ドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサ

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ドゥアルテ・ヌノ

ドゥアルテ・ヌノ・フェルナンド・マリア・ミゲル・ガブリエル・ハファエル・フランシスコ・シャヴィエル・ハイムンド・アントニオ・デ・ブラガンサポルトガル語:Duarte Nuno Fernando Maria Miguel Gabriel Rafael Francisco Xavier Raimundo António de Bragança, 1907年9月23日 - 1976年12月23日)は、ミゲリスタ派ポルトガル王位請求者。1932年より最後のポルトガル王マヌエル2世より立憲派ポルトガル王位請求者の地位をも引き継ぎ、単独のポルトガル王位請求者となった。

生涯[編集]

ポルトガルの廃王ミゲル1世の息子ミゲル2世とその2番目の妻マリア・テレジア・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルクの間の息子として、オーストリアのゼーベンシュタイン城で生まれた。2人の異母兄がおり、父にとっては3番目の息子だった。

ドゥアルテ・ヌノの父ミゲルはポルトガルの王位請求者であり、従姉のポルトガル女王マリア2世とその子孫ブラガンサ=コブルゴ家によるポルトガル統治に異議を唱えていた。このため一家はマリア2世によって王位継承権を剥奪され、国外に追放されていた。

ドゥアルテ・ヌノの次兄フランシスコ・ジョゼは1919年に亡くなり、1920年7月21日には長兄のヴィゼウ公ミゲルが貴賤結婚のために父の相続人の地位を放棄した。その10日後の7月31日、父ミゲルはポルトガル王位請求者の地位を12歳の三男ドゥアルテ・ヌノに譲り、ドゥアルテ・ヌノはミゲリスタの支持する名目上のポルトガル王「ドゥアルテ2世(Duarte II)」を名乗るとともに、ブラガンサ公を継承した。ドゥアルテ・ヌノはまだ幼いため、叔母のバルディ伯爵夫人アルデグンデスが1928年まで摂政役を務めた。このときポルトガルではすでに1910年より共和制に移行しており、マリア2世女王の曾孫で最後のポルトガル王であるマヌエル2世は亡命者の身の上であった。

ミゲリスタ派と元国王マヌエル2世を担ぐ立憲派は誰が正統なポルトガル王かで対立しているだけでなく、理想とする政体についてもその考えは相容れないものだった。前者は絶対君主制を、後者は1910年まで続いた立憲君主制を支持していた。

しかしマヌエル2世に後継者がないことが、分裂状態にあるポルトガルの君主制支持者を合同させる機会を与えた。ミゲル2世とマヌエル2世は協議を重ね、マヌエル2世が死んだときは、ミゲル2世の息子ドゥアルテ・ヌノを後継者とするという取り決めを行った。1927年にミゲル2世が亡くなり、また1932年7月2日にマヌエル2世が死去すると、ミゲリスタと立憲派からなるポルトガル君主制支持者の大多数はドゥアルテ・ヌノを唯一のポルトガル王位請求者と認めるに至り、ミゲリスタと立憲派の合同が実現した。

立憲派の一部はドゥアルテ・ヌノを自分たちの国王と認めず、別の国王候補を立てようとした。マリア2世の曾孫であるザクセン元王太子ゲオルク、マリア2世の弟のブラジル皇帝ペドロ2世の曾孫のペドロ・ガスタンなどの名前が挙がったが、いずれも擁立には至らなかった。

1950年、ポルトガルの共和国議会は1834年に出されたミゲル1世に対する、また1910年に出されたマヌエル2世に対する追放令を撤回し、ドゥアルテ・ヌノを家長とする旧ポルトガル王室に帰国を認めた。しかしドゥアルテ・ヌノはティオンヴィルで自動車事故に遭い、ポルトガルに帰国したのは1952年になってからであった。

ポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールは、1951年に大統領アントニオ・オスカル・カルモナが死んだ際、ドゥアルテ・ヌノを国王としてポルトガルの王制を復活させようと考えたが、その後考え直して自ら国家元首になることにした。

1974年、ドゥアルテ・ヌノは自分の邸宅として使用していたサン・マルコス宮殿をコインブラ大学に譲り渡し、その2年後に亡くなった。

ドゥアルテ・ヌノはポルトガル王家家長としてヴィラ・ヴィソサ無原罪の御宿り騎士団英語版聖イザベル騎士団英語版 の総長を務めたほか、マルタ騎士団金羊毛騎士団の騎士にも叙任されていた。

結婚と子女[編集]

1942年10月15日、ドゥアルテ・ヌノはブラジルペトロポリスにおいて、ブラジル皇子ペドロ・デ・アルカンタラの娘マリア・フランシスカ(1914年 - 1968年)と結婚した。マリア・フランシスカはマリア2世女王の弟のブラジル皇帝ペドロ2世の曾孫であり、この縁組はミゲリスタ派と立憲派の2系統のポルトガル王家の合同を象徴するものとして、君主制支持者たちから非常に喜ばれた。夫妻は3人の息子をもうけた。

  • ドゥアルテ・ピオ(1945年 - ) ポルトガル王位請求者、ブラガンサ公
  • ミゲル・ハファエル(1946年 - ) ヴィゼウ公
  • エンリケ・ヌノ(1949年 - ) コインブラ公
先代:
ミゲル2世
〈名目上〉ポルトガル王
ポルトガル王家(ミゲル系)家長

1920年 - 1976年
次代:
ドゥアルテ・ピオ
先代:
マヌエル2世
〈名目上〉ポルトガル王
ポルトガル王家家長

1932年 - 1976年