ドイツ国鉄01形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ドイツ国鉄01形蒸気機関車
01 118。2007年ケーニヒシュタインの催しで。
総両数: 231両 + 10両 は02形から改造
製造所: AEGボルジッヒヘンシェルホーエンツォレルンクルップベルリン機械製造
製造年: 1926–1938
廃車: 1982
車輪配置(ホワイト式): 4-6-2
DRG形式分類: S 36.20
軌間: 1,435 mm
バッファ間距離: 23,940 mm
運転整備重量: 108.9 t
動輪上重量: 59.2 t
最大軸重: 20.2 t
最高速度: 120/130 km/h
後進 50 km/h
図示出力: 1,648 kW
連結輪径: 2,000 mm
動輪径: 2,000 mm
先輪径: 850 mm (01 001–101, 233–242)
1,000 mm (01 102–232)
従輪径: 1,250 mm
弁装置: ワルシャート式
気筒径: 650 mm (01 001–010)
600 mm (01 012–232)
ピストン行程: 660 mm
ボイラ圧力: 16 bar
小煙管数: 129 (01 001–076)
107 (01 077-)
大煙管数: 54 (01 001–076)
70 (01 077-)
煙管長: 5800 mm 01 001–076
6800 mm (01 077-)
火格子面積: 4.41 m² (01 001–149, 233–242)
4.32 m² (01 150–232)
火室伝熱面積: 17 m²
過熱伝熱面積: 100.00 m² (01 001–076, 233–242)
85.00 m² (01 077–232)
全蒸発伝熱面積: 237.56 m² (01 001–076, 233–242)
247.25 m² (01 077–149)
247.15 m² (01 150–232)
テンダ形式: 2'2' T 30/32/34
水容量: 30.0/32.0/34.0 m³
燃料: 10.0 t 石炭
列車暖房: 蒸気

ドイツ国鉄01形蒸気機関車(ドイツこくてつ01がたじょうききかんしゃ)は、ドイツの鉄道が統一されてから、最初に標準化して造られた急行旅客用制式蒸気機関車である。

UIC式で2'C1、ホワイト式では4-6-2、アメリカ式で「パシフィック」の車軸配置を持つ。

標準化の目的は、維持費の削減にある。例えばベルリンに所属する01形がドレスデンで故障したなら、運行停止してベルリンから必要な部品を送る代わりに、機関、部品、装置の全てが正確に同じで、全国的に生産されていれば、ドレスデン工場の部品が使える。このように、それは工場のための「標準化された」製品だった。

歴史[編集]

01 046。1938年
01 118の製造銘板

これらの機関車の主な製造業者AEGボルジッヒ、およびヘンシェルホーエンツォレルンクルップベルリン機械製造(BMAG=旧シュヴァルツコップ)は、1926年から1938年の間にこのドイツ国営鉄道の急行旅客用制式蒸気機関車を合計231両製造した。

比較目的のために、本形式の10両は2気筒で、姉妹形である02形の10両は4気筒複式で造られた。大規模な測定と試験が行われ、長い議論の後、ついに本形式の2気筒構成に決定された。より強力で経済的な4気筒のものに比べ、保守が容易だったのである。

最初に営業投入された01形機関車は01 001でなく、01 008であり、今日ボーフム=ダールハウゼン鉄道博物館で保存されている。1920年代に20トンの軸重を許容する路線と十分大きな直径を持つターンテーブルのいずれも十分にはなかったため、01形の大量生産は最初いくぶん遅れた。1930年代の初めまでに、01形はドイツ国営鉄道の代表的な急行列車機関車になった。1938年までに、231両が、格の高い急行列車運用についた。もう10両の01形(01 111、01 233-241)は、02形機関車の4気筒機構の2気筒への改造により1937年から1942年まで造られた。多くの路線での軸重規制は、1930年代初期に、第3の変形が造られた理由だった。03形は2気筒機関と18トンの軸重で設計され、298両造られた。1939年に、3気筒機関車も現われた。01形の更なる発展となる、ドイツ国営鉄道01.10形機関車だった。

途中小さな修正があり、合計5次にわたり製造された。これらは01 001 - 010(1926年)、01 012 - 076(1927年 - 1928年)、01 077 - 101(1930年 - 1931年)、01 102 - 190(1934年 - 1936年)、01 191 - 232(1937年 - 1938年)に分けられる。

1930年代でも、01形の使用は、20トン軸重を許容するために改良された比較的少ない路線に限られていた。ベルリンからはアンハルト、レールテとハンブルクへの路線で使われた。ベルリン市鉄道は、高架橋アーチを補強した。最初の90両は1930年までに、エッセン、ニュルンベルク、エルフルト P、ベルリン・アンハルター、ハム、マクデブルク中央駅、カッセル、ハノーファー、ハンブルク・アルトナ、ベブラ、オッフェンブルクの各機関区に配置された。

1931年からはフランクフルト・アム・マイン1、ベルリン・レアター、ブラウンシュヴァイク、ベルリン・ポツダム貨物駅、シュナイデミュール、ケーニヒスベルク、ゲッティンゲン P、パーダボルン、ドレスデン・アルトシュタット、ブレスラウ、ケルン・ドイツァーフェルト、ホーフ、ハレ Pの各機関区に配置された。

フランクフルト歴史鉄道の01 118
01 008の運転台

当初、その最高速度は、120km/hに制限された。130km/hまで上げるために、先輪の直径は01 102から当初の850mmから1,000mmに変えられた、そして、ブレーキ力は動輪に両押しブレーキ装置と、そして従輪にブレーキを装置することによって増やされた。

空気圧縮機と給水ポンプは01 077から設けられた大形のワグナー式除煙板の背後、煙室のくぼみに位置した(他は、後で元の除煙板をワグナー式と取り替えた)。これはポンプ等の保守を難しくしたので、後の制式機関車は製造に際して車両の中央部にポンプ等を設置した。ドイツ連邦鉄道ではより小さなヴィッテ式除煙板に変えて、ポンプを車両の中心の歩み板の方へ移動した。ドイツ民主共和国(東ドイツ)のドイツ国営鉄道はそのような荷重分布の大きな変化を避け、後年でも外観上小さな修正が見られるだけである。

第3次車(01 077 - )からボイラーの煙管は延長され火室は短縮された。すべての機関車は、当初煙室扉の中心に錠を備えていた。 初期の機関車はガスライトを使用していたが、01 010からは電気ライトを使用した。そして後期の数ロットには3つのヘッドライトが装備された。

01形は2'2 T 30、2'2' T 32、または2'2' T 34の炭水車を備えた。これには10tの石炭を積載でき、水はそれぞれ30、32または34積載できた。大きなターンテーブルが十分になかったので、プロトタイプの機関車(01 001 - 010)は2'2 T 30炭水車と組み合わされた。後になるとこの炭水車は、絶対に必要な場合、例えばオランダ国境を越えた運用で使われただけであった。第2次(01 012 - )から、01形は、リベット組み立ての2'2' T 32炭水車を備えた。溶接の炭水車(2'2' T 34)は他の(主に新しい44形の)機関車との交換で用いられた。水容量が大きかったので、その後、戦時中と第二次世界大戦後はほとんどこれが利用された。

01形機関車は、1973年まで西ドイツで運行されていた。東ドイツでは、大きな除煙板をもつなど、おおよそは最初と同様の状態で、1980年代初めもまだ稼動していた。1977年秋まで急行列車をベルリン-ドレスデン路線で引いていた最後の年代には、伝説的機関車になっていた。ソビエト連邦からの大形の132形ディーゼル機関車の出現により、ほぼ50年を経た急行機関車01形は、東ドイツでの定期使用から最終的に引退した。なお、1988年には東西ドイツ国境のマリエンボルンからポーランドクトノ英語版までオリエント・エクスプレス'88を重連で牽引している(オリエント・エクスプレス '88も参照)。

ドイツを代表する旅客用蒸気機関車で、精悍なスタイルと大きな赤いスポーク動輪から日本にも愛好者が存在した。ドイツ鉄道のファンでもあった哲学者の篠原正瑛は、東京の宝町で自らが経営していた喫茶店に「ゼロイチ」と名付け、本形式の動輪1対を店内に飾っていた。篠原の没後、ドイツ鉄道に関するコレクションは交通博物館に寄贈され、その後身である鉄道博物館に引き継がれた。動輪は開館当初は展示されていなかったが、2009年3月24日より鉄道博物館駅との間のプロムナードに(日本の鉄道車両の車輪と並べる形で)展示されている[1]

脚注[編集]

  1. ^ 鉄道博物館の展示物が新しくなりました! - 鉄道博物館2009年3月30日(PDF形式)

関連項目[編集]