ドロテア・ゾフィア・フォン・プファルツ=ノイブルク

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ドロテア・ゾフィー・フォン・プファルツ=ノイブルク

ドロテア・ゾフィー・フォン・プファルツ=ノイブルク(Dorothea Sophie von Pfalz-Neuburg, 1670年7月5日 - 1748年9月15日)は、パルマ公子オドアルド2世・ファルネーゼ妃、後にパルマ公フランチェスコ・ファルネーゼ妃。イタリア語ドロテア・ソフィア・ディ・ネウブルグ(Dorotea Sofia di Neuburg)。プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世の娘エリーザベト・アマーリアの6女として生まれた。兄にヨハン・ヴィルヘルムカール3世フィリップ、姉に神聖ローマ皇帝レオポルト1世エレオノーレ・マグダレーネポルトガルペドロ2世マリア・ソフィアスペインカルロス2世マリア・アナがいる。

1690年5月17日にパルマ公ラヌッチョ2世の長男オドアルドと結婚、2子を生んだ。

1693年9月6日、長男アレッサンドロの死から1ヶ月後にオドアルドが亡くなった。ドロテア・ゾフィアは1695年12月8日、オドアルドの異母弟フランチェスコと再婚した。1694年にフランチェスコはパルマ公となった。

2度目の結婚では子供が生まれなかった。1727年にフランチェスコは亡くなり、兄弟で生き残っていたアントニオが継いだ。ところが、1731年にアントニオも子なくして死に、パルマ公位はエリザベッタの生んだ16歳のカルロ(後のスペイン王カルロス3世)が継いだ。

ドロテア・ゾフィアは、ポーランド継承戦争の結果オーストリア・ハプスブルク家へとパルマ公国が割譲される1735年まで摂政を務めた。