ニック・アンダーソン

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ニック・アンダーソン
Nick Anderson
名前
本名 Nelison Anderson
ラテン文字 Nick Anderson
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1968年1月20日(46歳)
出身地 イリノイ州シカゴ
身長 198cm
体重 93kg
選手情報
ポジション シューティングガード
背番号 25
経歴
1989-1999
1999-2001
2001-2002
オーランド・マジック
サクラメント・キングス
メンフィス・グリズリーズ

ニック・アンダーソン(Nelison "Nick" Anderson 1968年1月20日- )はイリノイ州シカゴ出身の元バスケットボール選手。1989年から2002年までの13年間NBAでプレイした。キャリアの大部分はオーランド・マジックで過ごしている。

大学時代[編集]

高校卒業後、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に進学した。3年時に1試合平均18.0得点、7.9リバウンド、2.5ブロックを記録し、1989年のNCAA男子バスケットボールトーナメントでファイナル4に進出する立役者となった。

NBA入り後[編集]

1989年のNBAドラフトで1巡目全体11位でオーランド・マジックに指名されて入団した。マジックはこの年のエクスパンションチームで彼はチーム史上最初にドラフトで指名された選手となった。

他のエクスパンションチームと同様、彼の入団したマジックは数シーズン低迷した。その結果、ドラフトでは早い順の指名権を得ることができ1990年デニス・スコット1992年シャキール・オニール1993年アンファニー・ハーダウェイを獲得することができた。

1991-1992年シーズンまでは彼はオフェンスのチームの得点リーダーであったがチームのタレントレベルが上昇するに従いオフェンスでの役割は少なくなっていった。しかし先発選手の一員としての役割は続いた。1994-95年シーズン、彼は179本の3ポイントシュートを成功させ1試合平均15.9得点を挙げた。チームは57勝25敗でアトランティック・ディビジョンで優勝し、イースタン・カンファレンスでも最高勝率をマークした。

NBAファイナルでのヒューストン・ロケッツとのオーランド・アリーナでの第1戦でフリースロー成功率70%のアンダーソンは4本連続フリースローを連続で失敗した。その直後にケニー・スミスが同点となる3ポイントシュートを決めてオーバータイムにもつれ込んだ。その試合を制したロケッツが4連勝でNBAチャンピオンとなった。

ファイナル終了後、マジックのファンの中からは"Nick the Brick"、"Brick Anderson"と呼ぶ声も聞かれるようになった[1]

この失敗の後、アンダーソンのフリースロー成功率は下降していき、1996-97シーズンにはキャリア最低の40.4%のフリースロー成功率となり、1試合あたりの得点も12.0に下がった。ゲーム終盤に僅差を争う場合、彼は次第にベンチに下げられるようになった。

1997-98シーズンの前半にはさらに成績は悪くなり、1月27日までの成績は1試合あたり6.5得点、フリースロー成功率は36.3%まで落ちてしまった。しかしシーズン後半にはハーダウェイの欠場もあり成績が急上昇し、1試合あたり22.6得点、フリースロー成功率も67.6%となりファイナル出場前の成績に戻った。このシーズンの最終成績は1試合あたり15.3得点として終えた。

ロックアウトで短縮された1998-99年シーズン終了後、彼はサクラメント・キングスにトレードされた。退団時、彼はマジックの歴代得点1位[2]であり、エクスパンションチームとしてのオリジナルロースターメンバーの中で残っていた最後の選手であった。

キングスでの最初のシーズンをキャリア最低の1試合あたり10.8得点で終え、2シーズン目はわずか21試合のみに出場、翌シーズン移籍したメンフィス・グリズリーズでも15試合の出場に留まり現役生活を終えた。

脚注[編集]

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  1. ^ Brick は煉瓦、フリースローが外れた時の音が煉瓦職人がレンガを投げる音に似ていることにより、フリースローの下手な選手のことを呼ぶ。
  2. ^ 現在の歴代得点の1位はドワイト・ハワード

関連項目[編集]

外部リンク[編集]