ヌフ=ブリサック
| Neuf-Brisach | |
|---|---|
| 行政 | |
| 国 | |
| 地域圏(Région) | アルザス地域圏 |
| 県(département) | オー=ラン県 |
| 郡(arrondissement) | コルマール郡 |
| 小郡(canton) | 小郡庁所在地 |
| INSEEコード | 68231 |
| 郵便番号 | 68600 |
| 市長(任期) | リシャール・アルヴァレズ (2008年 - 2014年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays de Brisach |
| 人口動態 | |
| 人口 | 2 083人 (2008年) |
| 人口密度 | 人/km² |
| 住民の呼称 | Néo-Brisaciens, Néo-Brisaciennes |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯48度01分08秒 東経7度31分45秒 / 北緯48.0188888889度 東経7.52916666667度座標: 北緯48度01分08秒 東経7度31分45秒 / 北緯48.0188888889度 東経7.52916666667度 |
| 標高 | 平均:? m 最低:194 m 最高:198 m |
| 面積 | 1.33km² |
| 公式サイト | site officiel Neuf-Brisach |
ヌフ=ブリザック (フランス語:Neuf-Brisach、ドイツ語:Neubreisach ノイブライザッハ)は、フランス、アルザス地域圏オー=ラン県のコミューン。2008年、「ヴォーバンの防衛施設群」の1つとしてユネスコの世界遺産に登録された[1] 。
目次 |
地理[編集]
アルザスの平原に広がるヌフ=ブリザックは、対ドイツ国境となっているライン川にかかる橋から3.5kmの距離にあり、対岸にはドイツの町ブライザッハ・アム・マインがある。コミューンの領域は「新都市」、すなわち防衛設備とこれに従属するエリアのみからなる。東には要塞からライン川までの領域を占めるコミューンであるフォルゲルスハイムの市街があり、西にはコルマール方面路線沿いのヴォルフガンツェン、北にはビースハイム、南にはヴェコルスハイムといった農村地帯のコミューンがそれぞれ隣接する。
交通[編集]
ヌフ=ブリザックにはコルマールへ通じるA35のほか、複数の県道が接続している[2] 。コルマールやフライブルクとの間をバスが運行し、TGVの駅がコルマールにある。
歴史[編集]
1697年、デン・ハーグ郊外のレイスウェイクで結ばれたレイスウェイク条約によって、ルイ14世とアウクスブルク同盟諸国の間の大同盟戦争が終結、フランスはライン川右岸のドイツ側にあったブライザッハの要塞を失った。ルイ14世はこの要塞の損失により生じたストラスブールとミュルーズの間の防衛上の空白を埋めるため、ブライザッハの対岸であるフランス側に新たに防衛都市を築くことにし、ヴォーバンとジャック・タラドに検討させた。それが、ヌフ=ブリザック(ノイ・ブライザッハ、新ブライザッハ)である。
ルイ14世は3つの計画原案の中から八角形の要塞を選択し、1698年10月18日に布石が置かれ工事が始まった。建設に必要な砂岩を運搬するため、ヴォージュ山地までの運河が特別に開削された。新市街の要塞化は1702年に完成した。1731年10月にはサン=ルイ教会が起工、1736年に完成した。市庁舎は1758年に完成した。
1743年、要塞はハプスブルク家の攻撃に耐えたが、以来この要塞は欧州史に名を残す役割を果たしたことがなく、これは地元史においても同じである。1870年、5500人の防衛要員を擁するヌフ=ブリザックはドイツ軍に攻囲された。要塞はひどく破壊され、軍事的に意味を失ったにもかかわらず(1871年に国境はヴォージュ山地に移った)再構築された。鉄道路線が市壁を貫通するように敷設された。要塞によって外縁を規定されているため、市街は外部への拡張の余地を持たない。1992年、要塞にあった駐屯地は廃止された[3]。
新都市であるヌフ=ブリザックの要塞は、ヴォーバンによる要塞設計の第3世代にあたり、その軍事建設事業の到達点である。町は過去2世紀にわたって砲撃を受けたものの、現在では復元され、2008年、ヴォーバンによる代表的な12の要塞群の1つとして、世界遺産に登録された。
脚注[編集]
- ^ Réseau des Sites Majeurs de Vauban inscrits à l'UNESCO, lien du 14/07/2009
- ^ Office du Tourisme des Bords du Rhin, comment se rendre à Neuf-Brisach lien du 14/07/2009
- ^ Paragraphe extrait de l'article éponyme allemand le 15 mars 2011.