ドイッチュラント (客船・2代)
ドイッチュラント |
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| 艦歴 | |
|---|---|
| 船名: | 1900年~1910年:ドイッチュラント 1910年~1921年:ビクトリア・ルイス 1921年~1925年:ハンサ |
| 所有: | ハンブルク・アメリカ・ライン |
| 航路: | 大西洋横断 |
| 進水: | 1900年 |
| その後: | 1925年にスクラップ |
| 仕様諸元 | |
| 総トン数: | 16,502t |
| 全長: | 684ft(208m) |
| 全幅: | 67ft(20m) |
| 速力: | 22ノット |
ドイッチュラント(独: SS Deutschland)は、ハンブルク・アメリカ・ラインが所有していた客船。2度の改名を経て25年間使用され続けた。
目次 |
ドイッチュラントとして[編集]
当初、ハンブルク・アメリカラインの社長であるアルベルト・バリーンの構想では、ブルーリボン賞を奪取するような高速船を就航する予定は無く、低速ではあるが大型で貨客を多く輸送でき、かつ豪華で快適な船内サービスを提供可能な船隊で、同業他社に対抗しようと考えていた。しかし、ハンブルク・アメリカラインの重役陣や時の皇帝、ヴィルヘルム2世から、高速船を就航することで、ドイツ帝国の国威発揚と会社のイメージアップに寄与できると説得され、渋々ながら本船の建造を決定し、1900年に進水した。
予定通り大西洋横断を5日弱で成し遂げ、客船カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセからブルーリボン賞を奪った。ハンブルク・アメリカ・ラインの所有する船舶で唯一煙突が4本取り付けられている船であり、全長684フィート、全幅67フィート、総トン数16,502トン、巡航速力22ノットで一等、二等、三等客を合わせた2,050名を運ぶことができた。
ドイッチュラントは高速ではあったが、エンジンの出力によって激しい振動が発生するため決して快適とは言えず、乗客には不人気だった。
ビクトリア・ルイスとして[編集]
1910年、ドイッチュラント一隻では効率の良い配船も組めず、満足な収益を上げられない本船を大西洋定期便からはずし、大幅な改装を行った。エンジンは別のものに置き換えられ、船体は全てを白色で塗りなおし、乗客定員を一等のみの500名に減らした。その後、ドイッチュラントは、「ビクトリア・ルイス(Viktoria Luise)」と改名され、クルーズ専用として、主にバルト海・地中海水域に活躍の場を移した。
ハンサとして[編集]
ビクトリア・ルイスのエンジンはトラブル続きだったため、ドイツ政府による第一次世界大戦での徴用は免れた。1921年、「ハンサ(Hansa)」と改名した本船は移民船として運航されたが、アメリカ合衆国が移民に対する制限を設けたため、この航海は成功したとは言えず、ハンサは1925年にスクラップとなった。
外部リンク[編集]
| 記録 | ||
|---|---|---|
| 先代: カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ |
ブルーリボン賞 (船舶)(西回り航路)保持船舶 1900年~1902年 |
次代: クロンプリンツ・ヴィルヘルム |
| ブルーリボン賞 (船舶)(東回り航路)保持船舶 1900年~1904年 |
次代: カイザー・ヴィルヘルム2世 |
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| 先代: クロンプリンツ・ヴィルヘルム |
ブルーリボン賞 (船舶)(西回り航路)保持船舶 1903年~1907年 |
次代: ルシタニア |