ヌット・エネマルク・イェンセン

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ヌット・エネマルク・イェンセン
個人情報
フルネーム Knud Enemark Jensen
国籍 デンマークの旗デンマーク
誕生日 1936年11月30日
出身地 デンマークの旗デンマーク中央ユラン地域オーフス
死去日 1960年8月26日(満23歳没)
死去地 イタリアの旗イタリアローマ
身長 174cm
体重 65kg
スポーツ
競技 ロードレース (自転車競技)
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ヌット・エネマルク・イェンセンデンマーク語: Knud Enemark Jensen1936年11月30日1960年8月26日)は、デンマーク自転車競技選手(ロードレース)。1960年ローマオリンピックドーピングの服用(興奮剤)により、競技中に死亡した選手として知られる。彼は、オリンピックにおける初期のドーピング違反者として後世に名を残している[1]

生涯[編集]

イェンセンはオーフスで生まれた。1960年に、自転車の北欧選手権の個人種目で優勝し、同大会ではタイムトライアルバイクでデンマークチームの銀メダル獲得にも貢献した[1][2]

運命のローマオリンピック・チームタイムトライアル100 km は、ローマにあるクリストフォロ・コロンボで華氏100℃(摂氏37.7℃)を超える暑さの中、行われた。デンマークチーム4選手のうちの1人だった、ヨルゲン・B.ジョルゲンセンは1周目で熱中症により棄権し、残されたデンマークの3選手は、チームが失格にならないように完走しなければならなかった。イェンセンはチームメイトに自分がめまいを感じたと語った。ニールス・バウンソフはイェンセンのジャージを掴んで彼が倒れないようにし、ボーン・バングスボルグは反対側からイェンセンを支えていた。バングスボルグはイェンセンに水を吹きかけ、一旦は意識を取り戻したものの、バウンソフが前に行きかけた時、イェンセンは転倒し、地面に打ち付けて頭蓋骨骨折した[3][4]

イェンセンは救急車でゴール地点近くの救護テントに運ばれたものの、意識が戻ることなく午後に息を引き取った。国際オリンピック委員会委員でもあったアクセル王子はイェンセンの死の際、イェンセンの側にいたと言われている[5]

デンマークチームのトレーナーだった、オルフ・ジョルゲンセンはデンマーク政府の捜査員に、自分がイェンセンとその他の選手に血管拡張薬としてニコチニルアルコールを与えたと供述した[1][6]。イェンセンの検視イタリアInstituto di Medicina Legaleによって処理された。1961年3月25日、検視に参加した3人のイタリア人医師はイェンセンの死因は熱中症によるもので、遺体からは薬物が発見されなかったと結論づけた [7][8]。完全な検視結果は公式に作られなかった。1年後、検視を担当した医師の1人であるアルバロ・マルチェロリは、アンフェタミンを含んだ薬物の痕跡を発見していたと訴えた[8]

イェンセンの死によって、国際オリンピック委員会は1961年より薬物対策委員会を設立し、1968年の冬季オリンピックであるグルノーブルオリンピックフランス)と夏季オリンピックであるメキシコシティオリンピックメキシコ)よりドーピング検査を行う事が義務づけられた[1][9]

イェンセンは、ヘンリー・ハンセン1928年アムステルダムオリンピックの自転車競技金メダリスト)のと結婚していた[1]。彼の遺族には、100万リラ(1,600ドル)の金がオリンピック保険により支払われた[10]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Knud Enemark Jensen Biography and Olympic Results”. Sports Reference LLC (2012年). 2014年2月20日閲覧。
  2. ^ Maraniss, David (2008). ローマ 1960. ニューヨーク: サイモン&シュスター社. p. 111. ISBN 978-1-4165-3407-5. 
  3. ^ Maraniss, pp. 110-113.
  4. ^ McEvoy, Jonathan (2011年3月25日). “50 Olympic moments that stunned the world, 35-26: Hooray Hemery and eye-popping Kelly!”. デイリー・メール. http://www.dailymail.co.uk/sport/olympics/article-1366576/50-Olympic-moments-35-26-David-Hemery-Kelly-Holmes.html 2014年2月20日閲覧。 
  5. ^ Maraniss, p. 113. イェンセンは病院にいたため、通信社が正確に伝えていない点もある。
  6. ^ Maraniss, p. 138.
  7. ^ AP通信 (1961年3月26日). “Danish Cyclist Died Of Heat, Not Drug”. ニューヨーク・タイムズ. http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F70C10FD395F13738DDDAF0A94DB405B818AF1D3&scp=2&sq=knud%20enemark%20jensen&st=cse 2014年2月20日閲覧。 
  8. ^ a b Maraniss, p. 141.
  9. ^ Maraniss, p. 142.
  10. ^ The Organizing Committee of the Games of the XVII Olympiad (1960) (PDF). The Games of the XVII Olympiad Rome 1960: The Official Report of the Organizing Committee. 1. p. 447. http://www.la84foundation.org/6oic/OfficialReports/1960/OR1960v1.pdf 2014年2月20日閲覧。. 

外部リンク[編集]