ドイツ民主共和国憲法
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ドイツ民主共和国憲法(ドイツ語: Verfassung der Deutschen Demokratischen Republik)は1949年10月に成立した当時のドイツ民主共和国(東ドイツ)の憲法法規。東ドイツ憲法と単に呼ぶ場合もある。
[編集] 経緯
1945年5月の第二次世界大戦の敗戦により、ドイツは英米仏ソによる分割統治が行われることになったが、このとき東側のソ連占領地域で憲法策定作業が進められた。1946年11月ドイツ社会主義統一党(SED)が憲法草案を発表した後、委員会において若干の修正を加えて、1949年10月7日に成立、即日施行された。
当初は二院制の議会、連邦制、大統領制などヴァイマル憲法の系譜を引くものであったが、1968年4月9日の改正で第1条に「ドイツ民主共和国はドイツにおける社会主義国家である(Die Deutsche Demokratische Republik ist ein sozialistischer Staat deutscher Nation.)」「労働者階級とマルクス・レーニン主義政党(社会主義統一党)の指導の下に置かれる(党の指導性)」と規定された。
その後も1974年の法律で憲法が全面改正など幾度かの改正を重ね社会主義を色濃く反映するものとなっていったが、1989年10月にエーリッヒ・ホーネッカー政権が倒れ、東ドイツの民主化が始まると、12月には社会主義統一党の指導性を定めた第1条の規定が削除された。1990年10月に東西ドイツが統一されると、旧西ドイツのボン基本法を主流とした現在のドイツ連邦共和国基本法が適用されるようになった。