ドミトリー・トレポフ

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ドミトリー・トレポフ

ドミトリー・フョードロヴィチ・トレポフДми́трий Фёдорович Тре́повDmitrii Fyodorovich Trepov1855年12月15日 - 1906年9月15日)は、帝政ロシア軍人官僚政治家ペテルブルク特別市長官(市長)で、ヴェーラ・ザスーリチに狙撃されたフョードル・トレポフ将軍の三男。宮廷警備司令官となり、ロシア皇帝ニコライ2世の相談役として権勢を振るった。のちにロシア帝国首相となるアレクサンドル・トレポフは弟。

父親のフョードル・トレポフ将軍同様、徹底した反動主義者であり、モスクワ総督セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の指示で皇帝官房第三部入りし、モスクワ警視総監となり革命派の弾圧に当たった。1905年、セルゲイ大公が暗殺されると、ペテルブルク市総督に就任。ロシア第一革命の鎮圧にも当たった。同年7月には、内務次官に任命された。その後は宮廷警備司令官となり、1905年のポグロムを組織化するなど、一貫して、反動、専制政治の推進者として行動した。1906年、狭心症のため死去した。

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