トマス・パーカー (第6代マクルズフィールド伯爵)

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1881年10月の『バニティ・フェア』誌に掲載された Spy ことレスリー・ウォード (Leslie Ward) による風刺画:標題の「A coachman」は馬車の御者のこと。

第6代マクルズフィールド伯爵トマス・オーガスタス・ウォルステンホルム・パーカー(Thomas Augustus Wolstenholme Parker, 6th Earl of Macclesfield、1811年3月17日 - 1896年7月24日)は、イギリス貴族。伯爵位を相続する以前、1837年から1841年まで、パーカーはオックスフォードシャー選挙区 (Oxfordshire) から庶民院に選出され、保守党国会議員として活動した。

このマクルズフィールド伯爵は85歳で没した。伯爵とその夫人メアリ・フランシス・グローヴナー (Mary Frances Grosvenor) の間の子どもたちのうち下の息子であったセシル・トマス・パーカー (Hon. Cecil Thomas Parker) は、カンタベリー大主教チャールズ・トマス・ロングリー (Charles Thomas Longley) の娘、ロザモンド・エスター・ハリエット・ロングリー (Rosamond Esther Harriet Longley) と結婚した[1]。このためセシル・パーカーは、同じく大主教の娘であったキャロライン・ジョージアナ・ロングリー (Caroline Georgina Longley) を最初の妻としたダービーシャーロウズレー (Rowsley) のエドワード・レヴェット少佐 (Major Edward Levett) と義兄弟となった[2]1899年12月にエドワード・レヴェットがフランスポーで死去したとき、レヴェットはかつて義兄弟であったセシル・パーカーを遺言執行人に指名した[3]

出典・脚注[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
Richard Weyland
オックスフォードシャー選挙区
Oxfordshire

1837年 - 1841年
次代:
en:Joseph Warner Henley
グレートブリテンの爵位
先代:
トマス・パーカー
Thomas Parker
マクルズフィールド伯爵
1850年 - 1896年
次代:
ジョージ・パーカー
George Parker