ニルヴァーナ (バンド)

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ニルヴァーナ
Nirvana
Nirvana around 1992.jpg
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州
シアトル
ジャンル グランジ
オルタナティヴ・ロック
活動期間 1987年1994年
レーベル ゲフィン
サブ・ポップ
メンバー
カート・コバーン
クリス・ノヴォセリック
デイヴ・グロール
旧メンバー
アーロン・バークハード
デイル・クローヴァー
デイヴ・フォスター
チャド・チャニング
ジェイソン・エヴァーマン
ダン・ピーターズ
パット・スメア

ニルヴァーナ (Nirvana) は、アメリカのバンド。1980年代終盤にシーンに出現し、1994年のカート自殺による活動停止までの数年に亘って、全世界の若者世代の圧倒的な支持を受けた。彼の死亡後も世界中のミュージシャンに多大な影響を与え続けている。単語「ニルヴァーナ」には、仏教用語の涅槃の境地という意味合いと「生け贄」という意味合いがある。

スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の爆発的ヒットによりバンドは一気に有名になり、1990年代以降のロックに絶大な影響を与え、しばしばオルタナティヴ・ロックシーンにおいて『ニルヴァーナ以降』という言い方をされる。

全世界でのトータルセールスは、約7500万枚[1][2]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第30位。

目次

メンバー [編集]

最終的な顔ぶれ [編集]

(1987-1994)

ツアーメンバー [編集]

  • パット・スメア(Pat Smear) - ギター(1993–1994)
元ジャームス (The Germs)のギタリスト。アルバム『イン・ユーテロ』リリース期から参加していた。後のフー・ファイターズのメンバーでもある。

元メンバー [編集]

ギター [編集]

  • ジェイソン・エヴァーマン(Jason Everman)(1989)
籍当時、学生。脱退後、サウンドガーデンマインド・ファンクなどでプレイ。後に海軍に入隊。

ドラム [編集]

  • アーロン・バークハード(Aaron Burckhard)(1987–1988)
  • デイル・クローヴァー(Dale Crover)(1987–1988、 1990)
メルヴィンズのドラマーで一時的に参加。
  • デイヴ・フォスター(Dave Foster)(1988)
  • チャド・チャニング(Chad Channing)(1988–1990)
  • ダン・ピーターズ(Dan Peters) - drums (1990)
マッドハニーのドラマーで一時的に参加。

来歴 [編集]

ワシントン州アバディーンでリードシンガー/ギターのカート・コバーン、ベースのクリス・ノヴォセリック、そしてドラムのアーロン・バークハートによって1987年にバンドを結成。バンド名は、フィーカル・マター、ペン・キャップ・チュー、テッド・アルフレッドといった変遷を経て、最終的に「ニルヴァーナ-Nirvana」(=涅槃)に落ち着いた。

ドラマーが安定せず数回メンバーチェンジを繰り返しやがてチャド・チャニングに落ち着く。

1980年後半のグランジシーンにて存在感を増しつつあったニルヴァーナは、1989年に独立レーベルであるサブ・ポップと契約を交わし、彼らの最初のアルバムである『ブリーチ - BLEACH - 』をリリースした。バンドのメイン作曲者であったカートは、次第に"静かなヴァースと激しいヘビーなコーラスの繰り返し"というダイナミックな対比という手法を確立していく。それからほどなくして、技術的な問題からカートはドラマーのチャド・チャニングを解雇する。その後、オーディションを経てデイヴ・グロールをドラマーに迎え、よく知られたメンバーが顔をそろえることとなる。

1990年にメジャーレーベルであるゲフィン・レコードと契約。1991年に発表した2ndアルバム『ネヴァーマインド - NEVERMIND - 』はBillboard 200で1位を記録、MTVではシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット - Smells Like Teen Spirit - 」が繰り返し流され、当時のアメリカ音楽界に衝撃を与え、ヘヴィメタルから一夜にしてグランジが新たなトレンドとなった。ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムアリス・イン・チェインズサウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられ、シアトルは急激にアメリカにおける音楽の最先端都市となった。

カートのヘロイン中毒という問題を抱えていたバンドは一時活動麻痺の状態となり、1992年コンピレーションアルバムである『インセスティサイド - Incesticide - 』を発表することとなった。続く1993年には、ニューアルバム『イン・ユーテロ - IN UTERO - 』を発表している。予想された程の売れ行きではなかったが、アメリカとイギリスのチャートのトップに輝くなど、依然商業的な成功を収めた。

しかしながら、巨大な成功から来る重圧に耐えられなくなり次第にドラッグにのめりこんでいったカート・コバーンは、自殺未遂や奇行が目立つようになり、ついには1994年4月5日にシアトルの自宅にてショットガンで頭を撃ち抜き、自殺。

カートの死後、ライブ版を含む何枚かのアルバムがリリースされている。ニルヴァーナの音楽の所有権に関しては多くの論争があった。2人の残ったメンバーであるグロールとノヴォセリック及び妻のコートニー・ラブは、レア音源やリリースされていない曲の発表に関する問題で激しく議論した。2002年10月29日に法廷で決着がつき、ヒット曲やカート生前最後のレコーディング音源である未発表曲「You Know You're Right」を含むアルバム『ニルヴァーナ - Nirvana - 』が発表された。

ニルヴァーナの解散後、デイヴ・グロールはフー・ファイターズ (Foo Fighters) を結成し、2011年に発売された『ウェイスティング・ライト -Wasting Light-』はバンド初のBillboard 200での1位を獲得するなど、今なお第一線で活躍している。一方、クリス・ノヴォセリックはスウィート75 (Sweet 75)、アイズ・アドリフト (Eyes Adrift) というバンドを結成したが、近年は政治・執筆活動に専念している。

ニューヨークで2012年12月12日に行われたハリケーン「サンディ」の被害支援チャリティーライブで、ポール・マッカートニーをボーカルに迎え、デイヴ・グロールとポール共作の新曲「Cut Me Some Slack」を演奏、1曲限りの共演を果たした[3][4]

アルバム [編集]

オリジナルアルバム [編集]

ライブアルバム [編集]

ベストアルバム [編集]

  • ニルヴァーナ シングルズ - Nirvana Singles(1995) (日本では2006年に発売)
  • ニルヴァーナ - Nirvana(2002) 最高位3位、プラチナム(U.S.) 最高位3位、プラチナム

未発表曲&別テイク集 [編集]

ガンズ・アンド・ローゼズとの関係 [編集]

ガンズ・アンド・ローゼズとは壮絶な対立関係にあり、それは当時のファンを二分するほどだった。カートはガンズに対し、「あいつらは金のために音楽をやっていてロックじゃねぇよ」「ガンズ・アンド・ローゼズにはファッションしかない。俺たちにはパッション(情熱)がある」と発言している。

元々アクセル・ローズはニルヴァーナのファンであったが、カートが一方的にアクセルとガンズ側を批判したため、対立関係が生まれた。カートの死後、アクセル以外の元ガンズ・メンバーとニルヴァーナ・メンバーは和解し、元メンバーのバンド、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは「ネガティヴ・クリープ (Negative Creep」をカヴァーしている。

2010年に発表された、スラッシュ初のソロ・アルバムには、デイヴ・グロールダフ・マッケイガンが参加している。

来日公演 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ "Nirvana catalogue to be released on vinyl". CBC.ca. March 21, 2009. Retrieved March 7, 2012.
  2. ^ "Top Selling Artists". Recording Industry Association of America. Retrieved March 7, 2012.
  3. ^ ポール・マッカートニー、ニルヴァーナのメンバーと共演BARKSニュース 2012年12月14日
  4. ^ ポール・マッカートニー、ハリケーン・サンディ被害支援ライヴでニルヴァーナ再結成に参加RO69(アールオールロック) 2012年12月14日

外部リンク [編集]