ナクシ・ジャハーン

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ナクシ・ジャハーンペルシア語نقشِ جهان Naqsh-i Jahān 、? - 1417年/18年)は、14世紀後半以降のチャガタイ・ウルスにおける、いわゆるモグーリスタン・ハン国の第7代君主(在位1415年/16年 - 1417年/18年[1])。ヒズル・ホージャの子のシャーヒ・ジャハーンの子[1]漢語史料での表記は納黒失只罕。

モグーリスタン・ハン国の有力者であるドゥグラト部のホダーイダードによってハンに擁立される[2]。中国の史料には永楽15年(1417年)にナクシ・ジャハーンの使節が朝貢のために明の宮廷を訪れ、馬市の開催を要請したことが記されている[3]

1417年頃にナクシ・ジャハーンは従弟のワイスによって殺害され、ホダーイダードの承認の下にワイスがハンに即位した[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 小松久男、梅村坦、宇山智彦、帯谷知可、堀川徹編『『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社, 2005年4月)、556-557頁
  2. ^ 間野「十五世紀初頭のモグーリスターン ヴァイス汗の時代」『東洋史研究』23巻1号、6頁
  3. ^ 『明史』巻332、列伝第220、別失八里
  4. ^ 間野「十五世紀初頭のモグーリスターン ヴァイス汗の時代」『東洋史研究』23巻1号、5-6頁

参考文献[編集]

  • 間野英二「十五世紀初頭のモグーリスターン ヴァイス汗の時代」『東洋史研究』23巻1号収録(東洋史研究会, 1964年6月)
先代
ムハンマド
モグーリスタン・ハン国のハン
1415年(1416年) - 1417年(1418年)
次代
ワイス