ニミッツ (空母)

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USS Nimitz(CVN-68)
艦歴
発注 1967年3月31日
起工 1968年6月22日
進水 1972年5月13日
就役 1975年5月3日
退役
母港 ワシントン州エバレット
所属 太平洋艦隊
第11空母打撃群
性能諸元
排水量 満載 100,020トン
全長 333 m
全幅 76.8 m
喫水 11.3 m
機関 ウェスティングハウス A4W 原子炉2基
蒸気タービン4機, 4軸, 260,000 shp
最大速 30 ノット以上 (56 km/h)
航続距離
乗員 士官・兵員:3,200名
航空要員:2,480名
兵装 RIM-7 シースパロー短SAM 2基
RIM-116 RAM 2基
搭載機 90機
モットー Teamwork, a Tradition
愛称 Old Salt
艦長のPaul O. Monger(右)
insignia

ニミッツ (USS Nimitz, CVN-68) は、アメリカ海軍航空母艦ニミッツ級航空母艦のネームシップ。艦名はチェスター・ニミッツ海軍元帥(元太平洋艦隊司令長官、元海軍作戦部長)に因んで命名された。

映画『ファイナル・カウントダウン』に出演したことで有名である。

艦歴[編集]

ニミッツは1968年6月22日バージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所で起工する。1975年5月3日ジェラルド・R・フォード大統領によって CVAN-68 として委任され、1975年6月30日に CVN-68 へ艦種変更された。

初期の配備[編集]

就役後、1976年7月7日に初の地中海展開を行う。この配備はアメリカ海軍の原子力艦による初めての地中海配備であった。配備が完了すると1977年2月7日ノーフォークに帰還した。1977年から78年にかけて行われた2度目の地中海配備も平穏無事に終わったが、1979年9月10日に開始した3度目の配備では、翌1980年イランテヘランアメリカ大使館人質事件が発生し、人質救助作戦に参加したものの、作戦はイランの砂漠のランデブーポイントでヘリコプターが墜落し、失敗に終わった。ニミッツは144日間の海上任務を終え、1980年5月26日に帰還した。

1981年には搭載機のF-14A トムキャットが、地中海シドラ湾上でリビアSu-22戦闘機を撃墜している(シドラ湾事件)。また同年、EA-6B プラウラーが着艦事故を起こし、乗員14名が死亡、45名が負傷している。

1986年12月30日に地中海に向けてバージニア州ノーフォークを出航。4ヶ月にわたって多くの港を訪問した後、ニミッツは地中海を離れ、赤道を越えてリオデジャネイロを訪れた。その後ホーン岬を回って太平洋入りし、カリフォルニア州サンディエゴに停泊し航空団を下艦させた後、1987年6月30日に新たな母港のワシントン州ブレマートンに到着した。1988年ソウルオリンピック開催時には韓国近海で第7艦隊の空母ミッドウェイと共に警戒の任にあたった。

1988年10月29日には北アラビア海アーネスト・ウィル作戦に参加している。その間の11月30日、作戦活動中に搭載した20mm砲が誤射され、メンテナンス中のA-7 コルセアに命中する。6機が炎上し、2名が負傷した。この2人は1名が11月30日に、もう1名は12月2日に死亡した。

1990年代[編集]

1991年2月25日にブレマートンを出航し、湾岸戦争レンジャー (USS Ranger, CV-61) と交代して任務に就く。任務完了後8月24日に帰還した。1993年にはキティホーク (USS Kitty Hawk, CV-63) と交代して任務に就きサザン・ウォッチ作戦に参加した。

1996年3月、ニミッツは1976年以来初めて台湾海峡を通過したアメリカ軍艦艇となる。台湾海峡では中国人民解放軍によるミサイル発射訓練に対応して偵察を行った。

1997年9月1日にニューポート・ニューズへ向けて世界一周の巡航に出発し、その途中9月21日アメリカ海軍横須賀基地に入港し一般公開を行った。

2000年代[編集]

ニミッツはニューポート・ニューズで2001年6月25日まで燃料棒交換および近代化改装を行った。内容的には、RAMの増設やマストのステルス角柱化等が実施されている。2001年11月13日にはカリフォルニア州サンディエゴに母港を変更している。翌2002年1月にノース・アイランドの海軍航空基地で4ヶ月におよぶ整調後の信頼性試験を行う。

2003年4月中旬にニミッツはエイブラハム・リンカーン (USS Abraham Lincoln, CVN-72) と交代してペルシャ湾入りし、イラクの自由作戦に参加した。その後11月5日にサンディエゴへ帰港し、定期メンテナンスと修理に入る。2005年5月にペルシャ湾に配備され、11月8日には帰港している。

2007年3月16日、テッド・N・ブランチ艦長に代わってマイケル・マナジール大佐が艦長に着任した。

ニミッツは2007年4月2日午前9:50に、アラビア海での六ヶ月の配備に向けてサンディエゴのノース・アイランドを出航した。7月2日インドとアメリカ合衆国の相互防衛協力に基づきインドのチェンナイに到着した。乗組員はチェンナイで親善行事に参加し、その後7月5日ピンクニー (USS Pinckney, DDG-91) と共にチェンナイを出航、ペルシャ湾に向かった。ニミッツは2007年9月30日にノース・アイランドへ帰還した。

2008年2月9日日本に向けて航行中、日本近海にてロシア空軍爆撃機ツポレフTu-95MSが甲板上空600mを飛行する挑発行為が発生。3月5日にも韓国防空識別区域(KADIZ)に領空侵犯したツポレフ爆撃機が韓米合同軍事訓練中のニミッツを偵察している。

2008年2月11日佐世保に寄港、改装工事に入る横須賀を母港とする空母キティホークに代わり西太平洋に展開するためとされる(護衛艦艇は、キティホークの第15駆逐戦隊が随伴した)。日本寄港は2度目、佐世保へは初寄港であった。

2009年8月24日横須賀基地へ寄港した、日本への寄港は1年6ヶ月ぶり3度目、横須賀への寄港は12年ぶり2度目。横須賀を母港とするジョージ・ワシントン (USS USS George Washington, CVN-73)が南太平洋方面での演習・作戦航海のため出港しているため、西太平洋方面の空母空白を埋める為、同方面の警戒任務に就いている。8月26日には乗組員のボランティアによる横須賀三笠公園の記念館三笠の清掃・塗装が行われている。これは本艦の名前の由来であるチェスター・ニミッツ元帥が、太平洋戦争(大東亜戦争)後に荒廃していた戦艦三笠の復興に貢献したことにちなんでいる。

ニミッツ空母打撃群[編集]

ニミッツは第11空母打撃群 ( Carrier Strike Group 11, CSG-11) の旗艦であり、第11空母航空団 (Carrier Air Wing 11, CVW-11) を搭載する。打撃群は第23駆逐戦隊 (Destroyer Squadron 23, DESRON-23) を含む。

第23駆逐戦隊[編集]

ニミッツと随伴艦艇
ニミッツ艦上のF-4S(VF-74所属)

第11空母航空団[編集]

飛行隊名 通称名 仕様機種
第154戦闘攻撃飛行隊 (VFA-154) 『ブラックナイツ Black Knights F/A-18F Block2
第147戦闘攻撃飛行隊 (VFA-147) 『アルゴノーツ Argonauts F/A-18E
第146戦闘攻撃飛行隊 (VFA-146) 『ブルー・ダイヤモンズ Blue Diamonds F/A-18C
第323海兵隊戦闘攻撃飛行隊 (VMFA-323) 『デス・ラットラーズ Death Rattlers F/A-18C(N)
第142電子攻撃飛行隊 (VAQ-142) 『グレイウルブズ Gray Wolves EA-6B ICAP-III
第117早期警戒飛行隊 (VAW-117) 『ウォールバンガーズ Wallbangers E-2C 2K
第6ヘリコプター海上作戦飛行隊 (HSC-6) 『インディアンズ Indians MH-60S
第75ヘリコプター海洋攻撃飛行隊 (HSM-75) 『ウルフパック Wolf Pack MH-60R
第30艦隊後方支援飛行隊・第3分隊 (VRC-30・Det3) 『プロバイダーズ Providers C-2A

関連項目[編集]

外部リンク[編集]