ニコラウス・レーナウ

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ニコラウス・レーナウ(Nikolaus Lenau、1802年8月13日 - 1850年8月22日)は、ハンガリー出身のオーストリアの詩人。本名はニコラウス・フランツ・ニーンブシュ・フォン・シュトレーレナウ(Nikolaus Franz Niembsch von Strehlenau)。代表作に、自然をテーマにした『葦の歌』(1832年)や『森の歌』(1843年)、叙事詩『ファウスト』(1836年)、『サヴォナローラ』(1837年)などがある。

略歴[編集]

ドイツ・スラブ系の父親とドイツ・ハンガリー系の母親の間に生まれる[1]ウィーン大学では哲学、法律、医学など専攻分野を転々とする[2]ものの、莫大な遺産が手に入ったことから[3]1831年シュトゥットガルトに移り、ルートヴィヒ・ウーラント(Ludwig Uhland)らシュヴァーベン詩派の作家と親交を持ちつつ文筆活動を行う。

1832年には自由の国アメリカにわたるが、実情に幻滅して帰欧する。

1834年より友人の妻ゾフィー・レーヴェンタール(Sophie von Löwenthal)との恋愛関係に悩み[2]1844年に発狂、5年間の入院の末、精神病院で悲惨な最期を遂げた[2]

ハンガリー的情熱と、スラブ的憂鬱の交じり合った独自の作風[1]により「世界苦の詩人」として知られ、ポーランドの民族運動に同情的であったために「オーストリアのバイロン」とも呼ばれた。[3]

レーナウと音楽[編集]

レーナウはベートーヴェンを崇拝し、自らヴァイオリンを演奏した[1]。また、彼の詩は多くの作曲家に創作のインスピレーションを与え、フランツ・リストの『レーナウの「ファウスト」による2つのエピソード』(1860年、第2曲は『メフィスト・ワルツ第1番』として知られる)や、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』(1888年)の他、以下のような歌曲交響詩などが生まれるきっかけとなった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『世界大百科事典』平凡社、1967年
  2. ^ a b c 『西洋人名辞典』岩波書店、1956年
  3. ^ a b 『大百科事典』平凡社、1984年