ドゥロス号

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ドゥロス号

ドゥロス号は旧客船で、世界最古の現役船である。「ドゥロス」(doulos)とは、ギリシア語で「仕える者」という意味。世界各国での書籍販売や、国際親善と文化交流を目的にドイツの慈善団体『よい本をすべての人々に (Gute Bücher für Alle)』が管理運航を行っている。

乗組員は世界50か国以上、約350人のボランティアにより構成される。ドゥロス号で奉仕するクルーおよびスタッフは、船長をはじめとする全員が無給のボランティアである。運営費の大半は乗組員の自費、支援者各位からの寄付によってまかなわれており、各寄港地の企業、法人の協賛も受け入れながら世界中を航行している。これまでの寄港先は100か国を超え、延べ1800万人以上の見学者が船を訪れている。

寄港先の学校、各種団体、および一般市民を対象とした教育、文化イベント等が船上で催されている。

最大の特徴は船上書籍販売で、寄港先の教育・社会的ニーズに応えるため、特に児童書など厳選された数千種の書籍を常時約50万冊積載している。豊富な英語の書籍に加え、寄港地の言語の本も用意している。

またドゥロス号は物資の調達、医療設備や教育施設の修繕、初歩的なヘルスケア、教育的な書籍の寄贈などを通じ、世界の貧困地域や被災地域で人道的救援活動に携わってきた。

2007年には、7年ぶりに日本に4回目の寄港をした。寄港地は福岡(5月12日5月21日)・金沢(5月24日6月5日)・新潟(6月7日6月18日)の三か所。6月18日22時をもって新潟寄港の諸行事を終えて、日本寄港プログラムが全て終了したため、次の寄港地である韓国に向けて、6月19日に新潟西港を出港した。

過去には、メディナ号、ローマ号、フランカC号としても知られる。

全長130.35m、全幅16.60m、喫水6.50m、総重量6818t。

目次

[編集] 歴史

ドゥロス号は1914年に建造され、現在でも活躍する世界で最も古い現役船としてギネスブックで認定されている船である。 その長い歴史の中で、この船は四つの名前を持った。初めに「メディナ」、それから「ローマ」、「フランカC」、そして現在の「ドゥロス」。それぞれ役割も違い、貨物船、移民船、客船、洋上書店という働きをしてきた。また、船籍もアメリカ合衆国パナマイタリアマルタと移った。この長い船の歴史の中で、幾度か大改造と二度のエンジン交換があった。

[編集] 1914年 メディナ号(蒸気エンジン)

ドゥロス号は元々「メディナ」という名の貨物船として建造された。アメリカ合衆国のマロリ蒸気船船舶会社がメディナ号を所有して、1914年8月22日ニューポート・ニュス造船・ドライドック会社よりメディナ号の進水が行われた。1916年にマツォニア蒸気航海会社に売却された。この船の最初の役目は、ニューヨークからテキサスのガルベストンへ玉ねぎを運ぶことだった。また、第一次世界大戦中は、メディナ号はアメリカ合衆国の補給船として使われた。その後メディナ号は1922年に近代化され重油燃料型に変えられた。そして10年後、マロリ定期客船はクライド蒸気船舶会社に合併された。その後再び1934年にニューヨーク・ポート・リコ蒸気船舶会社に合併された。第二次世界大戦中は、アメリカ合衆国沿岸警備隊の船として使われた。

[編集] 1948年 ローマ号

メディナ号が約30年間ほど貨物船として使われた後、ジェナティバ・グループが新たに「ローマ」という名で船籍をパナマに移した。翌年、船はイタリアラ・スペツィアにて、287の客室と移民者694人が宿泊可能な大部屋を備えた旅客船に改造された。1950年はローマ・カトリックの聖年だったため、当初、ローマ号は巡礼者を運んでいた。その後、ローマ号はヨーロッパからの移住者をオーストラリアへ運ぶようになった。この働きに関しては、ローマ号はあまり成功したとは言えず、1951年9月には、持ち主の破産のためベルファストに係船されるようになった。

[編集] 1952年 フランカC

1952年にローマ号は競売にかけられ、唯一の入札者であるジャコモ・コスタ・フ・アンドレア社(リニア"C")の手に渡った。この時、初めから使用されていた蒸気エンジンからフィアット社の低速ディーゼルエンジンに変えられ、船は7650馬力を持ち18ノットで航海できるようになった。また、新たに6つの乗客用部分が加えられ、900人も収容できるまでになった。また、この時初めてエアコンが取り付けられた。その翌年、「フランカC」という名でコスタ船舶会社の南アメリカ航路を航海した。1959年に、船は厨房、レストランの大改造と、カジノ、スイミングプール、映画館などを新たに追加することにより、345人が宿泊できる高級客船へと変わった。フランカC号は、マイアミから出る初の定期旅客船であったが、1963年に誕生地であるバージニア州へ塗装のために帰ることができた。1970年には、以前よりも力のある新しいフィアット社の中速ディーゼルエンジンに取り替えられた。船は主に地中海を巡航したが、大西洋や黒海の港にも立ち寄る機会があった。7年後、新型の定期旅客船の登場によりコスタ船舶会社はフランカC号を廃棄処分することに決めた。当時既に建造後68年が過ぎていたため、古すぎるとも言われていた。しかし、はからずも最終航海で地中海を巡っている時、ドイツの慈善団体グーテ・ブッヘル・フール・アレ(GBA:英語で Good Book for All;全ての人の良書を)の代表が乗船しており、この団体がこの船を購入することに決めた。1977年11月4日、船はGBAに移籍された。

[編集] 1977年 ドゥロス号

こうして、フランカC号は「ドゥロス」という名に改められた。「ドゥロス」とは、ギリシャ語で「仕える者」という意味。船の旗は、船籍を移したマルタ共和国のマルタ十字に変わった。この出来事は、歴史のある船が廃棄場から救われた7つめの例である。再び船は改造され、スイミングプールとカジノは集会室と洋上書店へと変わった。ドゥロス号は、常時4000から6000種類にのぼる書籍を積載している。乗組員は世界30か国以上、約350人のボランティアにより構成されている。1978年以来、100か国の500を超える港に寄港して、1900万人以上がこの船を訪れた(2007年6月18日の日本寄港新潟西港時点)。1993年には、ドゥロス号の船内の大改造、人間で言えば「心臓移植」ともいうべき大改造を南アフリカケープタウンで約7か月かけて行った。この期間中、電気システムを直流から交流に変え、総延長70kmにも及ぶ配線と古くて重い発電設備の取り換えをするという大規模な改造が行われた。この改造のために、世界中の各地から技術者をはじめ多くのボランティア作業員が170人以上も飛行機で南アフリカにあるドゥロス号に駆けつけ、自主的にしかも無料で奉仕をしてくれた。このような無給の奉仕者のおかげで、この大規模な改造を低予算で成し遂げることができた。1994年8月22日はドゥロス号の80歳の誕生日だった。この誕生日に、以前船で奉仕したことのある多くの人がフランストゥーロンに寄港していたドゥロス号を訪れ、懐かしい再会をした。時代が進むにつれ、この船をよい状態で維持し、安全基準を守るには大きな努力と労力がさらに必要とされている。1998年10月には5km以上に及ぶ配管と900以上の箇所の作業を必要とする3年計画のスプリンクラーの設備導入を完成することができた。ドゥロス号では、船内の重要な部分の改造を幾度も繰り返し、常に安全な航海を保証している。

[編集] 外部リンク

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