ドルースキ (水雷艇)

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「ドルースキ」
艦歴
発注 フランス、シュナイダー社シャロン=シュル=ソーヌ造船所
起工 1907年
進水 同年8月
就役 1908年1月
退役
その後 1944年9月にロシア軍に鹵獲。1945年7月に返還。
除籍 1954年
クラス名 ドルースキ級水雷艇
性能諸元
排水量 常備:97トン
全長 38.0m
水線長 -m
全幅 4.4m
吃水 2.6m
機関 ノルマン式石炭専焼水管缶2基
+直立型レシプロ機関1基1軸推進
最大出力 1,950hp
最大速力 26.0ノット
航続距離 16ノット/500海里(石炭:11トン)
乗員 23~30名
兵装 オチキス 4.7cm(43口径)単装機砲3基
45cm水上魚雷発射管単装3基

ドルースキ (Дръзки) はブルガリア海軍のドルースキ級水雷艇の1隻。

艦歴[編集]

「ドルースキ」は、フランスで建造されたブルガリア海軍の水雷艇6隻の内の1隻である。フランスのソーヌ川沿いのシャロン=シュル=ソーヌ造船所で建造された後にブルガリアに運ばれ、ヴァルナで竣工した。「ドルースキ」は1907年8月23日に進水し、1908年1月5日に就役した。

1912年から1913年の第1次バルカン戦争黒海で活動。1912年11月21から22日の夜、ヴァルナ沖でブルガリアの水雷艇4隻(「ドルースキ」、「Lettasci」、「Smeli」、「Stogi」)はオスマン帝国海軍防護巡洋艦ハミディイェ」を攻撃[1]。この攻撃で「ハミディイェ」に魚雷1発が命中した[1]。命中した魚雷は「ドルースキ」のものであるとも[2]、「Stogi」のものであるとも[1]される。

第一次世界大戦後、哨戒艇に艦種変更された。ブルガリアが第二次世界大戦に参戦すると、「ドルースキ」は哨戒任務に従事した。1942年10月15日にヴァルナ港で弾薬庫の爆発により沈没したが、すぐに修理された。1944年に「ドルースキ」は標的艦となり、1950年代まで使用された。

1957年に「ドルースキ」を記念艦として保存することが決定されたが、その時既に「ドルースキ」は一部解体されていた。そこで、同型艦の「ストローギ」に「ドルースキ」の砲や煙突などを移設し、記念艦「ドルースキ」とした。

脚注[編集]

  1. ^ a b c The Ottoman Steam Navy 1828-1923, p. 21
  2. ^ "The Last of a Type", p. 167

参考文献[編集]

  • Bernd Langensiepen, Ahmet Güleryüz, The Ottoman Steam Navy 1828-1923, Conway Maritime Press, 1995, ISBN 0-85177-610-8
  • Lloyd P. Simpson, "The Last of a Type", Warship International Vol. 10, No. 2, International Naval Research Organization, 1973, pp. 165-169

参考図書[編集]

  • 「Conway All The World's Fightingships 1906-1922」(Conway)

外部リンク[編集]