ナジブ・ミカティ

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ナジーブ・ミーカーティー
نجيب ميقاتي
Najib Mikati


現職
就任
2011年6月13日
大統領 ミシェル・スライマーン
前任者 サード・ハリーリー
任期
2005年4月15日 – 2005年7月19日
大統領 エミール・ラフード
前任者 オマール・カラミ
後任者 フアード・シニオラ

トリポリ選出国民議会議員
現職
就任
1998年12月4日

出生 1955年11月24日(56歳)
レバノンの旗 レバノントリポリ
政党 栄光運動英語版
(3月8日同盟英語版の構成政党の1つ)
信仰 イスラム教スンナ派

ナジーブ・ミーカーティーアラビア語: نجيب ميقاتي‎、: Najib Mikati1955年11月24日 - )は、レバノン政治家。2011年7月7日現在、同国首相[1]。2005年に3ヶ月間だけ務めて以来、2度目の登板である。1943年以降の全ての首相(暫定的に就任した二名を除き)の例に漏れず、スンニ派イスラム教徒である[2]フォーブス誌による2011年の世界長者番付において409位にランクインしており、その資産は28億ドルであると推定されている[3]

ミーカーティーはベイルート・アメリカン大学で学び経営学修士 (BMA)を取得した[4]。1982年のレバノン内戦中に兄とともに通信会社を設立し[3]、その後、ミーカーティーはアラブ諸国で著しい成長を遂げたミーカーティー・グループの創始者として成功を収めた。1998年に内閣から公共事業相に指名された後、2000年に国民議会へ故郷のトリポリから、同時に選出されたオマル・カラーミーよりも多数得票し選出された。公共事業相として彼はその評判を上げ、シリアの政治家達との強い繋がりからシリア大統領バッシャール・アル=アサドとの良好な関係を持った。

2000年に首相就任の機会があったが、彼は国民の選択はラフィーク・ハリーリーにあったとしてその機会を拒絶した。2004年には親シリアのエミール・ラフード大統領が6年の任期をもう3年間延長するための憲法改正案に反対を表明した。このことは自らが親シリアであるにもかかわらず、シリアの操り人形ではないことを示した。これが結果としてオマル・カラーミーの後任に指名されることとなった。カラミ自身は7週間に渡って選挙管理内閣組閣のために努力したが、結局辞任したためラフードによって2005年4月15日に任命。3ヶ月間務めた後は議員生活に戻った。

2011年1月25日にミシェル・スライマーンより組閣を命じられたが[2]、ヒズボラの後押しを受けているミーカーティーに対して、彼の首相就任に反対するスンニ派の多い地域では反ヒズボラを掲げるデモが起こっている[5]。その後、実際に内閣が組閣されたのは5か月後の6月13日になってからであり[6]、レバノン国民議会によって内閣が承認されて正式に2度目の首相就任となったのは7月7日のことである[1]

[編集] 出典

  1. ^ a b ヒズボラ主導政権、レバノンで正式に発足”. 読売新聞. 2012年2月2日閲覧。
  2. ^ a b 水口章. “中東情勢はオセロゲーム化するのか?”. 朝日新聞社. 2012年2月2日閲覧。
  3. ^ a b Najib Mikati”. Forbes. 2012年2月2日閲覧。
  4. ^ The World's Billionaires #446 Najib Mikati”. Forbes. 2012年2月2日閲覧。
  5. ^ レバノン各地でデモ、ヒズボラが推す首相就任に反対”. AFP通信. 2012年2月2日閲覧。
  6. ^ レバノン、組閣名簿発表 ヒズボラが勢力拡大”. U.S. FrontLine. 2012年2月2日閲覧。
官職
先代:
オマール・カラミ
サード・ハリーリー
レバノンの旗 レバノン共和国首相
第63代:2005
第66代:2011 -
次代:
フアード・シニオラ
(現職)
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