ナジーブ・ミーカーティー

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ナジーブ・ミーカーティー
نجيب ميقاتي

ナジーブ・ミーカーティー(2005年5月)

任期 2022年10月31日 – 現職
首相 自分(大統領と兼任)

レバノンの旗 レバノン共和国
第63・66・69代首相
任期 2021年9月10日 – 現職
2011年6月13日2014年2月15日
2005年4月15日2005年7月19日
大統領 ミシェル・アウン
自分(首相と兼任)
ミシェル・スライマーン
エミール・ラフード

任期 1998年12月4日 – 現職
選挙区 トリポリ

出生 (1955-11-24) 1955年11月24日(68歳)
レバノントリポリ
政党 栄光運動英語版
(3月8日同盟英語版の構成政党の1つ)
出身校 ベイルート・アメリカン大学
前職 実業家

ナジーブ・ミーカーティー(アラビア語:نجيب ميقاتي, 文語アラビア語発音転写: Najīb Mīqātī、レバノン方言発音:Najīb Mīʾāti, ナジーブ・ミーアーティ等、本人公式英字表記[1]:Najib Mikati、1955年11月24日 - )は、レバノン政治家実業家。現在、同国首相及び大統領代行。2005年及び2011年6月から2014年2月にも2度首相を務めた。

1943年以降の全ての首相(暫定的に就任した2名を除き)の例に漏れず、スンナ派ムスリムである[2]。『フォーブス』による2011年の世界長者番付において409位にランクインしており、その資産は28億ドルであると推定されている[3]

日本語メディアでは「ナジブ・ミカティ」と表記されることが多い[4]

経歴[編集]

ベイルート・アメリカン大学で学び経営学修士 (MBA)を取得した[5]。1982年のレバノン内戦中に兄とともに通信会社を設立[3]し、その後、アラブ諸国で著しい成長を遂げたミーカーティー・グループの創始者として成功を収めた。1998年に内閣から公共事業相に指名された後、2000年に国民議会へ故郷のトリポリから、同時に選出されたウマル・カラーミーよりも多数得票し選出された。公共事業相としてその評判を上げ、シリアの政治家達との強い繋がりからシリア大統領バッシャール・アル=アサドとの良好な関係を持った。

2000年に首相就任の機会があったが、彼は国民の選択はラフィーク・ハリーリーにあったとしてその機会を拒絶した。2004年には親シリアのエミール・ラフード大統領が6年の任期をもう3年間延長するための憲法改正案に反対を表明した。このことは自らが親シリアであるにもかかわらず、シリアの操り人形ではないことを示した。これが結果としてウマル・カラーミーの後任に指名されることとなった。カラーミー自身は7週間に渡って選挙管理内閣組閣のために努力したが、結局辞任したためラフードによって2005年4月15日に任命。3ヶ月間務めた後は議員生活に戻った。

2011年1月25日にミシェル・スライマーンより組閣を命じられたが[2]ヒズボラの後押しを受けているミーカーティーに対して、彼の首相就任に反対するスンニ派の多い地域では反ヒズボラを掲げるデモが起こった[6]。その後、実際に内閣が組閣されたのは5か月後の6月13日になってからであり[7]、レバノン国民議会によって内閣が承認されて正式に2度目の首相就任となったのは7月7日のことである[8]

2012年10月19日には首都ベイルートで治安当局諜報部門トップのウィサーム・アル=ハサン英語版アラビア語版准将を標的とした自動車爆弾によるテロ事件が発生し、ハサンを含む8人が死亡[9]。ハサンがシリアのアサド政権にとって敵対する人物であることから、事件の背景にはアサド政権が絡むという見方もあり、ミーカーティーを親アサドとみなす野党からは首相辞職要求が噴出した。10月20日にミーカーティーはスライマーンに対し首相職にこだわらない意向を伝えたが慰留された[10]。2013年3月22日、内閣総辞職を発表した[11]

その後もレバノン政界は混乱が続き、2020年8月にベイルート港で発生した爆発事故の責任をとって当時のハッサン・ディアブ首相が引責辞任を表明したが新政権をめぐって各政治勢力の対立が続き、1年近くも組閣ができない事態となった。2021年7月26日、拘束力のある議員協議会にて次期首相候補の投票を行った結果、ミーカーティーが115人中72人の票を得たためミシェル・アウン大統領より組閣を命じられ[12][13]、9月10日に新内閣を発表した[14]。2022年5月15日の総選挙英語版を経て5月21日にアウン大統領がミーカーティー内閣の終了を宣言し、同時に新首相選出までは暫定的に首相に留まるよう要請した[15]。6月23日、アウン大統領はミーカ―ティーに再び政権を率いるよう要請し、組閣を求めた[16]

出典[編集]

  1. ^ نجيب ميقاتي، الموقع الرسمي - Najib Mikati, Official Website”. www.najib-mikati.net. 2024年1月3日閲覧。
  2. ^ a b 水口章. “中東情勢はオセロゲーム化するのか?”. 朝日新聞社. 2012年2月2日閲覧。
  3. ^ a b Najib Mikati”. Forbes. 2012年2月2日閲覧。
  4. ^ レバノン、「アルカイダがレバノンに入った根拠はない」”. 中国国際放送 (2012年12月29日). 2012年11月1日閲覧。
  5. ^ The World's Billionaires #446 Najib Mikati”. Forbes. 2012年2月2日閲覧。
  6. ^ レバノン各地でデモ、ヒズボラが推す首相就任に反対”. AFP通信. 2012年2月2日閲覧。
  7. ^ レバノン、組閣名簿発表 ヒズボラが勢力拡大”. U.S. FrontLine. 2012年2月2日閲覧。
  8. ^ ヒズボラ主導政権、レバノンで正式に発足”. 読売新聞. 2012年2月2日閲覧。
  9. ^ “シリア関与説、レバノン諜報部門トップ爆殺 揺れるモザイク国家”. 産経新聞. (2012年10月20日). https://web.archive.org/web/20121021081644/http://sankei.jp.msn.com/world/news/121020/mds12102020200001-n1.htm 2012年10月21日閲覧。 
  10. ^ “「シリア関与」と非難=爆殺事件で政権退陣要求-レバノン野党”. 時事ドットコム. 時事通信. (2012年10月20日). http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012102000238 2012年10月21日閲覧。 
  11. ^ “レバノン内閣が総辞職=シリア内戦の動揺波及”. 時事通信. (2013年3月23日). http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013032300079 2013年3月23日閲覧。 
  12. ^ “Lebanon: Najib Mikati named new prime minister-designate”. アルジャジーラ. (2021年7月26日). https://www.aljazeera.com/news/2021/7/26/mikati-appointed-lebanons-new-pm-designate 2021年7月27日閲覧。 
  13. ^ “レバノン 元首相が新たな首相候補に指名”. NHK NEWSWEB. NHK. (2021年7月27日). https://web.archive.org/web/20210727001135/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210727/k10013162151000.html 2021年7月27日閲覧。 
  14. ^ “レバノン 新内閣を発表 内閣総辞職から1年以上 混乱解消なるか”. NHK NEWSWEB. NHK. (2021年9月11日). https://web.archive.org/web/20210911003207/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210911/amp/k10013254251000.html 2021年9月11日閲覧。 
  15. ^ “Lebanese government goes into caretaker mode amid calls to expedite economic recovery plan”. Arab News. (2022年5月22日). https://www.arabnews.com/node/2086636/middle-east 2022年6月2日閲覧。 
  16. ^ “ミカティ氏に再び組閣要請 経済危機下で首相指名―レバノン”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年6月24日). https://web.archive.org/web/20220623210118/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022062400195&g=int 2022年6月24日閲覧。 
公職
先代
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サアド・ハリーリー
ハッサン・ディアブ
レバノンの旗 レバノン共和国首相
第63代:2005
第66代:2011 - 2014
第69代:2021 -
次代
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タンマーム・サラーム
現職