ディディエ・ドログバ

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ディディエ・ドログバ Football pictogram.svg
Didier Drogba, ORANGE, Hotel Sofitel, Abidjan-Plateau, Ivory Coast, 11.06.'08 (9994).jpg
名前
本名 ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー
愛称 ティト
ラテン文字 Didier Yves Drogba Tébily
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
フランスの旗 フランス
生年月日 1978年3月11日(33歳)
出身地 アビジャン
身長 189cm
体重 81kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 チェルシー
ポジション FW
背番号 11
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1998-2002
2002-2003
2003-2004
2004-
フランスの旗 ル・マン
フランスの旗 ギャンガン
フランスの旗 マルセイユ
イングランドの旗 チェルシー
64 (12)
45 (20)
35 (19)
217 (98)
代表歴 2
2002- アイルランドの旗 アイルランド 79 (52)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年1月13日現在。
2. 2012年1月22日現在。
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シュートを打つドログバ

ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリーDidier Yves Drogba Tébily1978年3月11日 - )は、コートジボワールアビジャン出身の同国代表プレミアリーグチェルシー所属のサッカー選手。ポジションはFW。愛称はティトTito)。

2度のアフリカ年間最優秀選手、2度のプレミアリーグ得点王など数々の栄誉を手にしたストライカー。コートジボワール代表の現主将であり、最多得点記録の保持者でもある。

目次

[編集] 名前の発音について

彼の名前の「gba」は、「b」でも「v」でもない音を発音する。この子音は、西アフリカの言語にある独特な子音である(有声両唇軟口蓋破裂音)。「gba」を「グバ」と表記するのは英語ベースで、「バ」と表記するほうが原語ベースである。したがって、「ディディエ・ドロバ」と表記したほうが原語に近い(ただしカタカナで表記すること自体に限界がある)。

[編集] 経歴

5歳の頃、生まれ故郷のコートジボワールを離れフランスに移り、サッカー選手であった叔父の元で育てられる。18歳までパリ郊外の地元チームに所属、19歳でル・マンUCとプロ契約しキャリアをスタートさせる。

ル・マンでは怪我もあり満足な活躍ができず、2001-2002シーズン途中からギャンガンに移籍、2002-2003シーズンには17得点を挙げると注目され、マルセイユに5年契約で移籍。素早い順応を見せた彼は、リーグでは18得点を挙げ、2003/04シーズンのリーグ・アン最優秀選手に選出された。UEFAカップでも獅子奮迅の活躍、準優勝の原動力になり得点王も獲得した。チャンピオンズリーグで対戦した当時ポルトモウリーニョ監督の目に留まり同監督とともにチェルシーへ、同クラブ史上最高額の移籍金47億円で移籍した。

幼いころフランスへ移住していたため、代表ではフランス人として、フランス代表でプレーすることも可能であったが、母国であるコートジボワール代表を選択。アーセナル所属のDFコロ・トゥーレと共に母国をドイツW杯初出場に導く原動力となった。

2006-2007シーズン、アンドリー・シェフチェンコの加入により出番が少なくなると思われていたが、ツートップで使われる形が多くなることもありチェルシー加入3シーズン目で本領発揮、開幕から素晴らしい活躍を見せアフリカ年間最優秀選手に選ばれる。最終的に公式戦59試合出場33得点を挙げる。リーグでは20得点を挙げてFAプレミアリーグ得点王に輝いた。

2008-2009シーズンに就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督のもとでは、怪我などによりベンチに回る事が多く不発に終わったが、2009年2月から就任したフース・ヒディンク監督のもとでは、これまでにはなかったニコラ・アネルカとの2トップを組み、08/09UEFAチャンピオンズリーグユヴェントス戦では第1戦、第2戦ともにゴールを決めるなど、怪我からの復調を印象付ける活躍を披露し、改めてエースとしての存在感を見せつけた。2009年5月6日にスタンフォード・ブリッジにおいて開催されたUEFAチャンピオンズリーグの準決勝セカンド・レグ、vsバルセロナ戦において主審を務めたトム・ヘニンク・エブレベのレフェリングに対して試合後に激しい批判を行い、後に行動が不適切であったとして謝罪した。また、以前から慕っていた元チェルシー監督のジョゼ・モウリーニョを追ってインテルに移籍するという噂がメディアの間で度々出ていたが本人がこれを否定、更にはチェルシーでの契約延長が決まった。

2009-2010シーズンのアンチェロッティ監督のもとでは前シーズン得点王のニコラ・アネルカと2トップを組み、ゴールを量産。自身は「相手にとって最も怖いFWコンビになる」とコメントしている。2009年10月10日のマラウイ戦ではコートジボワールの2大会連続W杯出場を決める同点ゴールを挙げた。そして2010年5月9日、勝てば自力でのチェルシーの優勝が決まる最終節のウィガン戦にてハットトリックを達成するなどチームを勝利に導き、リーグ通算29点を挙げ得点王も獲得した。さらにチームは総得点103点という記録を叩き出し、プレミアリーグのシーズン最多ゴール記録を大幅に更新している。

[編集] その他

[編集] 個人成績

[編集] 国内大会

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
フランス リーグ戦 リーグ杯 フランス杯 期間通算
1998-99 ル・マン リーグ・ドゥ 2 0 0 0 0 0 2 0
1999-00 ル・マン リーグ・ドゥ 30 7 2 0 0 0 32 7
2000-01 ル・マン リーグ・ドゥ 11 0 0 0 3 1 14 1
2001-02 ル・マン リーグ・ドゥ 21 5 2 1 1 1 24 7
2001-02 ギャンガン リーグ・アン 11 3 0 0 0 0 11 3
2002-03 ギャンガン リーグ・アン 34 17 2 0 3 4 39 21
2003-04 マルセイユ 11 リーグ・アン 35 19 2 1 2 1 39 21
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
2004-05 チェルシー 15 プレミア 26 10 4 1 2 0 32 11
2005-06 チェルシー 15 プレミア 29 12 1 0 3 1 33 13
2006-07 チェルシー 11 プレミア 36 20 5 4 6 3 47 27
2007-08 チェルシー 11 プレミア 19 8 1 1 1 0 21 9
2008-09 チェルシー 11 プレミア 24 5 2 1 6 3 32 9
2009-10 チェルシー 11 プレミア 32 29 2 2 4 3 38 34
2010-11 チェルシー 11 プレミア 31 11 0 0 2 0 33 11
通算 フランス リーグ・アン 80 39 4 1 5 5 89 45
フランス リーグ・ドゥ 64 12 4 1 4 2 72 15
イングランド プレミア 197 95 15 9 24 10 236 114
総通算 341 146 23 11 33 17 397 174

[編集] 国際大会

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA CL
2003-04 マルセイユ 11 5
UEFA UEFA EL
2003-04 マルセイユ 11 6
UEFA UEFA CL
2004-05 チェルシー 15 9 5
2005-06 チェルシー 15 7 1
2006-07 チェルシー 11 12 6
2007-08 チェルシー 11 11 6
2008-09 チェルシー 11 10 5
2009-10 チェルシー 11 5 3
2010-11 チェルシー 11 7 2
通算 UEFA 39

[編集] 獲得タイトル

クラブ
個人

[編集] 脚注

  1. ^ a b Drogba plays with cast on his arm”. BBC (2010年6月15日). 2011年11月5日閲覧。
  2. ^ ドログバがコートジボワールで和平のまとめ役にGoal.com 2011年9月6日

[編集] 外部リンク


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