ドクトル・ジバゴ

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ドクトル・ジバゴ』(Доктор Живаго,英語:Doctor Zhivago)は、ソ連の作家ボリス・パステルナークの小説。1957年出版。ロシア革命の混乱に翻弄される、主人公で医師のユーリー・ジバゴと恋人ララの運命を描いた大河小説。

あらすじ[編集]

ノーベル賞受賞と辞退[編集]

『ドクトル・ジバゴ』はロシア革命を批判する作品であると考えられたために本国ソ連での発表はできず、イタリアで刊行され、世界的に知られることになった。翌年にはノーベル文学賞パステルナークに授与されることになったが、ソ連共産党が辞退を強制した。受賞すれば亡命を余儀なくされると考えたパステルナークは「母国を去ることは、死に等しい」と言い受賞を辞退した。

ソ連の共産党は「(『ドクトル・ジバゴ』は)革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀な試みである」と非難した。当時「社会主義革命の輸出」をしていたソ連政府にとっては「ロシア革命は人類史の大きな進歩である」という見解に疑問符をつけることは許しがたいことであった。

日本語訳[編集]

最初の日本語訳は1959(昭和34)年に原子林二郎訳によって出版された。前年(1958年)のパステルナークノーベル文学賞受賞辞退の一件で話題の書となったため急遽翻訳が企画された模様である。そのためロシア文学関係者ではないものの時事通信社の業務でロシア語に接していた原子林二郎(時事通信社記者)が翻訳にあたった。また、原典であるロシア語版の入手が困難なため底本とすることができず、上巻は最初に出版されたイタリア語訳版と英訳版を相互に参照しながらの重訳であった。上巻の翻訳がほぼ完了した時点でミシガン大学出版局から出版されたロシア語版の入手がなり、後からロシア語原典と付き合わせて邦訳文を照合するという慌ただしさだった(原子訳・上巻「あとがき」による)。下巻は、ロシア語原典を底本にして、イタリア語訳版と英訳版を参照しながら邦訳が進められた。但し、ユーリー・ジバゴの詩の邦訳については原子は固辞して専門家に担当して貰っている。原子は重要な文学作品の邦訳を、社命とはいえロシア文学の専門家ではない者が行うことに強い抵抗感を示しており、遠くない将来にロシア文学の専門家の手による邦訳版の出版が望まれる旨を述べている(原子訳・下巻「あとがき」による)。その21年後の1980(昭和55)江川卓による翻訳が出た。原子訳と同様時事通信社から出版され、新潮文庫に上下巻立てで1989年に収められたが絶版となっている。古書市場では一時、下巻の入手が極めて困難で高額だった。 2013年工藤正廣による新訳が未知谷から『ドクトル・ジヴァゴ』として刊行された。

映像化[編集]

何度か映像化されており、有名なのは1965年、デヴィッド・リーンにより映画化された『ドクトル・ジバゴ』。また、2002年にはイギリス、ドイツ、アメリカ合衆国合作でテレビシリーズも制作された。日本でもDVDが発売されている。ロシアではNTV (ロシア)により2005年にドラマ化された。

舞台[編集]

2015年春に、ブロードウェイミュージカルドクトル・ジバコ』としてブロードウェイ劇場での上演が予定されている。演出はデス・マカナフ、脚本はマイケル・ウィラー、音楽はルーシー・サイモンが担当予定[1]

脚注[編集]

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