos ISBN 0-89241-588-6 [1] . The fifth century marked a definite turning point in Byzantine higher education. Theodosios ΙΙ founded in 425 a major university with 31 chairs for law, philosophy, medicine, arithmetic, geometry, astronomy, music, rhetoric and other subjects. Fifteen chairs were assigned to Latin and 16 to Greek. The university was reorganized by Michael ΙII (842–867) and flourished down to the fourteenth century
  3. ^ a b Robin Russell (2009年4月6日). “Heavenly minded: It’s time to get our eschatology right, say scholars, authors”. UM Portal. 2011年3月10日閲覧。 “Greek philosophers—who believed that spirit is good but matter is evil—also influenced the church, says Randy Alcorn, author of Heaven (Tyndale, 2004). He coined the term “Christoplatonism” to describe that kind of dualism, which directly contradicts the biblical record of God calling everything he created “good.””

参考文献[編集]

  • Gerard O'Daly, Platonism Pagan and Christian: Studies in Plotinus and Augustine, Variorum Collected Studies Series 719 (2001), ISBN 978-0860788577.

外部リンク[編集]