ドイツ国鉄05形蒸気機関車

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ドイツ国鉄05形蒸気機関車
Lok 05 001 (ニュルンベルク交通博物館)
車両番号: 05 001 - 003
総両数: 3
製造所: ボルジッヒ
製造年: 1935, 1937
廃車: 1958
DRG形式分類: S 37.19
軌間: 1,435 mm
バッファ間距離: 26,265 mm
運転整備重量: 129.9 t
動輪上重量: 57.7 t
最大軸重: 19.4 t
最高速度: 175 km/h
図示出力: 2,360 PSi
動輪径: 2,300 mm
先輪径: 1,100 mm
従輪径: 1,100 mm
気筒数: 3
気筒径: 450 mm
ピストン行程: 660 mm
火格子面積: 4.71 m²
過熱伝熱面積: 90.00 m²
全蒸発伝熱面積: 255.52 m²
ドイツ国鉄05形 003
バッファ間距離: 27,000 mm
運転整備重量: 124.0 t
動輪上重量: 56.0 t
最大軸重: 19.1 t
図示出力: 1.765 kW
火格子面積: 4.40 m²
過熱伝熱面積: 81.90 m²
全蒸発伝熱面積: 226.52 m²
テンダ形式: 2'3 T 35 Kst
水容量: 35.0 m³
001-2と異なる諸元を示す

ドイツ国鉄05形蒸気機関車DRG Baureihe 05)は、ドイツ国営鉄道DRG:Deutsche Reichsbahn-Gesellschaft 現:ドイツ鉄道)の旅客用テンダー式蒸気機関車である。

概要[編集]

1930年代の欧米の鉄道界では、自動車や飛行機の発展などの要因により、鉄道が次第に競争にさらされるようになっていた。そこで、鉄道の競争力を付けるべく、列車の高速化のための技術開発が、各国で積極的に推進されていた。ドイツにおいては、フリーゲンダー・ハンブルガーのような気動車が製作され、1930年代前半の時点で、平均速度ベースで世界最高速度の列車となっていた。

しかし、気動車の場合、出力に対する重量の制約から、軽量化の必要があり、居住性の点で客車に比べて難があった。そこで、居住性の優れた客車で高速化を行うべく、高速蒸気機関車の開発を行うこととなった。また、1933年アドルフ・ヒトラーによるナチス政権が成立したこともあり、当時、に並ぶ「鉄道先進国」として、ドイツ国家の威信をかけた機関車の開発が必要とされていた。

このような状況下で、ドイツ鉄道開業100周年の年である1935年に製作された蒸気機関車が、05形蒸気機関車である。

車両[編集]

1935年に2両(05 001と05 002)、1937年に1両(05 003)が、いずれもボルジッヒ社で製作された。

急行旅客用蒸気機関車として増備されていた03形に、試験的に流線型改造を施し、その結果を元に新規製作された、流線型の蒸気機関車である。シリンダは3気筒(3シリンダ)式である。

最初の2両は1936年より、ベルリン - ハンブルク間の特急列車の牽引を開始している。最高速度は175km/h、平均速度は119km/hで、気動車による列車には少し及ばなかったものの、当時としては世界最高水準の高速列車であった。

最後の1両(05 003)は、前の2両と同様の流線型車体を有するが、運転台を最前部に配置し、運転台後部にボイラと火室を設けるという、非常に特徴的な構造(キャブフォワード形)が採用されている。

高速記録[編集]

1936年5月11日、05 002号機による高速試運転が実施され、ベルリン - ハンブルク間の下り緩勾配上で、4両の客車を牽引し、200.4km/hという、蒸気機関車としては当時の世界最高速度を記録している。この記録は、史上初めて、蒸気機関車による200km/h走行が達成されたことも意味する。

この記録は1938年に、イギリスのマラード号によって破られるまでのわずか数年間のものではあったが、ドイツの鉄道技術の水準を世界に知らしめることとなった。

その後[編集]

1939年第二次世界大戦が勃発すると、ドイツ国内の高速列車は運転を中止した。本機は戦時中に流線型のカバーが撤去されたほか、特徴的な構造を有する05 003号機も、通常の運転台配置に改造された。

終戦後、ドイツの鉄道当局は、これら3両の機関車を廃車にする予定であったが、クラウス・マッファイ社にて再生工事が行われ、1951年までに本線上に復帰した。しかし、流線型のカバーはなく、蒸気圧力の低下や出力低下の改造も行われ、戦前の高速性能は失われた。

1952年ドイツ連邦鉄道発足後は3両とも同国鉄の所属となり、05形(DB Baureihe 05)として急行列車を牽引し、1958年に3両全車が営業運転を終了した。

05 002号機と05 003号機は解体されたが、05 001号機は、ニュルンベルクの交通博物館に静態保存されている。その際流線型カバーの一部が復元されている。

日本への影響[編集]

1939年より、日本において弾丸列車計画が始まったが、弾丸列車専用として、数種類の大型電気機関車や大型蒸気機関車を製作・投入することが予定された。

その中で、旅客列車牽引用の蒸気機関車として、「HC51形」と呼ばれる、3動軸の蒸気機関車が計画された。これはドイツの05形蒸気機関車に倣ったものとされている。弾丸列車での使用では、05形を上回る性能を目指していたとされ、もし実現すれば、文字通り世界最速の蒸気機関車となっていた。しかし、当時の日本の鉄道技術力・工業技術力・国力を勘案すると、到底実現できるものではなかったともいわれている。

第二次世界大戦が勃発したことで、弾丸列車計画は頓挫し、「HC51形」も構想で終わった。

主要諸元[編集]

  • 全長 26,265mm(001, 002号機)/27,000mm(003号機)
  • 車軸配置 2C2(ハドソン)
  • 動輪直径 2,300mm
  • シリンダー(直径×行程) 450mm×660mm
  • シリンダー数 3気筒
  • ボイラー圧力 20kg/cm²(戦後は16kg/cm²) 過熱式
  • 火格子面積 4.71m²
  • 運転重量 214t(うち機関車部127t)
  • 最高速度 175km/h
  • 動輪周出力 2,360馬力(製造時)
  • 製造両数:3両
  • 製造年:1935年 - 1937年
  • 製造所:ボルジッヒBorsig

その他[編集]