トラビス・ブラックリー
| ヒューストン・アストロズ #54 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1982年11月4日(30歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 205 lb =約93 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2000年 |
| 初出場 | 2004年6月1日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2009年 |
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この表について
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トラビス・ジャロッド・ブラックリー(Travis Jarrod Blackley, 1982年11月4日 - )は、オーストラリア・メルボルン出身の野球選手(投手)。左投左打。MLBヒューストン・アストロズに所属。
目次 |
経歴 [編集]
シアトル・マリナーズ [編集]
ブラックリーはドラフトを経ずに2000年10月29日シアトル・マリナーズと契約。 2001年はA級エバレットで78回2/3イニングを投げ6勝1敗、防御率3.32、奪三振90を記録。
2002年は同じA級のサンバーナーディーノ・スタンピードで121回1/3を投げ、5勝9敗防御率3.49で152奪三振を挙げ、奪三振数ではマリナーズ傘下のマイナーチームでは2位の数だった。
2003年はAA級サンアントニオで投げ、162回1/3(リーグ4位)を投げて17勝(同1位)防御率2.61(同2位)144奪三振(同4位)。 17勝はチームが所属するテキサス・リーグでは1978年のジェフ・リアドン以来の数字だった。 またテキサスリーグのオールスターゲームと、USセルラーフィールドで行われたオールスター・フューチャーズゲームの世界選抜にも選出され、マリナーズのマイナーチームでのpitcher of the yearにも選ばれた。
2004年はベースボールアメリカのトップ100プロスペクトで63位に入り、 マリナーズ傘下のマイナーチームではフェリックス・ヘルナンデス、クリント・ナジョットに次ぐ3番目のプロスペクトという評価を受けた。
2004年シーズンはAAA級タコマで開幕となったが、フレディ・ガルシアがシカゴ・ホワイトソックスにトレードされ先発の枠に空きが生じたため、 昇格し6月1日のテキサス・レンジャーズ戦で先発しメジャーデビュー。5回2/3を投げて被安打6、4失点でメジャー初勝利を手にした。 マリナーズの歴史でメジャーデビューで先発し勝利をあげた6人目の投手となった。 しかし、その後一ヶ月は6度先発し1勝3敗、防御率10.04と成績が振るわず、8月1日にマイナー降格を言い渡される。 AAA級タコマでは18回先発して8勝6敗防御率3.83とまずまずの成績を残すが、閉幕前に左肩の炎症で故障者リスト入りとなった。
2005年は左肩の手術のため全休。
2006年はWBCのオーストラリア代表に選ばれるが肩のリハビリのため辞退。 シーズンではAA級サンアントニオで25回先発して8勝11敗防御率4.06の成績を残した後、AAA級タコマに昇格し、2回先発して1勝1敗防御率4.09でシーズンを終える。
マイナー・ABL・KBO時代 [編集]
2007年4月1日、サンフランシスコジャイアンツへジェイソン・エリソンとのトレードへ移籍。 シーズン全てをAAA級フレズノで過ごし、28回先発し10勝8敗防御率4.66、 9月21日にメジャーへ昇格し、23日のシンシナティ・レッズ戦でに三年ぶりとなる先発を任される。 初回に2点を取られたものの残りを抑え5回を被安打3、四球4、奪三振5だった。
2007年12月6日はルールファイブ・ドラフトでフィラデルフィア・フィリーズから指名され移籍。 2008年シーズンはAAA級リーハイバレーで過ごし、シーズン終了後にFAとなる。
2008年12月19日、アリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。2009年4月1日にAAA級リノに送られる。
2010年シーズンはニューヨーク・メッツ傘下AAA級バッファローで開幕を迎えるが5月2日に解雇される。5月13日にオークランド・アスレチックスと契約し、シーズンの大半をAAA級サクラメントで過ごす。2010年から始まったオーストラリアン・ベースボールリーグ(開催期間は12月~1月)のメルボルン・エイシズに移籍。 12月5日のシドニー・ブルーソックス戦では降雨コールドながら1安打完封。
2011年は韓国プロ野球の起亜タイガースに移籍。25試合に登板して7勝5敗、防御率3.48だった。
オークランド・アスレチックス [編集]
2012年2月15日サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約し、スプリングトレーニングに参加。5月1日メジャーに昇格し、リリーフとして4試合に登板した後、5月13日戦力外通告を受ける。2012年ウェーバー公示されていたが5月15日にオークランド・アスレチックスと契約し、5月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦にリリーフとして移籍後初登板。5月28日のミネソタ・ツインズ戦では移籍後初めて先発し、その後先発ローテーションに加わる。24試合に登板し、6勝4敗防御率3.86の成績を残した。
ヒューストン・アストロズ [編集]
2013年4月4日、ジェイク・ゴーバードとの交換トレードでヒューストン・アストロズへ移籍した。
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | SEA | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 134 | 26.0 | 35 | 9 | 22 | 0 | 1 | 16 | 3 | 1 | 31 | 29 | 10.04 | 2.19 |
| 2007 | SFG | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 40 | 8.2 | 10 | 2 | 5 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 7 | 7 | 7.27 | 1.73 |
| 2012 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 25 | 5.0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 6 | 5 | 9.00 | 1.80 | |
| OAK | 24 | 15 | 5 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | .600 | 419 | 102.2 | 91 | 10 | 30 | 1 | 3 | 69 | 6 | 3 | 47 | 44 | 3.86 | 1.18 | |
| '12計 | 28 | 15 | 6 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | .600 | 444 | 107.2 | 98 | 10 | 32 | 1 | 3 | 71 | 7 | 3 | 53 | 49 | 4.10 | 1.21 | |
| 通算:3年 | 36 | 23 | 7 | 0 | 0 | 7 | 7 | 0 | 0 | .500 | 588 | 165.1 | 143 | 21 | 59 | 1 | 4 | 92 | 11 | 5 | 81 | 85 | 5.25 | 1.41 | |
- 2012年度シーズン終了時
オーストラリア代表歴 [編集]
2006年のWBCで初めて代表に選ばれるが肩の怪我のため辞退。 2007年第37回IBAFワールドカップで代表デビューし、予選・決勝全体で0勝1敗防御率1.64の好成績を記録。 チームは予選のBグループを突破し、決勝トーナメントに駒を進めるが初戦の日本戦で0-3で敗退。 ブラックリーは日本打線を抑えるも相手の攝津正がオーストラリア打線に得点を全く許さなかったため敗戦投手となった。 2009年WBCでは代表として出場し、キューバ戦に先発し5回2/3を1失点に抑える好投。
家族 [編集]
妻と2005年に生まれた一人の息子がおり、オフは家族でアリゾナ州フェニックスに住んでいる。 弟のアダムも野球選手であり、かつてボストン・レッドソックスのマイナーに所属し、現在はオランダプロ野球とABLでプレイしている。
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs
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