ナイジェル・グレズリー

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サー・ハーバート・ナイジェル・グレズリー(Sir Herbert Nigel Gresley, 1876年6月19日1941年4月5日[1])は、イギリスの著名な蒸気機関車技術者であり、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) の機械技師長 (Chief Mechanical Engineer, CME) まで昇りつめた。LNERクラスA1LNERクラスA44-6-2 パシフィックを含む、イギリスで最も有名な機関車の設計者である。A1クラスのフライング・スコッツマンは旅客列車で公式に時速 100 マイルを記録した蒸気機関車であり、A4クラスの4468 LNERクラスA4蒸気機関車4468 マラードは現在でも蒸気機関車による世界最高速度のタイトルを保持している。

グレズリーの設計した機関車は審美的にも機械的にも優雅と評価されている。グレズリーが発明した二組のワルシャート式弁装置だけを用いた三気筒方式、グレズリー式連動弁装置は、ワルシャート弁装置を三組用いたそれまでのものよりも安価に滑らかな走行と牽引力を達成できた。

生涯[編集]

グレズリーはエディンバラでうまれ、ダービシャーネザーシール (Netherseal) で育った。サセックスの学校とマールボロカレッジ (Marlborough College) で学んだ後、グレズリーはロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道 (London and North Western Railway, LNWR) のクルー工場 (Crewe works) で見習いとして過ごしたのち、ランカシャー・アンド・ヨークシャー鉄道 (en:Lancashire and Yorkshire Railway, L&YR) のホーウィッチ (Horwich) でジョン・アスピナール (John Aspinall) に師事した。L&YR の下級職をいくつか経て、1901 年には客貨車局の屋外助手に、1902 年にはニュートン・ヒース (Newton Heath) 庫の副工場長、更に翌年には工場長となった。

矢継ぎ早の昇進はその後も続き、1904年には L&YR 客貨車副局長となった。翌年、グレズリーはグレート・ノーザン鉄道 (GNR) に客貨車局長として移籍し、1911年10月1日にはヘンリー・イヴァット (Henry A. Ivatt) の跡を継いで GNR の機械技師長となった。1923年のグループ化の際、グレズリーは新規に結成された LNER の機械技師長に就任し (元々は年長のジョン・ロビンソン (John G. Robinson) にこのポストへの就任が打診されたが、ロビンソンは辞退し代わりにずっと年少のグレズリーを推薦した)、1936年にはエドワード8世からナイトの称号を授与され、マンチェスター大学からは名誉理学博士号が贈られた。

1936年、グレズリーはマンチェスター-シェフィールド間のウッドヘッド・ライン電化計画用に直流1500ボルトの電機機関車を設計したが、電化計画は第二次世界大戦のため1950年代まで延期された。

短期間病床に臥した後、グレズリーは1941年4月5日に没し、ダービシャーのネザーシールに埋葬された。

後継 CME はエドワード・トンプソン (Edward Thompson) である。

発明[編集]

グレズリーが設計した機関車[編集]

フライング・スコッツマン
ヨークの国立鉄道博物館に展示されているマラード


参照情報[編集]

  1. ^ biography 2007年11月15日確認

外部リンク[編集]