トラビス・ブラックリー

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トラビス・ブラックリー
Travis Blackley
東北楽天ゴールデンイーグルス #15
T blackley20140525.jpg
明治神宮野球場にて(2014年)
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 ビクトリア州メルボルン
生年月日 1982年11月4日(31歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 アマチュア・フリーエージェントとしてシアトル・マリナーズと契約
初出場 MLB / 2004年7月1日
KBO /2011年 4月3日
NPB /2014年 5月25日
最終出場 KBO / 2011年10月5日
年俸 2億円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム オーストラリアの旗 オーストラリア
WBC 2009年

トラビス・ジャロッド・ブラックリーTravis Jarrod Blackley, 1982年11月4日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する、オーストラリアメルボルン出身のプロ野球選手投手)。左投左打。

経歴[編集]

マリナーズ時代[編集]

2000年10月29日シアトル・マリナーズと契約。

2001年はA級エバレット・アクアソックスで78回2/3イニングを投げ6勝1敗、防御率3.32、奪三振90を記録。

2002年は同じA級のサンバーナーディーノ・スタンピードで121回1/3を投げ、5勝9敗防御率3.49で152奪三振を挙げ、奪三振数ではマリナーズ傘下のマイナーチームでは2位の数だった。

2003年はAA級サンアントニオ・ミッションズで投げ、162回1/3(リーグ4位)を投げて17勝(同1位)防御率2.61(同2位)144奪三振(同4位)。17勝はチームが所属するテキサスリーグでは1978年ジェフ・リアドン以来の数字だった。またテキサスリーグのオールスターゲームと、USセルラー・フィールドで行われたオールスター・フューチャーズゲームの世界選抜にも選出され、マリナーズのマイナーチームでのpitcher of the yearにも選ばれた。

2004年ベースボール・アメリカのトップ100プロスペクトで63位に入り、マリナーズ傘下のマイナーチームではフェリックス・ヘルナンデスクリント・ナジョットに次ぐ3番目のプロスペクトという評価を受けた。2004年シーズンはAAA級タコマ・レイニアーズで開幕を迎えたが、フレディ・ガルシアシカゴ・ホワイトソックスへトレードされ先発の枠に空きが生じたため、7月1日にマリナーズとメジャー契約を結び、同日のテキサス・レンジャーズ戦で先発起用されメジャーデビュー。5回2/3を投げて被安打6、4失点でメジャー初勝利を手にした。マリナーズの歴史でメジャーデビューで先発し勝利をあげた6人目の投手となった。しかし、その後一ヶ月は6度先発し1勝3敗、防御率10.04と成績が振るわず、8月1日にAAA級タコマへ降格した。AAA級では18回先発して8勝6敗防御率3.83とまずまずの成績を残すが、シーズン終盤に左肩の炎症で故障者リスト入りとなった。

2005年3月3日に左肩の故障で60日間の故障者リスト入りし、シーズンを全休した。

2006年WBCオーストラリア代表に選ばれるが肩のリハビリのため辞退。シーズンではAA級サンアントニオで25試合に先発し、8勝11敗、防御率4.06の成績を残した後、AAA級タコマに昇格し、2試合に先発し、1勝1敗、防御率4.09でシーズンを終える。

ジャイアンツ時代[編集]

2007年4月1日ジェイソン・エリソンとのトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。AAA級フレズノ・グリズリーズで開幕を迎え、28試合に先発し、10勝8敗、防御率4.66だった。9月23日にメジャーへ昇格し、同日のシンシナティ・レッズ戦でに3年ぶりとなる先発を任される。初回に2点を取られたものの、残りを抑え5回を被安打3、四球4、奪三振5だった。オフの10月10日に40人枠を外れ、AAA級フレズノへ降格した。

マイナー・ABL・KBO時代[編集]

2007年12月6日に行われたルールファイブ・ドラフトでフィラデルフィア・フィリーズから指名され移籍。

2008年はAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスでプレー。シーズン終了後にFAとなり、12月19日アリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約した。

2009年4月1日に40人枠を外れ、AAA級リノ・エーシズへ降格した。

2010年2月4日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、AAA級バッファロー・バイソンズで開幕を迎えたが、5月2日に解雇される。5月17日オークランド・アスレチックスとマイナー契約を結び、シーズンの大半をAAA級サクラメント・リバーキャッツでプレーした。オフには2010年から始まったオーストラリアン・ベースボールリーグ(開催期間は12月~1月)のメルボルン・エイシズへ移籍。12月5日シドニー・ブルーソックス戦では降雨コールドながら1安打完封を記録した。

2011年韓国プロ野球起亜タイガースに移籍。登録名は「トラビス」。25試合に登板して7勝5敗、防御率3.48だった。

ジャイアンツ復帰・アスレチックス時代[編集]

2012年2月15日サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに参加。5月1日ジャイアンツとメジャー契約を結び、リリーフとして4試合に登板したが、5月13日にDFAとなった。5月15日にウェーバーでオークランド・アスレチックスへ移籍し、5月18日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦にリリーフとして移籍後初登板。5月28日ミネソタ・ツインズ戦では移籍後初めて先発し、その後先発ローテーションに加わる。24試合に登板し、6勝4敗防御率3.86の成績を残した。

2013年3月29日にDFAとなった。

アストロズ時代[編集]

アストロズ時代(2013年)

2013年4月4日ジェイク・ゴーバードとの交換トレードで、ヒューストン・アストロズへ移籍した。8月8日にDFAとなり、8月10日にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ降格した。

レンジャース時代[編集]

2013年8月14日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍し[1]、8月20日にレンジャーズとメジャー契約を結んだ。オフの11月4日にFAとなった。

楽天時代[編集]

2013年12月21日に、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した[2]2014年5月25日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で来日初登板、5回2失点の内容で試合はその後継投で楽天が3対2で勝利し、初勝利を挙げた[3]

詳細成績[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2004 SEA 6 6 0 0 0 1 3 0 0 .250 134 26.0 35 9 22 0 1 16 3 1 31 29 10.04 2.19
2007 SF 2 2 0 0 0 0 0 0 0 .000 40 8.2 10 2 5 0 0 5 0 1 7 7 7.27 1.73
2011 KIA 25 - 1 1 0 7 5 0 1 .583 548 126.2 120 13 62 0 3 115 0 0 59 49 3.48 1.44
2012 SF 4 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 25 5.0 7 0 2 0 0 2 1 0 6 5 9.00 1.80
OAK 24 15 0 0 0 6 4 0 0 .600 419 102.2 91 10 30 1 3 69 6 3 47 44 3.86 1.18
'12計 28 15 0 0 0 6 4 0 0 .600 444 107.2 98 10 32 1 3 71 7 3 53 49 4.10 1.21
2013 HOU 42 0 0 0 0 1 1 0 14 .500 152 35.0 30 10 20 4 1 29 4 0 19 19 4.89 1.43
TEX 4 3 0 0 0 1 1 0 0 .500 59 15.1 16 2 2 0 0 11 3 0 8 8 4.70 1.17
'13計 46 3 0 0 0 2 2 0 14 .500 211 50.1 46 12 22 4 1 40 7 0 27 27 4.83 1.35
MLB:4年 82 26 0 0 0 9 9 0 14 .500 799 215.2 189 33 81 5 5 132 18 5 108 102 5.23 1.40
KBO:1年 25 - 1 1 0 7 5 0 1 .583 548 126.2 120 13 62 0 3 115 0 0 59 49 3.48 1.44
  • 2013年度シーズン終了時

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 48 (2004年)
  • 29 (2007年)
  • 99 (2011年)
  • 56 (2012年 - 同年途中)
  • 54 (2012年途中 - 2013年途中)
  • 59 (2013年途中 - 同年終了)
  • 15 (2014年 - )

オーストラリア代表歴[編集]

2006 ワールド・ベースボール・クラシックで初めて代表に選ばれるが、肩の怪我を理由に出場を辞退した。

本格的な代表デビューになった2007年第37回IBAFワールドカップでは、予選・決勝全体で0勝1敗防御率1.64の好成績を記録。チームは予選のBグループを突破した末に、決勝トーナメントへ進出するが、初戦の日本戦に0-3で敗れた。ブラックリーは日本打線を抑えるも、日本代表の先発・攝津正がオーストラリア打線に得点を全く許さなかったため敗戦投手となった。

2007年11月22日には、東北楽天の一軍監督・星野仙一が当時率いていた日本代表との強化試合(福岡Yahoo!ドーム)に先発。3回3被安打1失点で敗戦投手になったものの、1回裏には、巧妙な牽制球で日本代表の一塁走者・西岡剛からアウトを奪った。ちなみに、星野は試合後に「(西岡が)強烈な牽制を受けたことにド肝を抜かれた。(日本代表の)ダッグアウトでは、(西岡がアウトになった瞬間)誰もが『あんなのありかよ』と(叫んでいた)。(牽制の技術が)器用すぎるのでちょっと戸惑った」との感想を漏らしている[4]

2009 ワールド・ベースボール・クラシックにも代表として出場。キューバ戦では、先発で5回2/3を1失点に抑えた。

家族[編集]

妻と2005年に生まれた一人の息子がおり、オフは家族でアリゾナ州フェニックスに住んでいる。 弟のアダムも野球選手であり、かつてボストン・レッドソックスのマイナーに所属し、現在はオランダプロ野球ABLでプレイしている。

脚注[編集]

  1. ^ Rangers acquire left-hander Blackley from Astros
  2. ^ トラビス・ブラックリー選手との契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト (2013年12月21日). 2013年12月21日閲覧。
  3. ^ 楽天 ブラックリーが初登板初勝利 ヤクルト 拙攻の4併殺スポーツニッポン2014年5月25日配信
  4. ^ 楽天メジャー左腕ブラックリー獲得へ(『日刊スポーツ2013年12月19日付記事)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]