ナイトホークス (美術)

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Nighthawks by Edward Hopper 1942.jpg

ナイトホークス』(Nighthawks)は、深夜の商業地域の小食堂にいる人々を描いたエドワード・ホッパー1942年の絵である。キャンバスに油彩。84.1 センチメートル × 152.4 センチメートル。

完成から数ヶ月以内に、シカゴ美術館(Art Institute of Chicago)に3000ドルで売られ[1]、以降同館に所蔵されている。

絵に関して[編集]

絵に関するジョセフィーン・ホッパーの注[編集]

1924年の結婚の直後からエドワード・ホッパーと妻ジョセフィーン(Josephine)(ジョー(Jo))は、日記を付けていたが、彼は日記に鉛筆で、技法上の細目の正確な記述とともに、自分の絵のそれぞれのスケッチ素描を描くのが常であった。

ジョー・ホッパーはそのとき絵の主題が、ある程度、明らかにされる追加情報を付け加えるのが常であった。

『ナイトホークス』が扱われ始めているページの批評は、(エドワード・ホッパーの筆跡で)作品の意図された名前は実際は『ナイト・ホークス』(Night Hawks)であったこと、絵は1942年1月21日に完成したことを示す。

絵に関するジョーの手書きの注は、かなり詳しい細目を与えるが、それには、絵の喚起的な題名はカウンターの男のかぎ鼻への言及に由来したかもしれないという興味深い可能性をふくむ。

夜+安いレストランのまばゆい内部。

明るい物: サクラ材のカウンター+取り囲んでいるスツールの座部。 背後右の金属製タンクの光。 キャンバスの4分の3を横切る翡翠色のタイルの光り輝くすじ - 角でカーブするウィンドーのガラスの基部に。 明るい壁、にぶい黄色の ocre [原文のママ]右の厨房への出入扉。

カウンターの中に白い服(上着、キャップ帽)のたいへんな美貌のブロンドの少年。 娘 赤いブラウスで、褐色の髪の、サンドイッチを食べている。 男 夜更かしするひと(night hawk)(かぎ鼻)、黒っぽい上着、鉄灰色のハット帽、黒いバンド、青いシャツ(清潔な)、紙巻煙草をもつ。 もうひとりの人物 黒っぽい不吉な背中 - 左に。 あわい緑色がかった 外の明るい歩道。 向かいの黒っぽい赤煉瓦の家々。 レストランのてっぺんの看板、黒っぽい - フィリーズ(Phillies)5セントの葉巻。 葉巻の絵。 店の外 黒っぽい、緑。 注:店のなかの明るい天井の小片 外の通りの暗がりを背景に - ウィンドーの上端の広がりのへり。[2]

1942年1月、ジョーは自分の名前の好みを確認した。 エドワードの姉妹マリオン(Marion)宛ての手紙に彼女は書いた、「エドはとても素敵な絵を完成させたところです - 3人がいる夜のランチ・カウンター。ナイト・ホークス(Night Hawks)であればそれのすてきな名前になるでしょう。E. は鏡で2人の男の、わたしは娘のポーズをとりました。彼は1ヶ月半ほどそれにかかっていました。」[3]

描写[編集]

『ナイトホークス』に具体化されているかもしれない、あるいはされていないかもしれない主題は、あいまいであるが、しかし見る者はまた純粋に技法的な視点から絵を鑑賞することができる。

出発点として、ジョー・ホッパーの日記の書き込みがある。そのうえ、注意深く見る者は、絵のなかの遠近法、色および光の、普通でない使用に気づくであろう。

遠近法[編集]

ホッパーは、ニュー・ヨークの多くの直角の交差点よりもむしろ、鋭角の街角に位置する場面を描くことに決めた。 この選択は、ホッパーにとって普通でなくはなかったが、彼はこの種の角のほかの多くの場面を描いた(『August in the City』および『夜のオフィス』(1940年)参照)。 鋭角は、彼に、ほとんど正面の視点から物を見せる機会を与え、また、ぼんやりと見える通りの場面を顧客のむこうに見せることを許した。 ホッパーはしばしば、外面の一部が2枚のガラス越しに見ることが出来る場面を描いた(『Office in a Small City』(1953年)、『Railroad Sunset』(1929年)および『Cape Cod Morning』(1950年)参照)。 しかし『ナイトホークス』における小食堂の形は、ホッパーが選んだ角度(それはまた、歩道を通過する通行人の視点でもある)から見られたとき、この2枚めのガラス面が、絵のちょうど中心を満たすことをゆるす。 遠くのガラス板は、絵の中央ちかくで、偏菱形をつくるし、キャンバス全体の形をわずかに歪めながら思い起こさせ、動きの多くを枠づける。

背後のウィンドーは、顧客3人全員の背景として役立つが、しかし給仕の背景としては役立たない。 絵全体の形からの不一致は、もしそうでなければ明白であろう奇妙な対称を隠す。 ひとりで座っている客の頭は、枠-内-枠の正確な中心にある(これはまた絵全体の正確な中心である)。 彼らはカウンターの屈曲部をかこんで座るけれども、2人組の頭は、彼の頭のちょうど右方向にあり、それだから、もし水平線がキャンバスの上端、下端の正確に中間に引かれれば、それは3つの頭すべてを2分するであろう。 したがって絵における純粋な人間的な要素は、キャンバスの右下4分の1のなかに封じ込められている。

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ジョー・ホッパーの日記の書き込みが注目するように、絵の中で最も明るい点は、内部を照らす隠された蛍光の近くの「明るい天井の小片」である。 天井は、下の客たちの間で展開しているかもしれないどの物語とも限られた関連性があることは、明白である。 これが、作動中のホッパーのリアリズムである。

小食堂の外では、夜では当然のことながら、鈍い色が支配する。 中では、カウンターと男たちの上着も鈍い。 内部全体で明るく色づけられた2点は、給仕が着る白い服と女性客の赤いブラウスである。 いやそれどころか、彼女の赤いブラウスと口紅は、作品全体で唯一の赤の使用で、彼女を絵のなかのほかのすべての物から距離を置かせている。

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ホッパーは、光が触れる物にたいする光の効果をとらえることに終生、関心を抱いていた。 この関心は、ニュー・イングランドの太陽に照らされた家や灯台の多くのキャンバスまで広がったが、しかし彼は、窓や戸口、ポーチからこぼれる、人為的な、人造の光の夜間の効果によって好奇心を同じようにそそられ、『Drug Store』(1927年)、『Gas』(1940年)、『Rooms for Tourists』(1945年)および『Summer Evening』(1947年)のような絵においていくたびもその物を取り扱った。

しかしながら、『ナイトホークス』は、十中八九、ホッパーの、人造光の夜間の効果をとらえる、たいへん野心的な試みであった。 ひとつには、小食堂の板ガラスのウィンドーは、彼のほかのどの絵におけるよりも、断然多くの光を歩道と通りの向うがわの赤褐色砂岩にこぼれさせている。 なおまた、この内部の光は、2つ以上の白熱電球から発せられ、その結果、複数の影が投げられ、幾つかの点は、ひとつの角度から照らされることの結果としてほかの点よりも明るい。 小食堂のウィンドーの上の枠によって作られる影の線が、通りを横切って、絵の上端にむけてはっきりと見える。 これらのウィンドー、そしてそれにそれらの下のも、見えない街灯によって一部、照らされているが、街灯は光と影の独特の混合を投じる。 最終音として、明るい内部の光は、小食堂のなかの表面の一部を反射的にしている。 これは、背後のウィンドーの右端の場合にきわめて明らかで、これは内部の壁の垂直の黄色い帯を映しているが、しかし小食堂に居る人の3人の、カウンターの、よりかすかな反射像を見つけることができる。 もし昼間であれば、これらの反射像のどれもが見えないであろう。

霊感であるかもしれないもの[編集]

ホッパーの伝記作者ゲール・レヴィン(Gail Levin)は、ホッパーはフィンセント・ファン・ゴッホの不吉な『夜のカフェ』によって霊感を受けたかもしれないと推測するが、[4]これは1942年1月にニュー・ヨークのある画廊で展示された。 光づかいと主題の類似性はこれを可能にする。 ホッパーがこの展示を見ることが出来なかったということはまずなさそうであるのは確実であるし、レヴィンが注目するように、絵はホッパー自身の作品とともに2回にわたって展示されていた。 これ以外に、『夜のカフェ』が『ナイトホークス』に影響を及ぼしたという証拠は無い。 (ホッパーがその物語を賞賛したという事実のほかは)証拠は全くないけれども、 レヴィンは、彼はアーネスト・ヘミングウェーの1927年の短編小説「殺し屋」(The Killers)によって霊感を受けたかもしれないと示唆した。[4]

レストランの位置を検索して[編集]

場面は、マンハッタンのホッパーの自宅の近隣のグリニッジ・ヴィレッジの小食堂(その後、取り壊された)によって霊感を与えられたとされていた。 ホッパー自身は、絵は「2つの通りが交わるグリニッジ・アヴェニュー(Greenwich Avenue)のレストランに示唆された」と言った。 そのうえ、彼は「わたしは場面をおおはばに単純化し、レストランをより大きくした」と注した。[5]

この言及が、ホッパーの熱狂的愛好者にモデルとなった小食堂の位置をさがすことに従事させてきた。 この探索の霊感は、これらの探索者のひとりのブログに要約されている: 「わたしは、ナイトホークスの小食堂が現実の食堂であって、画家の想像のなかで食品雑貨店、ハンバーガー屋、パン屋をすべて急ごしらえした、まったくの合成ではないという考えを忘れることはきわめて難しいと思っている。」[6]

以前の位置とたいてい関連づけられた地点は、ワシントン・スクエア(Washington Square)のホッパーの工房からほぼ7ブロック西の、グリニッジ・アヴェニュー(Greenwich Avenue)の7番街南(Seventh Avenue South)と西11丁目(West 11th Street)の交差点の、マルリー・スクエア(Mulry Square)として知られる、今は空き地である。 しかしながら、ブロガーであるジェレミア・モス(Jeremiah Moss)による『ニュー・ヨーク・タイムズ』の記事によれば、ガス・ステーションが1930年代から1970年代までその区画を占めていたから、ここは、絵を霊感によって生み出した小食堂の位置であるはずがない。[7]

モスは、「いつか1930年代後半と1950年代前半とのあいだに、新たな小食堂がマルリー・スクエアの近くに現われた」ことを示す、1950年代の市の地図帳のなかの土地利用地図を見出すことができた。 具体的に言えば、小食堂は、ガス・ステーションのすぐ右方向に、「北の空き地にではなくて、ペリー・ストリート(Perry Street)が斜めになる南側に」位置した。 この地図は『タイムズ』の記事には複写されていないが、しかしモスのブログには示されている。

グリニッジ・ヴィレッジのあちら側からこの土地に向かって北西を向いている、レストランの想像上の位置のこの同時代の写真は、もし通りのこちら側から眺めれば、 - 小食堂の全くの非存在をのぞけば - ホッパーの場面によく似ているであろう位置を示す。[1] 市の地図上で同一視された小食堂は、ガス・ステーションの右方向に、3つのアーチのある、より小さな建物に見つけるであろう。 もしそういう小食堂があれば、それは幅が狭く、奥行きが深いであろうし、どうやら仕切り席があるであろうし、絵の小食堂とはあまり似てはいないであろう。

モスは、ホッパーの言うとおりを信じるべきであるという結論に至った: 絵は、実生活のレストランによって「示唆された」にすぎないし、彼は「場面をおおはばに単純化した」し、彼は「レストランをより大きくした」。 つまり、ホッパーが創造したものと同一の、唯一の現実生活の場面は十中八九ないであろうし、たとえそれが存在したとしても、正確な位置をピンで刺し示すだけの証拠はもはや無い。 モスは結論する、「究極の真実は苦々しくも、手の届かないところにあるままである。」[6]

大衆文化への影響[編集]

広く認識されたので、『ナイトホークス』の小食堂の場面は、無数の賛辞とパロディーのモデルとして役立ってきた。

絵画と彫刻[編集]

『ナイトホークス』に言及あるいは反応する作品を制作した芸術家は多い。

初期の例は、ジョージ・シーガルの彫刻『The Diner』(1964年 - 1966年)であるが、これは、白漆喰の人物が付け加えられた、本物の小食堂の諸部品で作られたが、これは題材のみならず寂寥と疎外の感覚において『ナイトホークス』に似る。

シカゴ・イマジスト(Chicago Imagist)のひとり、ロジャー・ブラウン(Roger Brown)は、絵『Puerto Rican Wedding』(1969年)、様式化された夜間の通りの場面に角のカフェのなかの光景をふくんだ。

ホッパーは、1960年代後半と1970年代前半のフォトリアリスト(Photorealist)らに影響を及ぼしたが、それらには、さまざまの小食堂の絵で『ナイトホークス』を呼び起こしたラルフ・ゴーイングズ(Ralph Goings)をもふくむ。

リチャード・エステス(Richard Estes)は、『People's Flowers』(1971年)で曲がり角の店を描いたが、しかしそれは昼間で、店の大きなウィンドーには通りと空が映っている。[8]

より直接の、視覚的引用は、1970年代に現われ始めた。

ゴットフリート・ヘルンヴァインの絵『Boulevard of Broken Dreams』(1984年)は、3人の顧客をアメリカのポップ・カルチャーのアイコンであるハンフリー・ボガートマリリン・モンローおよびジェームス・ディーンと、店員をエルヴィス・プレスリーと置き換える。[9]

ホッパー学者ゲール・レヴィンによれば、ヘルンヴァインは『ナイトホークス』の荒涼とした気分を1950年代のアメリカ映画と、そして「その10年間の最もこよなく愛される名士らの悲劇的運命」と連結した。[10]

マーク・コスタビ(Mark Kostabi)によって描かれたいくつかのパロディーのひとつ『グリニッジ・アヴェニュー』(Greenwich Avenue)(1986年)は、絵の寸法を大きくし、蛍光色を使った。 人物像は赤く、顔が無い。

レッド・グルームス(Red Grooms)による1980年のパロディー『Nighthawks Revisited』は、通りの場面を歩行者、ネコおよびごみで散らかしている。[11]

2005年のバンクシー(Banksy)のパロディーでは、シャツを着ていない、英国国旗のボクサー・ショーツをはいた、太ったフーリガンが酔って、小食堂の外に立っているが、見たところでは小食堂のウィンドーを近くの椅子で割ったらしい。[12]

文学[編集]

幾人かの作家は、どのように『ナイトホークス』の顧客らが夜間、小食堂にいるようになったか、あるいは今後どうなるか探求してきた。 ヴォルフ・ヴォンドラチェク(Wolf Wondratschek)の詩「Nighthawks: After Edward Hopper's Painting」は、男と女が疎遠になった2人組として小食堂にともに座っているのを想像する。 「きっと彼女は彼宛てに手紙を書いたと思う 何が書いてあったにせよ彼はもはや彼女の手紙を二回読んだ男ではない。」[13] ジョイス・キャロル・オーツは、詩「Edward Hopper's Nighthawks, 1942」において、その絵のなかの人物の内的独白を書いた。[14]デア・シュピーゲル』の特別号には、絵に基づく5つの別々のプロットを組み上げる、5つの短い戯曲化をふくむ。 シナリオ作家クリストフ・シュリンゲンズィーフによる1つは、場面をチェーンソーによる大虐殺に変える。 エリック・ジェンドレセン(Erik Jendresen)も、この絵によって霊感を受けた短編小説を書いた。[15]

映画[編集]

ホッパーは熱烈な映画好きであったし、批評家たちは彼の絵の、映画のスチールとの類似性に注目している。 彼の絵のいくつかは、『暗黒街の顔役』や『犯罪王リコ』(Little Caesar)のような1930年代前半のギャングスター映画を思い出させるし、小食堂の顧客の衣服につながりを見ることができる。 『ナイトホークス』と、『Night Shadows』(1921年)のような諸作品は、フィルム・ノワールの様子を先取りするが、その発展にはホッパーが影響したかもしれない。[16][17]

ホッパーは、ミュージカル映画『ペニーズ・フロム・ヘブン』(1981年)に影響を及ぼした者として認められていたが、その映画で監督ケン・アダムズ(Ken Adams)は『ナイトホークス』をセットとして再創造した。[18] 監督ヴィム・ヴェンダースは、『ナイトホークス』を、『The End of Violence』(1997年)における映画-内-映画のためのセットとして再創造した。 ヴェンダースは、ホッパーの絵は、「いつでもカメラがどこにあるかわかる」から、映画制作者に訴求することを示唆した。[19]摩天楼を夢みて』(1992年)で、2人の登場人物は、自分たちの孤独と絶望を例証する場面でこの小食堂に似たカフェを訪れる。[20]ハードキャンディ』(2005年)は、ある場面を「ナイトホークス小食堂」("Nighthawks Diner")に設定することによって恩義を感謝したが、そこである登場人物は「Nighthawks」と印刷されたティー=シャツを購入する。[21] この絵はまた、監督ラルフ・バクシによるアニメーション映画『Heavy Traffic』(1973年)のある場面のための背景として短く用いられた。

『ナイトホークス』はまた、『ブレードランナー』の「黒い未来」("future noir")の様子に影響を及ぼした。 監督リドリー・スコットは言った、「わたしが追い求めている様子と気分を例証するためにプロダクション・チームの鼻先にこの絵の複製をいつも振り動かしていた」。[22] アレックス・プロヤスの『ダークシティ』の批評で、ロジャー・エバート(Roger Ebert)は、この映画の、「店のウィンドーは、エドワード・ホッパーの『ナイトホークス』になにかあるものを負うている」ことに注目した。

音楽[編集]

トム・ウェイツのアルバム『娼婦たちの晩餐〜ライヴ』(Nighthawks at the Diner)(1975年)は、『ナイトホークス』によって霊感を受けた詞を特集する。[23]

ヴォイス・オヴ・ビーハイヴ(Voice of the Beehive)のアルバム『Honey Lingers』からの歌「Monsters and Angels」のヴィデオは、バンドのメンバーが接客係と顧客に扮して、『ナイトホークス』の小食堂を思い出させる小食堂にセットが設定されている。 バンドのウェブサイトによれば、彼らは「エドワード・ホッパーのクラシックな絵『ナイトホークス』を視覚的な案内者として進んだ。 その結果は、芸術的、おしゃれなヴィデオになったが、そのためにトレーシー(Tracey)は大好きなベビードールを着ることになったので彼女はとくべつうれしかった。」[24]

テレヴィジョン[編集]

テレヴィジョン・シリーズ『The Tick』、『Dead Like Me』、[25]ザ・シンプソンズ』、『ロッコーのモダンライフ』、[26]Oops!フェアリーペアレンツ』、[27]マッドメン』および『CSI:科学捜査班[28]は、自分らの登場人物を『ナイトホークス』の諸版に置いている。

ザット'70sショー』「Drive In」の回で、ある場面は、レッド・フォアマンとキティ・フォアマンが「Phillies」という小食堂に座っていて、キティが今は覚えがあるわと述べて、終わる。 カメラがズーム・アウトすると、ともに座っている男と女の、スーツと赤い服をそれぞれ着ているレッドとキティの『ナイトホークス』が現われる。[29]

パロディー[編集]

『ナイトホークス』は大衆文化において広く言及され、パロディー化されてきた。 そのさまざまな版は、コミック本や広告にのみならず、ポスター、ティー=シャツ、挨拶カードにも現われている。[30] 典型的には、これらのパロディーは - 人気のあるポスターとなったヘルンヴァインの『Boulevard of Broken Dreams』のように - 小食堂と大いに認識可能である斜めの構図を保持するが、しかし顧客と店員を他の登場人物らと置き換える: 動物、サンタ・クロースとそのトナカイ、あるいは『タンタンの冒険旅行』あるいは『ピーナッツ (漫画)』の配役。[31]

『ナイトホークス』のひとつのパロディーは、それ自身のパロディーを霊感で生み出させた。 マイケル・ベダード(Michael Bedard)の絵『Window Shopping』(1989年)は、シッティング・ダック(Sitting Ducks)シリーズのポスターの一部であるが、小食堂の人物らをダックと置き換え、外からダックらをじっと見つめるクロコダイルを見せる。 ポヴェリーノ・ペピーノ(Poverino Peppino)は『Boulevard of Broken Ducks』(1993年)においてこのイメージをパロディー化し、そこでは満足したクロコダイルがカウンターの上にいて、外では雨の中、4匹のアヒルが立っている。[32]

印刷媒体、その他[編集]

『ナイトホークス』によって霊感を受けた小食堂に現われているコミック・ブックの登場人物には、劇画(graphic novel)『Marvels』のアレックス・ロス(Alex Ross)のコマのヒューマントーチバットマンの長官ジェームズ・ゴードン(『Batman: Year One』で、ゴードンは小食堂に現われ、その小食堂の名前は「ホッパー」(HOPPER)である。)、『スパイダー・エルサレム』(Spider Jerusalem)、『X-ファクター』(X-Factor)および『ティック』(The Tick)である。[33]

所有の歴史[編集]

1942年晩冬にキャンバスを完成させるや、ホッパーは、レーン(Rehn)のところに置いたが、そこは普通は彼の絵が売りに置かれる画廊であった。 それは約1か月間、そこにあった。 聖パトリックの祭日に、エドワードとジョー・ホッパーは、近代美術館(Museum of Modern Art)でのアンリ・ルソーの絵の展覧会に出席したが、それはシカゴ美術館(Art Institute of Chicago)の監督ダニエル・キャットン・リッチ(Daniel Catton Rich)によって組織されていた。 リッチは、近代美術館の監督アルフレッド・ H・バー・ジュニア(Alfred H. Barr, Jr.)とともに、出席していた。 バーは、『Gas』のことを熱狂的に話したが、これはホッパーが1年前に描いていたし、「ジョーは彼に、『ナイトホークス』を見にレーンのところに行かなくてはなりませんと語った。 結局のところ、行き、『ナイトホークス』を「ウィンスロー・ホーマーの作品なみに」すばらしいと公言し、まもなくシカゴのために購入の手筈を取ったのは、リッチであった。[34] 売値は3,000ドルであった。 以来、絵はシカゴ美術館のコレクションのままである。

参照[編集]

  1. ^ The sale was recorded by Josephine Hopper as follows, in volume II, p. 95 of her and Edward's journal of his art: "May 13, '42: Chicago Art Institute - 3,000 + return of Compartment C in exchange as part payment. 1,000 - 1/3 = 2,000." See Deborah Lyons, Edward Hopper: A Journal of His Work. New York: Whitney Museum of American Art, 1997, p. 63.
  2. ^ See Deborah Lyons, Edward Hopper: A Journal of His Work. New York: Whitney Museum of American Art, 1997, p. 63
  3. ^ Jo Hopper, letter to Marion Hopper, January 22, 1942. Quoted in Gail Levin, Edward Hopper: An Intimate Biography. New York: Rizzoli, 2007, p. 349.
  4. ^ a b Gail Levin, Edward Hopper: An Intimate Biography. New York: Rizzoli, 2007, p. 350.
  5. ^ Hopper, interview with Katharine Kuh, in The Artist's Voice: Talks with Seventeen Modern Artists. 1962. Reprinted, New York: Da Capo Press, 2000, p. 134.
  6. ^ a b Jeremiah Moss (2010年6月10日). “Jeremiah's Vanishing New York: Finding Nighthawks, Coda”. Vanishingnewyork.blogspot.com. 2013年3月4日閲覧。
  7. ^ Moss, Jeremiah. "Nighthawks State of Mind," The New York Times, Monday, July 5, 2010.
  8. ^ Levin, Gail (1995), “Edward Hopper: His Legacy for Artists”, in Lyons, Deborah; Weinberg, Adam D., Edward Hopper and the American Imagination, New York: W. W. Norton, pp. 109–115, ISBN 0-393-31329-8 
  9. ^ Boulevard of Broken Dreams II
  10. ^ Levin, 109–110.
  11. ^ Levin, 116–123.
  12. ^ Jury, Louise (October 14, 2005), “Rats to the Arts Establishment”, The Independent, http://news.independent.co.uk/uk/this_britain/article319534.ece 
  13. ^ Gemünden, 2–5, 15; quotation translated from the German by Gemünden.
  14. ^ Updike, John (2005), Still Looking: Essays on American Art, New York: Knopf, p. 181, ISBN 1-4000-4418-9 The Oates poem appears in the anthology Hirsch, Edward, ed. (1994), Transforming Vision: Writers on Art, Chicago, Illinois: Art Institute of Chicago, ISBN 0-8212-2126-4 
  15. ^ Gemünden, 5–6.
  16. ^ Gemünden, Gerd (1998), Framed Vsions: Popular Culture, Americanization, and the Contemporary German and Austrian Imagination, Ann Arbor: University of Michigan Press, pp. 9–12, ISBN 0-472-10947-2 
  17. ^ Doss, Erika (1983), “Edward Hopper, Nighthawks, and Film Noir” (PDF), Post Script: Essays in Film and the Humanities 2 (2): 14–36, http://www.colorado.edu/finearts/erikadoss/articles/postscriptessay.pdf 
  18. ^ Doss, 36.
  19. ^ Berman, Avis (2007), “Hopper”, Smithsonian 38 (4): 4, http://www.smithsonianmagazine.com/issues/2007/july/hopper.php?page=4 
  20. ^ Arouet, Carole (2001), “Glengarry Glen Ross ou l’autopsie de l’image modèle de l’économie américaine” (PDF), La Voix du Regard (14), http://www.voixduregard.org/14-Aurouet.pdf 
  21. ^ Chambers, Bill, “Hard Candy (2006), The King (2006)”, Film Freak Central, http://filmfreakcentral.net/dvdreviews/hardcandyking.htm 2007年8月5日閲覧。 
  22. ^ Sammon, Paul M. (1996), Future Noir: the Making of Blade Runner, New York: HarperPrism, p. 74, ISBN 0-06-105314-7 
  23. ^ Thiesen, 10; Reynolds, E25.
  24. ^ The Beehive – Voice of the Beehive Online – Biography”. 2010年8月20日閲覧。
  25. ^ Dead Like Me episode 12, "Nighthawks".
  26. ^ Rocko's Modern Life episode 12a, "Who's For Dinner".
  27. ^ The Fairly OddParents season 5 episode 5a, "The Masked Magician".
  28. ^ Theisen, Gordon (2006), Staying Up Much Too Late: Edward Hopper's Nighthawks and the Dark Side of the American Psyche, New York: Thomas Dunne Books, p. 10, ISBN 0-312-33342-0 
  29. ^ Reynolds, E25. The episode is #108, "Drive In".
  30. ^ Levin, 125–126. Reynolds, Christopher (September 23, 2006), “Lives of a Diner”, Los Angeles Times: E25 
  31. ^ Levin, 125–126; Thiesen, 10.
  32. ^ Müller, Beate (1997), “Introduction”, Parody: Dimensions and Perspectives, Rodopi, ISBN 904200181X 
  33. ^ Marvels #1, Batman: Year One #3, Transmetropolitan #32, X-Factor vol. 3 #5, and The Tick #1
  34. ^ Gail Levin, Edward Hopper: An Intimate Biography. New York: Rizzoli, 2007, pp. 351-2, citing Jo Hopper's diary entry for March 17, 1942.

伝記[編集]

外部リンク[編集]